さよならの事件簿

諏訪野 滋

心を盗むことなんて、できやしない

 俺の心をお前が盗んだんだ、なんてあなたは言うけれど、私に言わせれば心と心を交換しただけ。それでもあなたの奥さんに知られたら、やっぱり私は泥棒って呼ばれるんだろうな。


 ひどく雪が積もりそうなこんな週末でも、あなたはしっかりと約束を守ってくれる。せっかちにディナーを済ませた後は、お決まりの場所で夜通しの逃走劇。逃げる私をあなたが追いかけ、やがて捕まった私は手錠をかけられて執拗に責められ、最後は我慢できず無理やりに心の中を自白させられてしまう。


 たまにはあなたが泥棒の役でもいいんじゃない、と思ったりするけれど、組織の後ろ盾がない私には警察の役は務まりそうにもない。あなたが上で私はいつも下、だけどそれはあなたの力じゃないのよ? 私を有罪にして一安心したあなたは、隣で涼しげに寝息を立てている。


 ねえ、泥棒っていつが潮時なのかな? 警察なら定年っていう時間が解決してくれるんだろうけれど……私はとっくに気付いていた。泥棒と警察。お互いが自分の存在証明だとしても、どのみち相容れるはずがない。いつか必ず、二人で傷つけあうことになる。


 だから私は、ここに来る前にすでに決めていた。今までの優しい時間が醜い履歴にならないうちに、未解決事件のままにしておくことを。幼稚な追いかけっこなんて、あなたもいい加減に飽きたでしょう?


 衣擦れの音に気を付けながら服を着ると、あなたの眠りを妨げないように部屋のドアを静かに閉じる。ロビーを抜けて自動ドアをくぐれば、真夜中の都会は渦巻くネオンの光で彩られていた。行き交う人々のにじんだ姿が、思い出のようにぼやけて映る。


 自分のメールアドレスを削除すると、私は表通りへと歩き出した。降りやまない雪が、私の足跡をまたたく間に消していく。これで手掛かりなし、あなたはもう私を追いかけることはできない。


 泥棒に涙なんて流す資格はない。それでも何も盗めなかった私は、恥知らずにも情状酌量を願っていた。どちらか一方だけに過失があるなんて、そんなつまらない恋はしていなかったはずだから。


 ビルの隙間から夜空を見上げた私の顔に、無数の雪片が舞い降りる。

 ぷつりと途切れたさよならの事件簿を、私は心の奥にそっとしまった。

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さよならの事件簿 諏訪野 滋 @suwano_s

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