第12話 ラーメン その1
「なあみんな! ほうかごにラーメン屋に行かないか!?」
午後の授業中、脈絡もなく飛んできた新茶の提案。
いきなりだったので返事に迷っていると、すぐにアリスが返した。
「いいじゃない新茶! 私は賛成よ! なんなら今すぐ行ってもいいわ!」
「いや、さっき昼食を食べたばかりだろ」
「麺は急げよ!」
「善は急げ、な」
エマと鬼ヶ島も話に参加する。
「放課後だったら、僕も行きたいかな?」
「……エマに同じく」
ラーメンを食べに行くのは概ね賛成のようだ。
「しかしまた急だな。新茶」
「いやー、メシ屋めぐりがオレの趣味のひとつなんだけどなー。それで学校の帰りにすげーうまいラーメン屋をみつけてな! これはAB組のみんなにどうしても食べさせてやりたいなーって、今日の昼メシを食べてるさいちゅうに思い出したんだ!」
「えらいわ新茶! 人間にはそういう気持ちが大事なのよ! わかった、今日のラーメン代はこの私が全部出してあげる!」
「マジかタカミネアリス!? さすがだぜ! よっ! クソデブ!」
すかさず高峰に殴られる新茶。
それを言うなら太っ腹だ。しかしまあ、ちょっと楽しみでもある。鬼ヶ島もエマも、そして言わずもがなアリスも、みんなが楽しみにしていた。今回はAB組での外出も、目を瞑ろう。
放課後。
さっそく俺たちは新茶に連れられてラーメン屋へとむかっている。
「新茶。本当にこの先にラーメン屋があるのか?」
「もちろんだぜ!」
新茶が言うには、その店は駅前や大通りにないとのことだが、ついていけばいくほど商売をする場所としてはむかない方向へ進んでいるように思える。
「周囲にはもう住宅しかないぞ。しかも途中で公園の中も通過しているし。もしかして迷子なんじゃないのか?」
「シンパイ性だなぁー親友は。ナハハハ」
自信満々に答える新茶。
「テルはいつも心配しすぎよ。新茶が大丈夫って言うんだから、信じてあげなさい」
ついにはアリスにまで諭されてしまった。
「さすがタカミネアリス! よっ! ク……親友も心配しないでくれって!」
「そうは言ってもな」
……新茶だしな。
そんな俺の心情を察してくれたのかアリスは言う。
「でもテルの意見も一理あるわ。一度、スマホで調べてみましょう。新茶、そのお店の名前を教えてちょうだい」
「ラーメン屋だぞ」
「あら? 喧嘩売ってる?」
「ち、ちがうんだ! そこのラーメン屋の名前が『ラーメン屋』なんだ!」
それを聞いて俺はなぜだか急に不安な気持ちに駆られた。
なんとなくだが、店主が店に本腰を入れているように思えない。対してアリスは感心するように手を顎に添えた。
「なるほど……そういうことね。これからずっと背負っていく店の名前をあえてボケに使うとはね。なかなか気骨があって面白いじゃない。その店、期待できるわ」
どう期待できるんだよ?
飯屋に笑いなんていらないぞ。美味いか不味いかの二択だけでいい。
アリスはスマホで『ラーメン屋』と調べる。検索の結果、出てくるのはどれも駅前や大通りにある店ばかりで、もちろん名前は『ラーメン屋』ではない。それにこのあたりでは『ラーメン屋』どころかラーメン屋さえ引っ掛からなかった。
それを見たアリスは「隠れた名店のようね……」と客観的に見れば的外れだとわかる意見を述べている。ますます不安になってきた。
そのとき、なにも言わずについてくるエマと鬼ヶ島を見た。
どこか不安げだった。
二人はこっち側の人間だったようだ。よかった。
「みんなついたぜ!」
そうこうしていると、例のラーメン屋にたどり着く。
掲げられた木の看板には、まぎれもなく『ラーメン屋』と書かれている。
入り口の引き戸の前には薄汚れた紅色の暖簾がかけられ、いかにも『ラーメン屋ですけどなにか?』と言いたげな佇まいではあった。
「本当に、『ラーメン屋』なんだな……」
「なー言ったとおりだろー?」
「あ、ああ……」
しかし、だ。
以前にネットで読んだ記事では、店というのは店同士で密集することで活気や人通りが増えて相乗効果になるから基本的には大通りのほうがいい、と書かれてあった。たしかに俺もそう思う。だがこの目の前に佇む『ラーメン屋』はそうじゃない。
清水家と、河合家、その間に挟まれて営業している。
つまり住宅街の中にこのラーメン屋は存在している。
どうして人通りが住宅民しかいないだろう場所でわざわざラーメン屋を開業しようと思ったんだ? 古くからあった店構えでもなさそうだし。ここなら素人の俺でも場所を変えるべきだと進言できるぞ。
「さあ入るわよ!」
そんなことはお構いなしに意気揚々と暖簾をくぐるアリス。
……まあ案外、アリスの期待通りに隠れた名店で、地域密着型なのかもしれないな。
アリスにつづいて、店に入った。
「あっ」
………………終わった。これは、ハズレだ。
入って思ったことが三点。
その一。
――客が一人もいない。
夕飯にはまだ早い時間帯だけど美味い店なら一人くらいはいるはずだ。
その二。
――座敷で店主が居眠りしている。
暇なんだな、と。
その三。
――起きた店主の第一声が「え? 来たの?」だった。
スリーアウト。
この店はチェンジしたほうがいい。けれどアリスはハイになっているのか、それらには目もくれずカウンター席へ座ってしまった。
「さあ! 奢ってあげるんだから、あなたたちも早く座りなさい!」
もうノリノリじゃん。
新茶も「イエーイ!」とウキウキでカウンター席に座る。
俺は、鬼ヶ島とエマを見た。
「…………」
「…………」
だよな!? 俺、間違ってないよなぁ!?
