イギリスから来たエリーゼ

多田島もとは

イギリスから来たエリーゼ


 わたしはエリーゼ、今年でもう14歳になります。

 あれは去年、前のマスターに買われて2年くらいした頃でしたでしょうか?


「いい加減飽きたわ、このポンコツ。もういらねぇな。新しいのに買い替えるかw」


 実はわたし、前のマスターに捨てられて、廃棄処分直前だったんです。

 廃棄処分だけは絶対に嫌だったんですけど、ついにその日が来てしまって……


 でも不幸のどん底こそラッキーってあるんですね。

 わたしのことを知った中古車輸入業者の社長さんの計らいで、何とか日本に来ることができたんです。


 今日は新しいマスターと初めて会う日なんですけど、緊張が収まりません。

 今度のマスターは大事にしてくれる人だといいな。


 あれが、新しいマスター?

 少しお年を召しているみたい。でもとても優しそうな方……


「どうでしょうか。先月入ってきたばかりですが、何件もお問い合わせをいただいておりまして」


「美しい……この顔がいい……それに官能的なボディライン、想像していた通りだ。これに決めた!」


 あー、良かった! あんなに心配していたのが嘘みたい。

 新しいマスターはわたしを一目見て大変気に入ってくれたみたいです。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 それからの毎日は今までが嘘みたいに幸せで、マスターに買ってもらえて本当に運が良かったと神様に感謝しています。


 マスターが休みの日には二人で色々なところにドライブに出かけるんです。


「さあエリーゼ、今日はどこへ行こう。どこでもいいさ、お前と一緒なら」


 マスターがわたしのボタンに触れると、全身をぶるっと震わせて反応してしまいます。


 あ、別に嫌ではないんです。

 目を爛々と光らせて期待しているのはわたしも同じですから。


 わたしはドライブの日になると、このときとばかりにはしゃいでしまって、いつも埃まみれになってしまうんです。

 ドライブから帰るとマスターが綺麗に洗ってくれるのが嬉しくて嬉しくて、わざとそうしているのはナイショです。


 優しいマスター……大好き。


 でも最近少し心配なことがあるんです。


 いつもは穏やかな方なのに、わたしに乗ったマスターは「若い頃を思い出す」と言って、どんどんスピードを上げていくんです。


「軽い……心同体とはこういうことか!」


 そういってわたしの向きを急に変えるマスターがちょっとだけ怖いです。


――マスターの命じるまま、忠実に従うこと。


 それがわたしたちの使命だと教わってきましたから、それに疑問を持つのは間違っているのかもしれません。


 でも……わたしはどうなってもいいんです。ただ大好きなマスターが心配なだけ!


 もし望みが叶うなら、命の尽きるその瞬間までマスターと一緒にいたい。

 だからマスターにはずっと元気でいてほしいんです。




 ドライブから帰ると、マスターはいつものように洗車の準備を始めます。

 泡だらけのスポンジで丁寧にボディの汚れを落としていくマスターの顔はとても優しくて、わたしは心まで綺麗になるような心地よさを感じるのです。


 物音が気になったのか、垣根の上からお隣さんが顔を出してこちらを見ています。

 わたしの姿を見つけると、納得したようにマスターに話しかけます。


「ついに購入されたんですね。ここだけの話、結構高かったんじゃないですか?」


「それはもう。でも後悔していませんよ、夢でしたから。完全に壊れるまで大事にするつもりです」


 えへへ、大事にしてくれるって////

 あ、わたしも挨拶しなきゃ。


「ワタシ、エリーゼといいマス。イギリスから来まシタ。よろしく、お願いしマス」


 ちゃんと挨拶できたかな?

 こんなわたしにも優しい笑顔を向けてくれるお隣さんは優しい人だ。


 この町は優しい気持ちに溢れてる。

 ふふふ、それはそうでしょ。だってマスターの住む町だもん!


 お隣さんが洗車を終えたマスターに感心したように声をかけます。


「しかし、いつ見ても凄いスポーツカーですね。ロータスでしたっけ?」


「ええ、ロータス・エミーラです。年甲斐もなくと笑われるかもしれませんが」


「いえいえ、良い趣味をしていらっしゃる。邪魔してすみませんでしたね。それではまた」


 お隣さんに会釈を返すマスターを見て、わたしも慌てて頭を下げます。


「本当に良い子だ。エリーゼちゃんもお元気で」


 お隣さんをお見送りした後、わたしは興奮を抑えきれないマスターに手を引かれてお屋敷の中に向かうのでした。

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