『人形少女レイナ ~可愛いね、でも逃げて?~』
ソコニ
第1話 人形少女レイナ ─永遠のお友達─
プロローグ 「invitation」
深夜3時33分。
SNSのタイムラインが、突然の投稿で溢れた。
『素敵な人形を見つけたの』
『この子、とても可愛い』
『一目惚れしちゃった』
投稿は次々と拡散され、コメントが付き、いいねが増えていく。
それは、まるで伝染するように広がっていった。
『私も欲しい』
『どこで売ってるの?』
『教えて』
一つの画像が、特に人気を集めていた。
古びたアンティークショップのショーウィンドウ。
そこに飾られた、一体の人形。
金色の巻き毛、青い瞳、薔薇色の頬。
白いドレスに身を包んだその姿は、まるで生きているかのよう。
投稿者たちは、次々とその店を訪れた。
そして—
彼女たちは、二度と戻ってこなかった。
代わりに現れたのは、新しい投稿。
新しい場所での、同じ人形の写真。
そして、新たな失踪。
永遠に続く、この連鎖。
あなたのタイムラインにも、その投稿は届くかもしれない。
そして、その瞬間から—
物語は、始まる。
第1章 「私の、あなた」
吉岡美咲は、その人形を見た瞬間、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
ショーウィンドウの向こう、薄暗い照明に照らされた人形は、まるで生きているかのように静かに佇んでいた。金色の巻き毛は濡れたような艶を放ち、深い碧眼は月光のように青く輝いている。薔薇色の頬には、生きた少女のような血色が宿り、着飾られたドレスの裾が、風もないのにかすかに揺れているような錯覚さえ覚える。
仕事帰りの靴音が、古びた商店街に虚ろに響く。普段なら絶対に寄り道などしない。それなのに、今日は足が勝手に止まってしまった。急に冷え込んだ空気に、美咲は首元のストールを引き寄せる。すでに街灯が点き始め、辺りは夕闇に包まれつつあった。
ガラスに映る自分の姿が、人形と重なって見える。
「いらっしゃいませ」
振り返ると、店主らしき老婆が立っていた。いつの間にそこにいたのか。灰色の髪を固く束ね、黒いドレスに身を包んでいる。その表情には、どこか意味ありげな笑みが浮かんでいた。しわがれた声は、冷たい空気に溶けるように消えていく。
「この子、とても素敵な人形ですね」
美咲は思わず声を漏らした。アパレル企業の広報として、様々な美しいものを見てきた。でも、こんな完璧な造形は初めてだった。
「ええ、レイナは特別な子です」
老婆の声は、まるで本当の少女について語るかのように柔らかい。その瞳の奥に、何かが潜んでいるような気がした。
「レイナ...」
その名を口にした途端、美咲はショーウィンドウの人形と目が合った気がした。青い瞳が、確かに自分を見つめている。瞬きをする度に、その視線が少しずつ近づいてくるような錯覚に襲われる。しかし、それは単なる錯覚のはずだ。人形が動くはずがない。そう自分に言い聞かせる。
「持って行きませんか?」
老婆の言葉に、美咲は慌てて首を振った。
「いえ、今日はみるだけで...」
「そうですか。でも、レイナはあなたのことを気に入ったようですよ」
老婆の言葉に違和感を覚えながらも、美咲は丁寧にお辞儀をして店を後にした。背中には、人形の視線が刺さっているような感覚が残る。
帰り道、いつもより街が暗く感じた。街灯の明かりが届かない影に、金色の髪が揺れるような気配。振り返っても、そこには誰もいない。早足で駅に向かう靴音だけが、静寂を破っていく。
その夜から、美咲の夢にレイナが現れ始めた。
最初は遠くに立っているだけだった。白いドレスに身を包んだ小さな人影。しかし次第に、夢の中のレイナは近づいてくるようになった。一歩、また一歩。その青い瞳で美咲を見つめながら、かすかな声で囁くのだ。
「私のもとに来て」
冷たい指が、美咲の頬を撫でる。
「私と一緒に」
甘い香りが、鼻先をくすぐる。
「ずっと、一緒に...」
目覚めると、枕元に金色の髪の毛が一筋落ちている。美咲は震える手でそれを拾い上げた。細く、柔らかな手触り。これは夢ではない。髪の毛は確かな重みを持って、掌の上で冷たく光っていた。
スマートフォンの画面に、見知らぬ着信が残っている。深夜3時33分。発信者番号はない。ただのノイズ音が、数秒間録音されていた。その中に、かすかに少女の笑い声が混ざっているような気がした。
