第37話 志乃

 場所を移し、咲良と志乃とおとの三人は牡蠣のみぞれ鍋を楽しんでいた。

 大根おろしたっぷりで美味しい。牡蠣だけでなく、あんこうも入っていて海のだしがいっぱいだ。


 合わせるのは、スペインの辛口スパークリングワイン。こちらもすっきりとしていて絶妙だ。


「ごめんね、咲良ちゃん」

「ん?」


 突然話しかけられて牡蠣の身をもぐもぐと咀嚼しながら志乃に目を向けた。

 

「あたしが青に頼んだんだ。咲良ちゃんにちょっとベタベタしてみてって」

「……青藍さま、様子がおかしいからどうしちