ごめんねの、本当の理由は。

空豆 空(そらまめくう)

【よみきり】 ごめんねの、本当の理由は。

「ねぇ、きみは……幸せでしたか?」


 空に向かって呟いた。


「ねぇ、きみは……楽しかったですか?」


 少し俯いて呟いた。


「ねぇ、きみは……」


 涙がすーっと流れて、地面に染み込んでいく。




 私が彼と出会ったのは、新しい高校生活に期待で胸がいっぱいになった入学式の日だった。


 せっかく早起きしたのにバスに乗り遅れた私は、学校までの道をひたすら走っていたんだ。


 必死に走ったから、せっかく整えた前髪も、少しだけ巻いた髪も崩れて、綺麗にアイロンをかけたブラウスも、しわくちゃになっていた。


 私の高校デビューは失敗。これで遅刻までしてしまったら目も当てられない。


 だというのに足止めをしてくる赤信号に地団駄を踏んでいた時、一緒に信号待ちをしていた彼に声をかけられた。


「ねぇ、君、新一年生?」


 正直、遅刻しそうなのに澄ました顔で話し掛けてくる彼を変な人だと思った。けれど、余裕のある彼の振る舞いになんとなくつられて、返事をした。


「え? あ、はい。そうです」


 そしたら彼はふわっと笑って、進行方向を指差した。


「この道、まっすぐ行ったら遅刻確定。こっちの脇道を行けばワンチャンセーフ。どっちにする?」


「え!?」


 突然のことに戸惑っていると、彼は信号が変わるや否やぐいっと私の手を掴んで脇道へと進んで行った。


「はい、時間切れ―。俺と一緒に脇道から行こうぜっ」


 遅刻しそうな入学初日、にっとイタズラっ子みたいに笑う知らない男の子に手を引かれ、桜並木を抜けて行く。


 足が、私の足じゃないみたいに速く動く。

 風が、びゅんびゅんと通り過ぎて行く。


 胸が……、これ以上ないくらいにドキドキとした。


「こっちこっち。ここの裏道抜けたら裏門に出るんだ」


 言われるがまま、葉っぱが生い茂る裏道を今度はゆっくりと進んで行く。

 

「足元、気を付けてね」


 彼は私が転ばないようにまだ手を繋いだままだった。


 その手の温もりに、彼の優しさに触れているような気がして。

 彼と一緒にいるこの時間が、なんだか楽しくなっていた。


『ああ、まだ着かないで。もっと、彼と一緒に――』


 けれど、裏道を抜ければすぐ目の前には裏門が見えた。

 そこをくぐれば遅刻は回避。けれど彼との時間は終わってしまう。


『ああ……残念……』


 私がそう思った時、無機質なチャイムの音が鳴り響いた。


「うっわー。ワンチャンセーフかなって思ったのに、ギリアウトだったぁー」


 項垂うなだれるように座り込んだ彼が可愛くて、私はつい、くすっと笑ってしまった。


「あれ? なんで笑ってるの?」


 彼は笑顔で聞いてきた。

 けれど、初対面の男の人に『可愛い』なんて言えなくて。


「だって。頭に葉っぱついてるんだもん」


 私は咄嗟にごまかした。そしたら彼は私の髪に手を伸ばして……


「えー? そういう君こそ、花びらついてるよ?」


 撫でるように私の髪に触れたから、私の頬も薄紅色に染まった。



 今思い返せば、私はあの時すでにきみに恋してたんだ。


 いつしかわざとバスに乗らずに登校するようになって。

 蝉が鳴く頃には、きみと手を繋いで登校するようになっていた。


 その度にきみは優しく微笑んでくれたのに、一向に私の告白を受け入れてはくれなくて。


 通学路が落ち葉で染まる頃には、きみはひとりバスで登校するようになっていて。

 私に微笑んでくれなくなっていた。


 ああ、私はきみの彼女にはなれないんだと、はじめて失恋の痛みを知った気になって静かに涙を流したのも、その頃だった。



 霜が降りた草木がキラキラと光るある日、きみからバスで一緒に登校しようと誘われた。

 歩いて行きたいと思ったけど、それでもきみと過ごせる時間が嬉しくて。

 もっときみの傍に居たくって。


 だから学校に着く直前、手を繋いでくれるきみに『好きです』って、懲りずにそっと思いを伝えた。

 けれどきみは寂しそうに微笑んで『ごめんね』と言ったんだ。



 私――知らなかったんだ。

 きみが病に侵されていたなんて。


 私がいない帰り道は、しょっちゅう病院に寄っていたなんて。

 冬休みはずっと、病院のベッドにいたなんて。


 いずれ別れが来ることを知っていたから、私の告白を受け入れてくれなかったの?

 バスで登校するようになったのは、歩くのがもう、辛くなっていたから?


 そして――バスで一緒に行こうと誘ってくれたのは、それが最期になるかもしれないと、気付いていたから?

 きみからの『ごめんね』の本当の意味に、あの時はまだ、気付けなかったよ。


 

「ねぇ、きみは今、……天国で笑っていますか?」


「ねぇ、きみは私のこと、……どう思っていましたか?」



 できればきみの彼女になりたかった。

 けれどそれ以上に、きみに生きていて欲しかった。


「ねぇ、きみは……私と出会って幸せでしたか?」


――ねぇ、私はね。

 今でもきみのことが……


 声にならない言葉を、柔らかい風が包んで溶かしていく。


 もうすぐ春が来るね。


 大好きなきみと出会った、あの、季節が。


 私は涙をぐっと拭うと、空に向かってそっと微笑んだ――。

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ごめんねの、本当の理由は。 空豆 空(そらまめくう) @soramamekuu0711

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