下町の小石たちへ

@hiziki-ssss

プロローグ 下町と子供たち

「ねぇ、アーベン。いつまで本読んでるの?」


「んー……、待てって。今日はこの後忙しいから、読めるだけ読んでおきたいんだって…」


 外は秋を枯らす風が吹き、すべてのを葉を散らして冬の訪れを知らせている。遠くの町では冬に備えて大人も子供も朝から忙しく動き回っていることだろう。

 そんな外界と窓を一枚隔てたこの子供部屋は、パチパチと暖炉の薪が爆ぜる音と、上流階級民しか手に入れられない高級な紅茶の茶葉の香りのおかげで何とも言えない穏やかな時間が流れていた。この家にはもう暖炉に火が入っているのかと、今朝来た時には驚いたものだ。


 穏やかな時間もつかの間、ついに部屋の主であるエルマーがしびれを切らした。


「本を貸したらまたあの話の続きを聞かせてくれる予定だったでしょ。その本持ち出すのにどれだけ大変だったか…」


 続きの言葉は痰が絡むような湿った咳でかき消された。「分かった。分かったからそんな興奮すんな」本を閉じ、エルマーの背中をさすってやる。


「また体調悪くなったのか?ほんと一向によく治んねぇなぁ…こんだけでかい屋敷なら、魔法医に見てもらってるんだろ?」


「うん…魔法はかけてもらってその時はよくなるんだけど、またすぐ悪くなっちゃうんだ…」


「…一回魔法をかけてもらうのやめてみたら?自分の体で治す力が弱くなってんじゃねーの?ま、俺は医者じゃねーし詳しいことは分かんないけど…で、ラーベの話の続き、どこまでだっけ?」


「前回はネックレスが盗品だろうっていちゃもんつけられて、破格の値段で交渉されたとこまでだよ」


「あー…そうだった。あの時のラーベさん、かっこよかったぜ。一歩も引かなかったんだから。しばらく言い合いをしていたけど、ネックレスが盗品でない事の証明はできないだろうって。それで…」


 そこで10時を知らせる時計の鐘の音が響いた。エルマーは時計を見上げると眉をひそめ、どんな顔かはわからなかったが、とにかく不快そうな顔で見つめられた。


「そんな顔すんなって。このあと家庭教師が来るんだろ?続きは1週間後にまた本を返しに来た時に話してやるから」


「そもそもアーベンが読書にふけってたから、お話してくれる時間が無くなったんじゃないか、僕は…」


 コンコンと、扉をノックする音が聞こえた。広い部屋なので、二人の話声は聞こえていないだろう。ドアは二人が話している窓際まで距離がある。


「悪かったって。じゃ、またな!」



 アーベンはそう言うと、窓枠に足をかけ、隣の木へ飛び移る。そのまま木を伝って下に降り、茂みを分けて屋敷の裏手へと回った。屋敷の裏手には家庭教師が乗ってきた馬車がある。御者が馬を発射させる鞭の音に紛れて馬車の後ろに飛び乗った。馬車の行先は毎回決まっていた。


 商業の中心都市、貿易で栄えた薔薇の都『ローゼン』。

 あらゆる地のあらゆる商人が集まって商売をするその都市に無いものは無いといわれている。しかし、文字通り年中魔法道具で薔薇が咲き誇り、毎日大量のお金が動いて栄華を極めている都市にも、影はある。

 ローゼンの中心部から歩いて20分もすると、先ほどまでとは別世界が広がっている。そこはいつも工場から漏れ出る廃液とガスで常にもやがかかっており、こうして外から帰ってくるとその嫌な臭いに気が付くのだ。工場がいくつかと、ローゼンで低賃金で働く人々の住まい、ローゼンで失敗した商人崩れが集まる闇市、いかがわしい店…それらがこの下町を形作っていた。


 馬車は途中下町の近くを通る。治安の悪く悪臭漂う下町をローゼンの上品な馬車は通らないが、そこで降りれば屋敷から下町まで徒歩1時間はかかるところを20分で帰ることができた。もちろんお金なんて払わない。ついでに相乗りさせてもらうだけだし、俺に気が付かない御者が悪いのだ。懐にある本を服の上からなでながら、物語の続きについて考えている間にアーベンの住処である下町に着くのである。




「アーベン急いで聞いて!例のネックレスの件なんだけど!」


 住宅の近くになると、カネラが声をかけてきた。カネラは同い年の幼馴染で、赤毛のおかっぱ頭が彼女の明朗快活な性格を際立たせている。そしてちょっとおせっかいだ。もういいか、と思い顔を隠すために立てていた襟を整えながらどうした、と応じる。


「やっぱりネックレスの値段が気に入らなかった例の買い付け人が『ラーベ』を出せって  ジミーにすごい剣幕で詰め寄ってて…ドミニクは今日は街で工場の手伝いをしてるから朝からいなくって」


 はあ…と大きくため息をつく。なんて愚かなんだ。騒ぎ立てたら、それこそマフィアやその手下のギャングたちに目を付けられかねないのに。


「分かった。すぐ行く。場所は?」


「『』前、よ」




 路地裏に着くと2,3人の大人が一人の子供を取り囲んでいるのが見えた。やはり、かなりの勢いで詰め寄っている。ジミーはその小さな体で、精一杯抵抗しているようだったが、かなり限界が近いようで涙目だった。


「はいはい、大人が子供を恐喝とかダサいよ。ラーベさんに会いに来たんだろ?ラーベさんなら今ないよ。」


「アーベン!嘘ぬかすなよ。こっちは命がかかってるんだ」


「本当だって。生憎、ラーベさんはあんたらみたく暇じゃないんだよ。ネックレスの件だろ?その件ならラーベさんから言伝を預かってるぜ」


 こいつらが心配しているのはネックレスをお金に換える方法だ。金でできたネックレスをここら一体の金の値段を決めているマフィアの目を掻い潜って売りさばくのは至難の業だ。

 金の値段は、都市では商人たちが、下町ではマフィアたちが決めている。つまり、様々な通貨が入り乱れるローゼンでは、金の価値は重要なのだ。こいつらは、『金』でできたネックレスというだけで飛びついた。しかし彼らの上の人間は聡く、ネックレスをそのまま売りさばけば盗品だから足が付くし、形を変えて売買しても裏ルートではマフィアに目を付けられることを指摘したのだ。それで今、焦ってオークションの出品者であったラーベにネックレスを返品しに来たというわけである。


「闇市場の金工師に話をつけてきた。そこで金を溶かしてくれるんだってさ。しかもマフィアの息がかかってる工場だから、金の買取に関して口を利かせてくれるそうだよ。ただし、手数料はもちろんいただく…って言ってたぜ」


「いくらかかる」先ほどより男はだいぶ落ち付きを取り戻しているが、さらにお金がかかりそうな話の展開に再びイラつき始めた。貧乏ゆすりがうざったい。


「15万ジェム。もちろん、ラーベさんへの支払いで」


「ハッ!」男は鼻で笑って、地面をダンと大きく踏みつけた。


「そりゃどこの金工師だ?本当は10万もしねぇだろ。一体あいつへの手数料がいくら含まれているんだか」


「マフィアに目を付けられてこの町で信用を落とすか、15万払うか。天秤にかけたら安いと思うけどな」


 男は再び貧乏ゆすりを始めた。手は落ち着きなさそうに唇のあたりを撫でている。男のクセなのだろう。男がしばらく考えたところで追い打ちをかける。


「ラーベさんが店の場所を俺たちに教えるわけないだろ?でも、もう話しは付けてあるってさ。だから15万用意できれば、話は早い。場所を聞いて、破格で買ったネックレスをただ金工師のところへ持っていけばいい。」


「……わかった。ラーベに伝えろ。15万持っていく。支払い方法はネックレスの時と同じでいいか?」


「ああ、いいぜ。そう伝えとく…ったく、なんも考えずに金なんか買うなよな。アンタらこの町に来たのは最近?気を付けな、ここはただの下町じゃないよ。この町があるからローゼンの都市は栄えてる。マフィアも商人もこの町にだいぶ依存しているのさ。明日の朝、この町のドブ川に浮いてたくなきゃ、飼い主の話をしっかり聞きなよ。飼い犬が馬鹿だと、飼い主も後悔するね。」




 男たちが悪態をつきながら路地裏から完全に消えると、男たちが消えた方とは反対側から足音がした。今の話を聞かれていたかと慌てて振り返ると、逆光でよく見えなかったが、それは見覚えのある少年の人影であったためホッと胸をなでおろす。


「アーベン、よくあんな啖呵切ったね。僕と金工師の交渉がうまくいってなかったらどうするつもりだったのさ」


「おー!帰ってきたか。でも、そんなことはあり得ないね。俺の相棒なら必ず交渉成立させてくるって信じてたさ」


 金のネックレスが売れた時に、こうなることは予想できてた。できれば一刻も早く金のネックレスを手放したかったから、早急だとは思っていても昨日のうちに男たちと取引するしかなかったのだ。しかしそこは一応念の為、昨日から金工師の元へ交渉に行ってもらっていたというわけである。


「はぁ…そうだよ。交渉は成立した。5万で受けてくれるそうだ」


「やったわ、さらに10万のぼろ儲けね!」今まで緊張していたカルラがほう、とため息をつきながら口を開いた。


「でも、そう何度もこの手は使えない。金工師にも、マフィアに口をきいてあげられるのはこれきりだと言われた」


「だろうな。ま、危ない橋はこれきり、さ。な?この件で金と薬だけは関わっちゃダメって、いい勉強になっただろ」


 そう言いながら安心して泣きべそをかき始めたジミーの頭を、わざと強く撫でてやる。しばらく湯あみをしていないのか、ごわごわしていてそこら辺の犬を撫でているのと変わらない触り心地だった。「ごめんなさい」と、ジミーは大きな声で泣き始めた。


「何泣かせているのよ!」カルラは俺の手元からジミーを奪い取り、エプロンで涙をぬぐってあげた。


 そもそもなんで『金のネックレスを売る』なんて危ない橋を渡ったのか─それは、いつもお世話になっている年上に何か貢献できないかと、気を利かせた年下数人が闇市に出入りしている盗賊に、その良心に付け込まれて金のネックレスをつかまされたからである。

 盗賊たちも、ローゼンの下町の闇市ですらどこも取り扱ってもらえない金のネックレスを持て余していたのだ。今回の立ち回りだって、一歩間違えればマフィアに目をつけられて挙句命に関わる。金のネックレスをジミー達が喜んでアジトに持って返ってきた日は、年上連中で一晩中怒り散かした。


「カルラは甘すぎる。本当はこれきりラーベから手を引かせても良いくらいだ」


「誰にでも失敗はあるでしょう!?何かできないかって、気を利かせてくれた優しさじゃない!」


「カルラ、気持ちは分かるが僕もアーベンに同意見だ。この町で一緒にラーベをやっていくって決めたんだから、それなりの覚悟は必要だよ。優しさだけじゃお金は稼げないし、お金がなければこの町じゃ生きていけない」


 そうだけど…と、カルラは何か言い返そうとしたが、言葉が思いつかなかったようだ。無言でジミーのごわついた髪を手櫛で梳かしてあげている。


「ま、もうすぐこの件も終わるし、もういいよ。ジミー、兄さんが街から帰ってきたら『巣箱』を尋ねるように言ってくれ」


「分かった」



 そのような話をしているうちに昼を告げる鐘が鳴った。ジミーとカルラはそれぞれ家の手伝いがあるため、二人に別れを告げて、『巣箱』のドアに手をかける。ここはラーベを演じる子供たちのアジトの名前だ。


「それで?誰も責めなかったから黙ってたけど、こんな大事な日の朝にどこに行ってたんだ?」


 さすが。そこを突かれると痛い。


「さすがたな。お前の目は騙せないよ」


 懐から朝借りてきた本を取り出す。はぁ…というため息とともに、それも危ない橋だろ、と小言を言われる。


「週一で会わないと本は貸さねえって、がうるさいんだよ」


「どうやったらローゼンベルクのおぼっちゃまと仲良くなれるんだか。言っとくが、僕はローゼンベルクに出入りするのは反対だからな。第一君に何かあったら僕たちは…」


 不安、不快…そのような負の感情でひそめられているのであろう眉の形をしている相棒の背中を、ごまかすように叩いて中へ入るように促した。俺は元来、人の感情を読み取るのが苦手だった。


「まあまあ、そんなヘマ俺はしないって。でもまぁ、そうなったらラーベはお前に任せるさ。な、ユリアン」

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