第38話 夜の訪問

「昴さま」


 咲良は部屋の前で声をかけた。

 障子を見るに、部屋の向こうは明るい。書き物でもしているのだろう。


 しかし、返事はない。


 咲良は廊下の突き当たりの方に視線を移す。

 真っ暗だ。うっすら足元に行灯の光は見えるが、狐や山犬など、夜目が効く種族ならともかくそうでないならよく見えない。


(あれ?)


 金色に光る点がふたつ宙に浮いていた。


「ヒッ!」


 咲良が小さく悲鳴を上げた時のこと。


「咲良か? どうした?」


 昴の声が聞こえた。

 ふたつの光る点はどんどん近づいてきた。そしてわかった。

 暗闇で爛々らんらんと光る彼の目である。


「昴さまでしたか……」

「おれを訪ねてきたのか? すまんな歯を磨きに行っていた」


 その頃には、咲良の目にも彼の姿が認識できるようになっていた。 


「もう寝る予定でした?」 

「いいや、まだ眠くないから、仕事をするか本を読むか何かしてから布団に入ろうと思ってた」


 彼はそう言って、障子を開けて招き入れてくれた。誘われるままに腰を下ろす。


「どうした?」

「昨日、すみませんでした。ちゃんとお話ししたくて来ました」


 彼は少し離れたところに座ってあぐらをかいた。

 朱色のおしゃれな肌着が裾からちらりと見えた。現世でよく襦袢じゅばんと呼ぶものだが、見せランジェリーみたいな感じである。先ほど志乃から聞いたが、チラ見せするおしゃれアイテムらしい。


 さすが、志乃は江戸の最先端を熟知していたおしゃれ番長だ。


「あの、わたし、本当はここにいたいんです。ずっといたいんです」

「え?」

「でもわたし、人間なので……みんなは若いままなのに、わたしだけ歳をとって死ぬなんて耐えられないと思って。だからごめんなさいって言ったんです。本当は、昴さまとか……ここのみんなが好きなんです! もう二度と隠り世に来たくないとかそんなんじゃなくって!」


 咲良が必死でそう言うと、彼はこちらに手のひらを向けた。それ以上はいい、と言っているようで彼女は口をつぐんだ。


「そういうことか、大丈夫。わかった」


 そして、ひとときの静寂が流れた。


「いや……そうか。あのな、咲良……」

「はい」

「おれの寿命。半分やろうか?」


(はい?)


 寿命? 寿命は、人間の伴侶に分け与えるものではないのか。咲良は三秒くらい考えた。考えて、プロポーズされていることに気づいて頭が噴火しそうになった。


「え……え!?!?」

「あの……つまり、だ」

「わかりますわかりますわかります!」


 咲良は大声を出してしまい、慌てて口をつぐんだ。


「咲良なら……うん」


 釣り合わないから絶対釣り合わないから! 咲良は叫びそうになった。でも、いい言葉が思いつかない。

 顔が熱い。

 心臓が、運動直後のように早鐘を打ち始める。

 咲良はもじもじと俯いた。


「嫌?」


 そう問いかけて来た彼の顔も心なしか朱に色づいている。

 咲良は伺うように彼の金色の目を見た。

 彼は早口でこう言った。


「まだ、話をするようになって一ヶ月もない。でも……これからもずっと一緒にいたい」


 咲良はそれを聞いて爆発しそうになった。


「そ、それってつまり……」

「まだ言わせるのか……あの嘘、本当にしないか?」


 一緒になろうと彼は言っているのである。青藍と、志乃のように。


「でも、そしたら昴さまの寿命が……」

「心配には及ばん。考えてもみろ。おとや粋はまだ百歳程度。で、あの見た目だ。半分くらいおぬしにくれてやってちょうどいい」


 彼は神としての力が強いからか、寿命が長いらしい。


「……」

「咲良?」

「わたし、昴さまに釣り合ってないですよ」

「どこが?」

「全部……」


 彼は顔に手を当ててため息をついた。


「何が気に食わないのか全くわからんが、外部の評価なんてどうでもいい! だめか? おれが望んでるのに?」


 全身の血液が煮えたぎったようだった。


「その表情から鑑みるに、まんざらでもないんだと思っていいか?」


 咲良は何も言えず彼を見つめた。

 どうしよう。

 まさかそんなふうに彼が思っていたなんて、思いもしてなかった。 


「咲良はどう思ってる?」

「言わせるんですか?」

「言ってほしい」

「なら昴さまももっとはっきり言ってくださいよ」


 咲良はむすっとして言った。こんなの、逆ギレだ。

 でも恥ずかしくって仕方ない。

 八つ当たりとも言える。 


「まずかわいい。全部がかわいい。仕事に真面目で頭もいい。気遣いもできる。もうちょっと自信を持てばいいのに、そんなところもかわいい。おれに控えめなのもちょっと不満だけど見方を変えると控えめでかわいい。飯が旨い。一緒に酒を飲むと楽しい。おれの知らないことをいっぱい知っていて、話していて楽しい。匂いも好き。声も好き。今も真っ赤で物凄くかわいい……咲良?」

「もういいです……」


 聞いていて恥ずかしくなってきた。彼は、女性の趣味が悪すぎる。


「わたしも……好きです……」


 こんな回答フェアじゃないと咲良自身も思った。

 でも、何が好きなのかと問われても困る。彼の全部に惹かれているのだ。

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