お嬢様の推理、少々整えさせていただきます。

古木しき

第1話 お嬢様の推理、探させていただきます。


      

「お嬢様、それは……」

メイドの雫月霜しづき そうが静かに口を開きかけたが、霧川真里華(きりかわ まりか)は優雅に手を振って彼女を制した。

「霜、もう大丈夫。真相はすでに私の頭の中にあるの!」


      ***


 北海道の十勝川温泉に佇む対象十六年創業の老舗旅館”晩勝館ばんしょうかん”。今は、六月。ゴールデンウィークも過ぎ、宿泊客は少なく、今ここに北海道・十勝を中心に全国的にも知名度のある銘菓・雪結庵を代々経営している霧川家のご令嬢であり、十八歳でスタンフォード大学心理学部を卒業し、Ph.D.を取得した帰国子女で探偵官の霧川真里華きりかわ まりか、真里華の傍に常に付き添っている全体が黒のワンピースにフリルの付いた白いエプロンを組み合わせたエプロンドレスに頭をすっぽりと覆う縁に襞の付いた白いモブキャップというメイドクラシックスタイルのメイド服を着たおっとりとした様子の十七歳の雫月霜しづき そう、老執事の津嘉山の三人、そして成瀬家の成瀬夫人と娘の理沙、家政婦の小山ら二組のほかを含めても宿泊客は八組程度で、館内は静かに外からは夏が近づく香が漂っていた。

 北海道は、梅雨がなく、あったとしても七月ごろの蝦夷梅雨がそれにあたる。十勝地方は日高山脈や大雪山系などが壁となり、日本海側から来る雲が防がれるため、年間、雨や雪が降ることが少ない。

霧川真里華は霧川家が経営する雪結庵せっけつあんの代表として、長年の砂糖の生産の取引先である成瀬製糖を経営する創業一家である成瀬家との懇親会として――といっても、肝心の社長らは出張でどちらかというと家族ぐるみの付き合いでの休暇のようなものなのだが――この古びた旅館を訪れていた。


 しかし、その静寂は成瀬夫人の声によって破られていた。

 成瀬夫人のネックレスが忽然と消えたのである。成瀬夫人の首にかけられていたはずの大きなエメラルドが目立つネックレスが、晩の食後、気づいたときにはどこにもなかったという。夫人は顔を青ざめ、娘の理沙と家政婦の小山、更には晩勝館の支配人である復井、ホテルマンの志川らを交えて必死に部屋や夕食をとった大広間から大浴場、トイレ、売店など隈なく探したが、結局見つからずじまいであった。成瀬夫人曰く、そのエメラルドの付いたネックレスは夫からの婚約時にプレゼントされたもので、それ以来気に入って常に付けているもので、成瀬製糖の夫人として新聞などで写真が載る際にも必ずそのエメラッルドのネックレスが目立っているほどだという。成瀬夫人は雪結庵の令嬢であり、探偵官である霧川真里華にも助けを求めたのだった。

 成瀬夫人がスマートフォンを取り出し、眉をしかめながら腕で位置を調整しつつ、そのネックレスの写真を見せた。


「ふむ……なるほどね」


 真里華は腕を組み、ホテルの豪華な調度品に囲まれた成瀬家の泊まっているスイートルームを見渡した。

 テーブルの上には晩の後に飲んでいたであろう紅茶のカップがそのまま残されており、隣には成瀬夫人のスマートフォンが伏せておいてある。ドレッサーには香水や化粧品が並び、クローゼットには旅館の浴衣と成瀬夫人と成瀬理沙のコートなどが掛けてある。


「犯人は――この中にいるわ!」


 成瀬夫人、娘の理沙、家政婦の小山、支配人の復井、ホテルマンの志川までもがその真里華の堂々とした発言に緊張が走った。

 彼女は探偵官という弁護士、検事と並ぶ難関国家資格を十代のうちに取得した数少ない探偵官であり、その若さで今までいくつかの難事件を解決へ導いてきた実績は日本中で連日報道され、雑誌では特集を組まれるほど有名なのである。

 一方、霜は少し離れた場所で静かに紅茶を淹れながら、お嬢様の推理の行方を見守っていた。


「成瀬夫人、夕食のときには確かにネックレスは付けていたわよね?」


 成瀬夫人が困惑の表情を浮かべる。


「え、ええ……。アタクシは夕食の後、そのままこの部屋へ戻って、手提げ鞄を置いてから、そこのユニットバスでシャワーを浴びて、それから十五分くらいだったかしら。浴衣に着替え、鏡を見たときにネックレスがなくなっていることに気づいたの」

「シャワーを浴びるとき、ネックレスは付けていました?」

「いえ、確か外して洗面台辺りに置きましたわ」


 真里華は次に家政婦の小山のほうを見た。

「小山さん。あなたが食後大広間で最後までいわね? そのとき何か変なことは起きなかった?」


 小山は腕を組み、

「いいえぇ。確かに大広間に最後にいて、忘れ物がないか確認をしてから出ましたよ。特に変なものには気づきませんでした。そのあと私は奥様方の隣の部屋に戻って大浴場へ行きましたよ。それで帰ってきたらこの騒ぎですよ」


 真里華が人差し指を眉間に突く。

「つまり、ネックレスが失くなったのは、成瀬夫人がシャワーを浴びている間……その時間だけ」


真里華は成瀬理沙のほうを向く。

「理沙ちゃん、おば様のネックレスを最後に見たのはいつか覚えている?」

理沙は手をくねらせながら、頭を斜めにし、

「いえ、見てないわ。いっつも見慣れているものだから特に気にしてもいなかったわ。正直今日お母さまが何を着て何を付けていることすらも全然気にしてなかったほどだもの。でも、お母さまがシャワーに入っていた時刻は二十一時からだいたい十五分くらいだったわね。ちょうど動画を再生開始し始めたときにシャワーの音が聞こえだして、この動画が十分過ぎくらいにシャワーの音が聞こえなくなくってドタドタとバスルームのほうから騒ぐ声がして動画を止めたの」


 理沙は持っていたタブレットの動画の再生時間の位置を見せる。ゲーム実況動画で動画の長さは三十分、バーの位置はちょうど残り五分ほどの位置で止まっていた。


 真里華はそれらの話を聞いて、堂々と宣言した。


「まず状況を整理してみましょう!」


 成瀬夫人らの部屋は最上階の十階。成瀬夫人のネックレスが最後に確認されたのは、夕食の席で夫人が手を洗う前には付けてあった。そして夕食後、部屋に戻り、紅茶を飲みながら成瀬夫人はスマートフォンを弄っており、娘の理沙はベッドでタブレットで動画を見てくつろいでいた。その後、成瀬夫人が部屋のユニットバスに行き、シャワーを浴び、その後ネックレスの紛失に気付いた。その間、家政婦の小山は大浴場にいた。支配人の復井、ホテルマンの志川はロビーの受付にいた。そして成瀬夫人らとは別で五階に泊まっていた真里華、霜、霞野もネックレスどころか、成瀬夫人らの部屋へ行き来するのも非常階段を走っても五階分を走ることになる。エレベーターも直で五階と十階を移動しても部屋には成瀬理沙がベッドでくつろいでいるため、必ず鉢合わせしてしまう。つまり、盗まれた可能性は低い。


「つまりこの中に犯人がいるってことね!」


「お嬢様、それは……」と霜が少し焦って耳打ちをしようとするも、遮られ、

「霜、もう大丈夫。真相はすでに私の頭の中にあるの!」

その自信満々の真里華の横に霜がそっと近づき、控えめにささやく。


「お嬢様、支配人の復井様にも聞かねばならないことが……」

 真里華はハッとして「確かにそうね!」と頷く。

真里華は咳払いをして、復井のほうへ向いた。


「復井さん、ちょっといいかしら?」

 続けて霜も復井に向かい、

「このスイートルームには、アメニティーの類はどこにありまか?」

 復井は汗をハンカチで拭き、

「アメニティーは入り口のすぐ横のデスクの上にお菓子、洗面台のほうにタオルや歯ブラシ、櫛、他石鹸が五つほど置かせていただいております」

「それでは、ちょっと洗面所のほうへ行ってみましょう」


 霜は静かに言葉を選びながら、ゆっくりと洗面所の方へと歩いていった。


「成瀬様、シャワーを浴びられた際、どこかでネックレスを外された記憶はございませんか?」

「……いいえ、私はそんなこと……」

成瀬夫人は言いかけて、ふと眉をひそめた。

「いえ……でも、もしかすると……」


 霜はそっと洗面台のアメニティトレーに視線を移す。そこには、旅館側が用意した小さなトレーの上に、キラキラとした包装の石鹸やボトルなどが並んでいた。真里華もその視線に気づいた。