翌日、美咲は仕事を早退してあの店に向かった。しかし、昨日あったはずの人形専門店は、そこには存在しなかった。代わりにあったのは、何年も使われていない様子の空き店舗。緑色のカビが這う壁。割れたガラスの隙間から覗く、埃まみれの床。板で打ち付けられた入り口に、古びた貼り紙が風にはためいていた。
通りがかりの老人に尋ねても、「ここには何年も店なんてなかった」と首を振るばかり。でも、確かに昨日、ここで人形を見た。レイナに会った。老婆と話をした。幻だったはずがない。
その夜、美咲は再びレイナの夢を見た。
今度は、レイナは美咲のすぐ傍らにいた。冷たい月明かりの中、その小さな唇が動き、囁きが耳元で響く。
「私を探しに来てくれたのね」
「でも、まだよ」
「もっと、私を求めて」
「そうしたら...」
美咲は目を覚ました。暗闇の中、かすかな足音が聞こえる。カタッ、カタッ。まるで、小さな足が床を歩く音のよう。それは次第に近づいてくる。
スマートフォンの画面を灯すと、着信履歴に新しい記録が残っていた。発信時刻は3時33分。今度は音声ではなく、一枚の写真が送られていた。美咲の寝室を上から撮ったアングル。そして、ベッドの傍らに立つ小さな人影。
その時、部屋の隅から物音がした。
振り向くと、そこには─
月明かりに照らされて、一つの人影が立っていた。金色の巻き毛が月の光を反射して輝いている。薔薇色の頬。そして、青く光る瞳。
「見つけた」
かすかな少女の声が、闇の中から響いた。その唇が、ゆっくりと笑みを形作る。
「私の、あなた」
第2章 「侵食」
美咲は化粧室の鏡に映る自分の顔を見つめた。深い隈が刻まれ、頬はこけている。レイナとの出会いから一週間。まともに眠れない夜が続いていた。
化粧室の蛍光灯は、いつもより白く、冷たく感じる。その光の下で、肌は異様な青白さを帯びて見えた。手を伸ばして蛇口をひねると、水が静かに流れ出す。冷たい水で顔を洗おうとした瞬間、鏡に映る蛍光灯が震えた。そこに、金色の髪を持つ少女の姿が映り込んだように見える。慌てて振り返るが、そこには誰もいない。
水が止まっていない。
でも、水音が聞こえない。
再び鏡を見ると、流れているはずの水が、まるで時間が止まったかのように宙づりになっていた。その透明な水滴の中に、無数の青い瞳が映り込んでいる。
「美咲さん、大丈夫?」
突然の声に、美咲は小さな悲鳴を上げた。声をかけてきたのは、同じ広報部の真理子だった。いつも明るい彼女の表情に、珍しく翳りが見える。化粧が薄く、目の下には疲れた影が刻まれていた。
「ええ、ちょっと寝不足で...」
「私も最近、よく眠れなくて」
真理子は言葉を続けようとして、一瞬躊躇した。その手には、スマートフォンが握られている。画面には、見覚えのある人形専門店のSNSページが表示されていた。写真の投稿日時は、深夜3時33分。
「素敵な人形を見つけたの」
真理子の声が、妙に上ずっている。
「でも、ちょっと不思議で。この店、昨日まで全然違う場所にあったはずなのに...」
美咲の背筋が凍る。真理子の言葉が、まるで水の中から聞こえてくるように遠い。
化粧室を出ようとした時、鏡の隅に何かが映った。金色の髪の毛が、床に一筋。それは確かに、さっきまでそこにはなかった。
オフィスに戻ると、同僚たちの会話が耳に入ってきた。
「また人形の事故があったんだって」
「え、あの噂?」
「SNSで見たよ。可愛い人形を買った人が、次々と...」
「警察も動いてるらしいよ」
「でも、証拠が何もないんだって」
美咲は息を呑んだ。パソコンの画面を開くと、さっそく検索を始める。「人形 事故」「アンティークドール 事件」「不可解な失踪」。次々とヒットする記事。どれも一週間以内の投稿だった。
『深夜、人形の所有者が失踪』
『自宅から人形だけが消失』
『防犯カメラに映った不可解な映像』
『SNSに投稿された最後のメッセージ』
『連続する3時33分の謎』
掲載された写真は、どれもぼやけていて不鮮明。でも、その中に金色の巻き毛が写っているような気がした。よく見ると、写真の場所が変わっても、その人影の姿は少しずつ近づいているように見える。
記事を読み進めるうち、共通点が見えてきた。どの被害者も、最初は素敵な人形との出会い。そして、徐々に始まる異変。不眠。体調不良。奇妙な音。そして、深夜3時33分の出来事。
「美咲さん」