しかしながら、エマは声を震わせながら「あ、ありがとう」と言ってカウンター席にむかった。きっとアリスたちの気持ちを無下にしたくないんだろう。なんて健気な。
鬼ヶ島もため息をついて俺にだけ聞こえるように呟いた。
「最後まで、諦めるな。……食べてみるまでわからない」
「俺……人生でなにかあったら、まず鬼ヶ島に相談するよ」
彼の精神性に感銘を受け、鬼ヶ島とともに着席する。
アリスがメニュー票を眺める。
「『しょうゆ』か『塩』の二択のみ。あとはトッピングだけ……なるほど、昔ながらのシンプル路線のラーメンで勝負しているのね」
それは不幸中の幸いだ。こおで創作系ラーメンが出なくてよかった。
「決めたわ。私、トッピングなしのしょうゆラーメンでお願いします」
「じゃあ俺もそれで」
「ぼ、僕も」
「……同じく」
「おっちゃん、いつもので!」
「あいよ」
作業にとりかかる店主。すかさずアリスが新茶の発言を拾う。
「なによー新茶、いつものって。もう常連気取りじゃないのー!」
「へへへ、なんか照れるぜー!」
「フフッ、さあて。どんなラーメンがくるのか楽しみね」
和気藹々と二人は会話を弾ませるが、俺はなにも期待せずに静かに待った。あと俺だけが聞こえたのかもしれないが、店主は作業中に「今度こそ、うまく……」と呟いていた。
長い時間、待っていたような気がする。
「へい、おまち」
俺たちの前にしょうゆラーメンが置かれた。
「ボウズのは、ちょっと待ってな。いま作るから」
「はーい!」
そういって店主は厨房に戻る。
さっそく箸を割るアリス。
「さあ、食すわよ! いただきます!」
俺たちも一杯千円のしょうゆラーメンを口にする。
――ちゅるちゅるちゅる、もぐもぐもぐ
………………まあ、悪い意味で予想通りというか、千円はないなと思った。
ラーメンはスープが命というが、そのスープに命が注ぎ込まれているかというと、しょうゆが注がれているだけのような味がする。麺は一本一本の太さに統一感がなく、まるで素麺とうどんを同時に食べているかのような感覚に見舞われる。チャーシューはハムのように薄く、メンマはないが、なぜかカニカマが混入。食べられない、わけではない。
俺はこっち側の人間の顔をのぞいた。
鬼ヶ島は、一旦箸を置いて腕を組み、そしてまた諦めたように食べはじめる。
エマは、他人への思いやりと歓迎されない味覚の狭間で、涙目になって食む食む。
もう一度、俺もラーメンをすする。
食べられないほど不味いわけじゃない。
……ただ、これは…………なんて人を悲しくさせるラーメンなんだ……。
これが自腹でなくて本当によかった。
もしこれを自腹で食べていたのなら、幼少期のころに味わった『頑張って貯めたお金で買ったゲームがクソゲーだった』とき以上の悲しみを抱えていたことだろう。
本当に、自腹じゃなくてよかった。
そう思っている俺の隣では、自腹で、しかも、そのほか四人分の支払いを持つことにもなっている不憫な女がいる。その箸を持つ手は沸々と湧きあがる感情によって震え、ブツブツと呪文のように呟いていた。
「ふざけやがって……ふざけやがって……いや、待て……新茶の味覚がゴミなのかも、それなら……新茶はわざとこんなもの、食べさせにきたわけじゃない……という理屈は通る……落ち着け……理論的になれ……新茶の味覚がゴミなら……それでも、この液体の支払いを、私が五人分も……かの財閥令嬢である私が、こんなのに……金を使うなんて……」
一人くらい殺めそうな精神状態だった。
そこへ店主がやってくる。
「へい。いつもの、おまち」
「よっ! まってました!」
新茶の前に料理が置かれた。
――チャーハンだった。
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