「まさか……!」

「成瀬様はおそらく、近視で老眼ではないでしょうか? 最初、スマートフォンで写真を見せていただいたときも、成瀬様はピントを合わせるかのように位置を調整していました。

これは老眼であり、近視、もしくは乱視が入っているのかと思いました。普段は眼鏡かコンタクトをつけているのではないでしょうか? それがなんらかの都合で眼鏡がない状態でここにいると」

「え、ええ。確かに、普段は眼鏡をかけているんだけども、今ちょうど修理に出していて……。ある程度は見えるから大丈夫だと思ったのよ」

 霜は続ける。

「シャワーを浴びる前に無意識のうちにネックレスを外され、ここのアメニティーボックスに中に置かれたのではないでしょうか?」

 そこで真里華が続ける。

「成瀬夫人はシャワー後にアメニティーボックスに入っている化粧水などを使い、そのときに色とりどりのアメニティーと一緒にエメラルドが輝くネックレスの存在を忘れてしまった……しかもこのバスルームは鏡やライトで眩しいから眼鏡がない状態で紛れ込んでしまったアメニティーボックスの中にエメラルドの付いたネックレスがあると気が付かなかったのね」

「そんな……」


 成瀬夫人がアメニティーボックスを持ち上げて、見つめた瞬間、その緑色に輝くものに視線が止まった。

「……あっ!」

 成瀬夫人は目を見開き、エメラルドの付いたネックレスを見つめた。

「そんな……! アタシ、こんなところに置いた覚えなんて……!」

「シャワーを浴びる前に装飾品は基本外しますわね。指輪ならわからないけれど、ネックレスなんかは普通は外す……」

 真里華が続ける。

「そして、普段から小物を置く癖がある洗面台のアメニティーボックスの上に、自然と置いてしまった……そういうことね」

「それから、シャワーを浴びた後、ネックレスを外したこと自体を忘れてしまい、半分使われたアメニティーボックスの中に紛れ込んでいる宝石にも気が付かなかった……」

「そういうことだったのね」

 真里華は腕を組み、頷いた。


「つまり、犯人は――成瀬夫人自身だったのよ!」

「あらやだ! アタシったら……!」

 成瀬夫人は顔を赤らめながら、ネックレスをつけ直した。エメラルドの緑が輝いている。

「でも、アタシ達、しかもしっかり探したのよ? それなのにすぐそばにあったのに気づかなかったなんて……」

 真里華が得意げに鼻をふふんと鳴らし、

「焦ってものを探している時ほど、目の前にあるものが目に入らないものなの……。まるでメーテルリンクの『青い鳥』のようにね」

「……青い鳥?」

成瀬夫人がその例えに一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐ理解し、

「幸せを求めて遠くまで探しに行ったのに、結局、それはずっと身近なところにあったって話ね……」

「このネックレスも同じね。失くしたと思って必死に探していたのに、ずっと目の前にあったの」真里華が一息ついて窓へ近づく。


 窓の外は夜の白鳥大橋がライトアップされており、更に上を見ると星がよく見えた。

「アタシったら、なんてお恥ずかしい……」

 成瀬夫人は娘の理沙と家政婦の小山と顔を合わせては皆顔を赤らめ、照れくさそうに微笑みながら、エメラルドのネックレスを眺めた。

 成瀬夫人が霜のほうをうっとりと見ながら、

「本当に、そうね。幸福も、大切なものも、案外すぐそばにあるのかもしれないわね……」

 その言葉が霜にはどこか意味深に聞こえた気がした。

「無意識の行動ほど、思い出せないことは多いものです。特に、長年の習慣になっている行動は。そして、色が混ざると見つけづらくなる。一色にしてもそれはそれで見つけづらくなる……」