真理子が机に近づいてきた。普段なら快活な声が、今日は妙に沈んでいる。顔色が悪く、手が小刻みに震えている。
「ねえ、これ見て」
差し出されたスマートフォンには、アンティークショップのSNSアカウントが表示されていた。古びた店構え。薄暗いショーウィンドウ。そして、そこに飾られた一体の人形。
美咲の呼吸が止まった。
レイナだった。
でも、何かが違う。ドレスの色が、わずかに濃くなっている。まるで、血に染まったように。
「素敵な人形でしょう? 私、昨日ここで見かけて」
真理子の声が遠くなる。耳鳴りのような音が響き始めた。画面の中で、レイナの瞳が微かに動いたような気がした。その青い瞳は、まるで画面を突き抜けて、こちらを覗き込んでいるようだ。
「もう注文しちゃった。明日届くの」
「やめた方がいい」
思わず声が出た。真理子が驚いたように目を見開く。その瞳に、青い光が映り込んでいる。
「その人形は...」
その時、オフィス全体が一瞬暗くなった。蛍光灯が明滅し、パソコンの画面がちらつく。冷たい風が、どこからともなく吹き抜けた。空調は止まっているはずなのに。
窓の外は急に暗くなり、灰色の雲が立ち込めている。雨が降り始めた。その音が、まるで誰かの囁き声のように聞こえる。
「あら、急に寒くなりましたね」
真理子の言葉に、美咲は答えられなかった。彼女の背後の窓に、小さな人影が映り込んでいたから。金色の巻き毛が、雨に濡れて光っている。
その日の帰り道、美咲は真理子を引き止めようとした。でも、彼女はもう帰宅した後だった。デスクに残されたスマートフォンの画面が、突然明滅する。着信画面には「3:33」の文字。
発信者番号はない。ただ、画面の向こうから、かすかな笑い声が聞こえてくる。
翌朝、真理子の机は空っぽだった。
「吉岡さん、田中さんから連絡ありました?」
上司が不安そうな顔で声をかけてくる。
「朝から連絡が取れなくて...」
その時、美咲のスマートフォンが震えた。真理子からのメッセージ。時刻は深夜3時33分から3時34分まで、連続して送られてきている。
『レイナちゃん、届いたの』
『とっても可愛い』
『でも、少し変なの』
『動く。私を見てる』
『瞬きをする』
『笑いかけてくる』
『髪が伸びてる』
『近づいてくる』
『助け』
最後のメッセージには、写真が添付されていた。真理子の部屋の様子。散乱した家具。床に落ちた携帯電話。血のように見える赤い染みが、壁を伝っている。そして、窓際に立つ人形の姿。
その背後には、もう一つの人影。金色の巻き毛が、月明かりに輝いている。そして、その隣に、見覚えのある横顔。真理子だ。でも、その表情は、どこか人形めいている。
「私の、お友達」
画面の中で、レイナの唇が動いた気がした。その瞬間、スマートフォンの画面が砕け散ったように染みを帯び、真っ暗になった。
その夜、美咲は自室のベッドで震えていた。枕元には、新たな金色の髪の毛が一筋。そして、どこからともなく聞こえてくる、少女の歌声。まるで子守唄のような、不気味な旋律。
「もうすぐ、みんな私のもの」
廊下に、二つの足音が響き始めた。一つは軽やかな子供の足音。もう一つは、かすかにひきずるような大人の足音。それは、ゆっくりと近づいてくる。
美咲のスマートフォンが、暗闇で青く光った。画面には新しいメッセージ。送信者名は「レイナ&まりこ」。
『遊ぼうよ、美咲お姉さま♪』
『だって私たち、もうお友達だよね?』
『ね? 逃げちゃやーよ?』
最後のメッセージの後に、音声ファイルが添付されていた。再生すると、可愛らしい少女の声が響く。
「お人形さんは、みんなのこと大好きなの♪」
「だから、永遠に一緒にいようね?」
「きっと素敵なお友達になれるよ...だって...」
声のトーンが急に暗く変わる。
「私から逃げられる子は、誰も居ないんだから...ふふっ♪」
廊下の足音が、ドアの前で止まった。
ノック音が三回。
「美咲お姉さま? お返事は?」
「早く決めてね?」
「扉を開けるまで...数えちゃうよ?」
甘く可愛らしい声で、レイナが数え始める。
「10(じゅう)...」
「9(きゅう)...♪」
「8(はち)...うふふ」
真理子の声も重なる。
「7(なな)...早く開けてよ?」
「6(ろく)...私たちと...」
「5(ご)...お友達に...」
スマートフォンの画面が再び明滅する。新しい写真が届いた。ドアの前に立つ二つの影。金色の巻き毛の少女と、人形のように硬直した真理子。二人とも、カメラに向かって笑みを浮かべている。
「4(よん)...」
「3(さん)...」
「2(に)...」
「1(いち)...」
「もう、待てないよ...?」
第3章 「痕跡」
警察は、真理子の部屋に残された痕跡を丁寧に調べていた。散乱した家具、壊れた窓、床に落ちた携帯電話。そして、壁一面に広がる赤い染み。昨夜の雨が窓から吹き込んだのか、床には小さな水たまりができている。その表面に、かすかに金色の光が映り込んでいた。
「吉岡さん、昨夜、田中さんと連絡を取ったんですね」
中年の刑事が、手帳を広げながら声をかけてきた。疲れた目をしているが、その視線は鋭い。
「ええ、でも、私が見たメッセージは...」
美咲は言葉を詰まらせた。証拠として提出された真理子の携帯電話の履歴。そこには、美咲が見たはずのメッセージが一切残っていない。深夜3時33分の着信履歴も、写真も、あの不気味な会話も。
「これが最後のメッセージなんですが」
刑事が見せてくれた証拠写真は、美咲の見たものと同じ構図だった。散乱した部屋、落ちた携帯電話。ただし、最後の画像だけが違っていた。レイナと真理子が写っていたはずの写真は、ただの暗い廊下の写真になっていた。
「おかしいんです。この画像、私が見たときは...」
言葉が途切れる。警察に話しても、誰も信じないだろう。人形の話も、真理子の変貌も、あの不気味な声も。すべては、不眠による幻覚だと片付けられてしまうに違いない。
「念のため、防犯カメラの映像も確認しています」
若い刑事が、ノートパソコンを開いて説明を始める。画面には、マンションの廊下を映した映像が表示されている。タイムスタンプは昨夜の3時30分。
画面の中で、真理子が自室のドアを開ける。彼女は何かを抱えているように見える。3時31分、ドアが閉まる。3時32分、廊下は静かなまま。そして3時33分—
映像が乱れた。数秒間のノイズの後、画面は真っ暗になる。
「この後、映像が復旧するまでに約10分...」
若い刑事の説明は、美咲の耳に届かなかった。彼女の目は、画面の隅に映り込んだ何かに釘付けになっていた。ノイズの直前、確かに見えた。廊下の突き当たりに立つ小さな人影。金色の巻き毛が、蛍光灯の下で輝いている。
「人形は見つかりましたか?」
刑事は首を振った。
「部屋からは何も...」
その時、美咲の目に何かが留まった。押し入れの隅、かすかに金色に光るもの。誰も気づいていないようだった。
捜査は正午過ぎまで続いた。警察が立ち去る際、主任刑事が美咲に声をかける。
「何か思い出したことがあれば、すぐに連絡してください」
名刺を受け取りながら、美咲は押し入れの隅を見つめていた。あの金色の光は、まだそこにある。
警察が帰った後、美咲は再び真理子の部屋を訪れた。管理人から借りた鍵で開けると、午後の陽光が薄暗い室内を照らしていた。埃が舞い、空気が重く淀んでいる。
押し入れに近づく。手が震える。そこには確かに、金色の髪の毛が一筋。手に取ると、不思議な温もりがある。まるで、たった今まで誰かの頭部にあったかのように。
その時、髪の毛が指の間でかすかに動いた。まるで生きているように、ゆっくりと蠢く。
美咲が髪を落とそうとした瞬間、背後から声が聞こえた。
「懐かしいわね」
振り返ると、真理子が立っていた。いや、真理子の姿をした何かが。その姿は確かに同僚のものなのに、立ち方が違う。まるで、糸で吊られた人形のように不自然だ。
「やっと会えたね、美咲お姉さま」
声は真理子のものなのに、口調はレイナそのもの。その瞳は、人形のように青く輝いていた。瞬きもしない。
「真理子さん...?」
「違うよ? 私はね...」
真理子の姿が歪む。まるでろうが溶けるように、その形が崩れていく。肌が溶け、服が溶け、人間の形が溶けていく。そこに現れたのは、金色の巻き毛を持つ少女の姿。白いドレスは、午後の日差しを反射して眩しいほど輝いている。
「ただのお人形だよ♪」
レイナが微笑む。その表情は可愛らしいのに、どこか狂気じみている。頬は薔薇色に染まり、唇は赤く潤んでいる。でも、その瞳の奥には、どこまでも続く闇が広がっているような気がした。
「でも、寂しいの。だからね...」
少女の手が伸びる。その先には、真理子の携帯電話が握られていた。画面には、SNSの投稿画面が表示されている。投稿の下書きには、美咲の知る限り、すべての友人たちがタグ付けされていた。
「みんなのところに、お迎えに行くの」
投稿ボタンが押される。その瞬間、美咲のスマートフォンが震えた。新着通知。人形専門店の広告が、すべての友人たちにシェアされている。投稿時刻は、3時33分。
「さあ、もっとたくさんのお友達を...」
美咲は反射的に携帯電話を投げ捨てた。画面が砕け散る。その破片の一つ一つに、レイナの青い瞳が映り込んでいる。破片は床に落ちても砕けない。代わりに、小さな水たまりのように広がっていく。その表面には、無数の顔が映っている。
「そんなに怖がらないで?」
レイナの声が、甘く響く。その足音は、水たまりを踏む度に、奇妙な音を立てる。プチャ、プチャ。まるで、何かの中を歩いているような。
「だって私、美咲お姉さまが...」
一歩、また一歩と近づいてくる。その後ろには、真理子の溶けた姿が引きずられるように続いている。床には赤い染みの跡。それは、先ほど警察が調べていた壁の染みと、同じ色だった。
「初めて見つけてくれた、大切なお友達なんだよ?」
レイナの瞳が、深い青から漆黒へと変わっていく。その中に、無数の金色の糸が浮かび上がる。糸は部屋中に広がり、天井から床まで、蜘蛛の巣のように張り巡らされていく。
そして、その糸の先には—
人形のように動かなくなった、人々の姿があった。
第4章 「拡散」
美咲のスマートフォンは、もう鳴り止まなかった。次々と届く通知。友人たちが次々とシェアする人形の投稿。その一つ一つに、レイナの姿が映り込んでいる。投稿の度に、その姿は少しずつ大きくなっていく。まるで、画面の中から這い出してくるように。
部屋を施錠し、カーテンを引き、すべての明かりを点けた。それでも、画面の中の青い瞳は、美咲を見つめ続けている。瞬きをする度に、その視線は近づいてくる。
窓の外では、夕暮れが深まっていた。街灯が一つ、また一つと点灯していく。その光の下で、人々の姿が変わり始めていた。
最初の投稿から3時間。SNSのタイムラインが、恐怖に染まっていく。
『素敵な人形を見つけたの』
『この子、私のこと見つめてくる』
『今日から、新しい家族』
『私の大切な、レイナちゃん』
コメント欄には、既に変化が現れ始めていた。
『私もほしい』
『どこで買えるの?』
『注文した♪』
『届くの待ちきれない』
『レイナちゃんと一緒』
『永遠の、お友達』
それぞれの投稿に付けられた画像が、美咲の胸を締め付ける。人形を抱く人々の表情が、徐々に硬くなっていく。瞳の色が、青く変わっていく。そして、その背後に映る金色の影。
画面を閉じようとした時、新しい通知が届く。差出人は、美咲の親友・沙織だった。
『美咲、助けて』
『レイナちゃんが、私の部屋に』
『なんで鍵を開けてないのに』
『どうして入ってこれるの』
『足音が、近づいて』
『冷たい手が』
『もう、終わり』
最後のメッセージと共に、一枚の写真が送られてきた。沙織の部屋の扉。その隙間から、金色の巻き毛がゆっくりとはみ出している。写真の端には、青く光る瞳が写り込んでいた。
続いて、新しいメッセージが届く。
『まだ逃げられるよ?』
『でも、その前に会いに来てほしいな』
『ねぇ、美咲お姉さま』
『沙織お姉さまも、待ってるよ?』
それは、沙織の携帯電話から送られてきたメッセージ。でも、その口調は明らかにレイナのものだった。文字の一つ一つが、淡い青色に光っている。
美咲が返信しようとした瞬間、画面が歪んだ。文字が溶け出し、まるで血が滴るように赤く染まっていく。その中から、少女の笑い声が漏れ出してきた。
タイムラインには、すでに街中の目撃情報が溢れていた。
『駅前で人形を抱えた女性を見かけた』
『みんな同じ人形を持ってる』
『人形を見つめる人が増えてる』
『まるで操り人形みたい』
『誰も目を合わせてくれない』
『皆、同じ方向を見てる』
『青い瞳をした人が増えてる』
『金色の髪が、風もないのに揺れてる』
投稿は、マップ上にピンで表示されていく。それは、美咲のマンションに向かって、渦を巻くように集まっている。中心に近づくほど、投稿の文面が不気味になっていく。
『私たち、みんな一緒』
『永遠の、お友達』
『レイナちゃんの、おうち』
『もうすぐ、完成』
突然、部屋の電気が明滅した。街灯の光が、異常な青さで窓を照らしている。カーテンの隙間から覗く外の景色が、少しずつ歪んでいく。
通りを歩く人々の影が、一斉に立ち止まった。そして、全員がゆっくりと、美咲の部屋のある方向を振り向く。月明かりに照らされた顔は、既に人形のように変貌していた。
画面を見つめる美咲の背後で、ドアをノックする音が響いた。カタカタ、カタ。まるで小さな木の手が叩いているような音。それは、一定のリズムを刻んでいる。まるで、不気味な子守唄のように。
「開けて?」
沙織の声。でも、その声は、どこか人形めいていた。言葉の端々に、少女の笑い声が混ざっている。
「もう、みんな待ってるよ」
別の声。営業部の後輩の声。その足音が、廊下を歩く。カタ、コト。まるで関節が外れたように、不規則な音を立てながら。
「早く、仲間に」
経理の部長の声。その声に混ざる、木材がきしむような音。
次々と重なる声。それは美咲の知る人々の声。でも、その一つ一つに、少女の笑い声が混ざっている。声は重なり、重なり、ついには一つの合唱となる。
「私たちと、一緒に」
「永遠に、一緒に」
「もう、逃げられないよ」
スマートフォンの画面が突然暗くなる。そこに、一行のメッセージ。文字が、まるで蛇のようにうねっている。
『もう、お迎えに行くね♪』
送信時刻は、いつもの3時33分。
その瞬間、部屋の明かりが一斉に消えた。暗闇の中、無数の青い瞳が、美咲を取り囲んでいた。それは壁一面に広がり、天井から床まで、まるで星空のように輝いている。
「ようこそ、私のお部屋へ」
振り返ると、そこにはレイナが立っていた。白いドレスは月明かりを反射し、まるで蛍のように淡く光っている。その背後には、人形と化した人々の群れ。沙織、後輩、部長、そして見知らぬ多くの人々。全員の瞳が青く輝き、全員の髪に金色の光が混ざっている。
「さあ、永遠のお友達になろう?」
レイナが右手を上げる。その指先から、金色の糸が美咲に向かって伸びていく。
「みんなで、幸せになろうね♪」
少女は微笑む。その瞳の奥に、無数の金色の糸が輝いていた。それは美咲の手首、足首、首に絡みつき、ゆっくりと引き寄せていく。
「私の、大切な—」
レイナの声が、闇に溶けていく。
「最初のお友達」
第5章 「糸」
金色の糸が、美咲の体を締め付けていく。それは単なる拘束具ではなかった。触れる場所すべてが、まるでろうのように溶けていく感覚。指先から始まった変化は、じわじわと手首へ、腕へと広がっていく。皮膚が磁器のように白く、そして硬くなっていく。
最初は軽い痺れ。それが次第に冷たさへと変わり、やがて感覚そのものが消えていく。血管を流れる血液が、まるでエナメルのように固まっていくような感覚。関節が、球体のジョイントへと変化していく様子が手首から見えた。
これは、人形になる過程なのだと。
「痛くないよ?」
レイナの声が、優しく囁きかける。少女は美咲の目の前まで歩み寄り、冷たい指で頬を撫でる。その指先から、さらなる変化が広がっていく。
「だって私、美咲お姉さまのことが大好きだから」
部屋の闇が深まっていく。窓から差し込む月明かりだけが、レイナの姿を照らしている。その背後の人々—かつての友人たちは、まるで展示品のように整然と並んでいた。
真理子は薔薇色のドレスに身を包み、沙織は水色のレースの衣装を纏っている。その他大勢の人形たちも、まるで華やかな舞踏会のように美しく着飾っていた。でも、その瞳は虚ろで、何も映していない。皮膚は完全に磁器と化し、かすかな光沢を放っている。
「みんな、幸せそうでしょう?」
レイナが指さす先で、人形たちが一斉に微笑む。その動きは、ぎこちなく不自然だった。まるで、糸で引かれるように。
その時、人形たちの後ろに、もう一つの姿が見えた。レイナとそっくりな、もう一体の人形。ただし、その髪は漆黒で、瞳は金色。レイナの反転のような存在。
「あら、リナを見つけたのね」
レイナの声が変わる。
「私の可愛い双子の妹...でも、彼女は私ほど器用じゃないの」
黒髪の人形が、ゆっくりと首を傾げる。その動きは不自然で、まるで壊れた機械のよう。その金色の瞳には、どこか狂気めいたものが宿っていた。
記憶が走馬灯のように流れ始める。
八歳の夏休み。両親の離婚話が持ち上がっていた時期。美咲は祖母の家に預けられていた。古い日本家屋。畳の香り。風鈴の音。そして、あの押し入れ。
「美咲ちゃん、これはレイナとリナよ」
祖母が見せてくれた一対の人形。金髪と黒髪の双子。それは、曾祖母の時代から伝わる古い人形だった。