 成瀬夫人は小さく笑いながら、

「本当に、お恥ずかしいわね……でもありがとう、助かったわ。」

「ふふ、謎はすべて解けたわね!」

 真里華は得意げに微笑んだ。


「まったく、初歩的で簡単な事件だったわね! 私の探偵官としての資格も退屈して剥奪されないか心配しているくらい!」

霜は真里華の得意げな表情を見て、にこやかな笑顔し、静かにハーブティーを注いだ。成瀬の部屋の外では執事の霞野が安堵し、自室へ静かに立ち去った。

「ええ、お嬢様の推理があってこそ、です」

 真里華は霜のほうを向き、

「霜もいつも手伝ってくれてありがとね」

「いえ、私は少しお手伝いさせていただいたまでです……」

 真里華はため息混じりに霜はもっと素直になればいいのに……と心の中でつぶやいた。

 こうしてエメラルドのネックレスの行方は判明し、晩勝館の夜は再び静けさを取り戻した。


 五階の霧川の部屋へ戻り、霜が淹れたハーブティーを飲んでいた急に真里華が霜に話しかけた。

「ねぇ、霜」霜は不意に話しかけられたことに驚き、「はいぃ?」とちょっと上ずった声を出した。

「なんで私がメーテルリンクの『青い鳥』を例に出したか、わかる?」

 霜はきょとんとした顔になった。

「ヒントはエメラルド……」真里華の声が優し気だった。

 霜はハッとした。

「あっ! “幸福”ですか?」

 真里華はゆっくりと窓辺の椅子に座り、

「そう。エメラルドの石言葉は『幸福』――だからとっさに出てきたのが私の好きなメーテルリンクの『青い鳥』。原作ではエメラルドではなくてダイヤモンドが出てくるけれども。あの本のように、幸福は実は目の前にあっても、なかなか気づけないのが人間なのね……」

 真里華の顔が少し暗くなったが、すぐ表情が変わり、霜に向かって強気の顔で、

「次の事件現場は『幸福』よ。明日、朝急いで行くから。霜も寝坊しないようにね! まぁ、私のほうがお寝坊さんなのだけど」

「何故、幸福なのですか……?」

「私の名探偵としての勘がそう告げているのよ!」

 霜は呆気にとられた顔をしていたが、すぐに強く頷き、「はい、お嬢様」と答えた。


      ***


 『探偵法』――それは、弁護士、検事と並び、三大国家資格の一角を占める探偵官の活動を規定した法律である。

 かつて、探偵という職業は曖昧な立場にあった。民間の調査業者として個人や企業の依頼を受ける者もいれば、警察の手の届かない場所で独自に真実を追う者もいた。しかし、捜査権を持たぬ彼らの証拠は司法の場で軽視され、違法スレスレの行為も横行していた。

 そうした状況に終止符を打ったのが、この『探偵法』である。

 制定に尽力したのは、かつて名探偵と呼ばれた者たちだった。特に霧川雨子という女探偵であり、活動家、政治家によってできたといっても過言ではない。彼らは長年の実績をもとに、探偵の社会的地位を確立し、法のもとで正当な捜査権を持つ資格制度を構築した。そして国家資格として”探偵官”が誕生する。

 探偵官は、警察機関・弁護士・民間人から正式な依頼を受けた場合に限り、合法的な調査を行うことができる。

 証拠収集の手段として、聞き込み、監視、潜入調査が認められ、得られた情報は裁判所や警察機関で正式な証拠として採用される。

 しかし、違法捜査は厳しく禁じられ、違反した場合、探偵官資格の剥奪だけでなく、刑事罰の対象となる。

 また、探偵官には逮捕特権はない。彼らの役割は、あくまでも警察や司法の補助的な立場にとどまり、犯罪の解決に寄与することにある。そのため、探偵官が扱うのは未解決事件、冤罪事件、行方不明者の捜索、あるいは被害者や遺族の代理調査といった、司法機関では対応しきれない領域が主となる。

 現在、この制度は社会に広く浸透し、多くの探偵官が法のもとで活動している。

 時には冷静な分析で事件の真相を暴き、時には依頼人の絶望を希望へと変える。

 彼らは司法の盲点を埋める“第三の目”として、今日もまた、見えざる真実を追い続けている。


続く。


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