「大切にしてきた子たちなの。私も小さい頃、この子たちと遊んだのよ」
祖母の話によれば、その人形は明治時代に作られたものだという。外国から取り寄せた特別な人形で、代々この家の女性たちが守ってきた。
「でもね」
祖母の声が低くなる。
「この子たちには、悲しい過去があるの」
夕暮れ時。縁側に腰かけた祖母が、人形たちの物語を語り始めた。
曾祖母の時代。まだ幼かった双子の姉妹が、この人形たちと遊んでいた。姉妹は人形に深く愛着を持ち、まるで本当の家族のように接していた。
「でも、ある日」
祖母の声が震える。
「妹の方が、突然亡くなってしまった」
姉は深く傷つき、人形たちに執着するようになった。特に黒髪のリナには異常なまでの愛情を注いだという。そして、ある夜。
「姉も、忽然と姿を消したの」
残されたのは、不気味な笑みを浮かべる二体の人形だけ。それ以来、この人形たちは、時折奇妙な現象を引き起こすようになった。
「でも、あなたは特別ね」
祖母は微笑んだ。
「レイナが、こんなに懐くのは初めてだわ」
確かに、金髪のレイナは美咲に強く反応した。毎日一緒に遊び、話しかけ、時には一緒に寝た。一方のリナは、いつも距離を置いているように見えた。
「一緒に遊ぼうね」
「ずっと、お友達だよ」
「私のレイナちゃん」
けれど、両親の離婚が決まり、美咲は突然、祖母の家を離れることになった。レイナとリナは押し入れの奥に—
「置き去りにされたのよ」
現実に引き戻される。目の前のレイナが、老婆の姿に変わっていた。あの人形店の店主。その姿は、祖母に重なって見える。
「私たちを、忘れてしまったのね」
老婆の声が、少女の声と重なる。
「寂しかった」
「待っていた」
「約束したのに」
金色の糸が、さらに強く締め付けてくる。美咲の意識が遠のいていく。体が、人形のように硬くなっていく。腕は完全に人形化し、胸まで変化が進んでいた。
皮膚の下を金色の糸が這う感覚。まるで血管の中を、液体の金属が流れているよう。心臓の鼓動が、次第にゼンマイの音に変わっていく。
「でも、リナは待てなかった」
レイナの声が、悲しげに響く。
「人々を次々と人形に変えていった。誰かを、自分のものにしたくて」
黒髪の人形が、不気味な笑みを浮かべる。その金色の瞳には、かつての姉妹の記憶が封じ込められているかのようだった。
「でも私は、ずっと美咲お姉さまを待っていた」
老婆の姿が消え、再びレイナだけが残る。その瞳には、懐かしい記憶が映っているようだった。
「約束、覚えてる?」
祖母の家の最後の日。美咲は人形に囁いていた。
「必ず、迎えに来るから」
「だから、もう大丈夫」
レイナの声が、優しく響く。変化は首まで進み、意識が霞んでいく。首筋で、最後の脈が打つ。それは次第に、ゼンマイの音へと変わっていった。
「これからは、永遠に—」
暗闇の中で、最後の言葉が響く。
「お友達だよ?」
視界が完全に青く染まる前、美咲は気づいた。
レイナの瞳に映る自分の姿が、既に完全な人形になっていることに。
磁器の肌、球体の関節、そして空虚な瞳。
その背後では、黒髪のリナが、新たな糸を紡ぎ始めていた。その金色の瞳には、終わりなき執着が宿っていた。
「まだまだ、足りないもの」
リナの声が、闇に溶けていく。
「もっと、もっと、お友達が」
第6章 「永遠」
街が、静かになっていく。
通りを歩く人々の姿が、一人、また一人と消えていった。代わりに現れるのは、美しい人形たち。金色や黒色の髪を持ち、青い瞳や金色の瞳を輝かせる。その数は、日に日に増えていく。
最初に気づいたのは子供たちだった。
「ママ、あの人、お人形みたい」
「先生の目の色が変わった」
「お姉ちゃんの肌が冷たい」
やがて大人たちも、異変に気づき始める。
出勤途中の会社員が足を止め、ショーウィンドウに映る自分の姿に見入る。
カフェで談笑する女性たちの笑顔が、次第に人形のように固まっていく。
深夜営業のコンビニで、店員の動きがぎこちなくなっていく。
アンティークショップは、今や街のあちこちに出現していた。古びた店構え、薄暗いショーウィンドウ。そこには必ず、可愛らしい人形が飾られている。人々は足を止め、ガラス越しの人形と目が合う。そして、翌日にはその人の姿が消え、新しい人形が増えていた。
警察も動き始めた。失踪事件の急増。不可解な目撃証言。SNSでの奇妙な投稿の連鎖。
しかし、捜査に向かった警官たちも、次々と姿を消していく。
残された防犯カメラの映像には、金色の糸が映り込むだけ。
「お迎えに来たよ♪」
美咲の意識は、まだかすかに残っていた。磁器の体の中で、最後の人間らしさが消えかけている。
感覚は既に失われ、代わりにゼンマイの音が体の中で響いている。
心臓の鼓動は、規則正しい機械音に変わった。
それは不思議と心地よく、まるで永遠に続く子守唄のよう。
目の前では、レイナとリナが優雅なダンスを踏んでいる。白と黒のドレスが、月明かりの下で舞う。その周りを、人形となった人々が取り囲んでいた。
真理子はロココ調の薔薇色ドレスに身を包み、沙織はビクトリア朝風の水色レースの衣装を纏う。他の人形たちも、それぞれの時代を象徴するような華やかな衣装に着替えられていた。まるで、時空を超えた人形劇の一場面のように。
「ねえ、美咲お姉さま」
レイナが囁く。その声は蜜のように甘く、毒のように染みこんでくる。
「みんなで素敵な家族になれたね」
人形の体には、もう痛みも苦しみもない。ただ、心地よい虚無だけが満ちている。それは、ある意味で完璧な幸福だった。永遠に続く、穏やかな安らぎ。
「でも、まだ足りないの」
リナが言う。その金色の瞳が、狂気めいた光を放つ。黒髪が闇の中でうねり、まるで生きた蛇のよう。
「もっと、もっと、お友達が必要」
窓の外では、金色の糸が街中に張り巡らされていく。その一本一本が、新たな人形への誘いとなって。糸は電線のように街を覆い、時には地下鉄の路線に沿って伸び、時には高層ビルを這い上がっていく。
街灯の明かりが、青く変わっていく。
アスファルトが、まるで磁器のように滑らかになっていく。
ビルの壁が、人形の肌のような光沢を帯びていく。
街全体が、巨大な人形の家へと変貌を遂げようとしていた。
「美咲お姉さま、私たちと一緒に」
レイナの声が、甘く響く。
「新しいお友達を、探しにいきましょう?」
磁器の唇が、ゆっくりと動く。それは美咲最後の人間としての言葉であり、新たな人形としての最初の言葉。
「ええ、レイナ...」
その瞬間、美咲の中の最後の人間性が溶け、完璧な人形へと生まれ変わる。
瞳が深い青に変わり、肌は月光のような白さを帯びる。
記憶は残ったまま、感情だけが穏やかな幸福へと変質していく。
「私たちの、永遠のお茶会を」
窓の外で、新しい夜が始まろうとしていた。
街のあちこちで、人々が動きを止める。
そして一斉に、人形のような笑みを浮かべ始める。
電光掲示板のニュース速報が流れる。
『隣接市街でも多数の失踪事件が』
『原因不明の集団行動が』
『緊急事態宣言が』
文字が最後まで流れる前に、画面が青く染まっていく。
時計の針が、3時33分を指す。
街のどこかのアパートで、一人の女性が目を覚ます。
枕元には、見覚えのない一通の招待状。
金色の糸で綴じられた美しい封筒の中から、一枚の写真が滑り落ちる。
そこには、幸せそうな笑顔の人形たちが写っていた。
中央で微笑む青い瞳の人形が、まるで誘いかけるように手を差し伸べている。
写真の裏には、優美な筆跡で言葉が記されていた。
「さあ、みんなで遊びましょう?」
そして夜は、静かに更けていく。
金色と黒色の糸が、新たな街へと伸びていく。
永遠の人形劇は、まだ始まったばかり。
時を超えて、今も続いているという。
深夜3時33分、どこかの街角で。
美しい人形を見かけたら—
決して、目を合わせてはいけない。
エピローグ 「新たな招待状」
この物語から、10年後—
あの街は、伝説となった。
突然の集団失踪。
増え続ける人形。
そして、永遠に解けない謎。
調査に向かった者たちも、次々と姿を消した。
残されたのは、無人の街。
そこに住まう、無数の人形たち。
政府は、その地域を立入禁止区域に指定した。
高い壁で囲み、監視カメラを設置し、警備を配置した。
でも、時々起こる。
新しい街で。
新しい人々の中で。
深夜3時33分。
SNSに流れる、見覚えのある投稿。
古びた店先の、美しい人形。
そして、新たな招待状が届く。
金色の糸で綴じられた封筒の中に、一枚の写真。
『お茶会に、ご招待』
あなたのもとにも、いつか届くかもしれない。
その時は—
「一緒に、遊びましょう?」
『人形少女レイナ ~可愛いね、でも逃げて?~』 ソコニ @mi33x
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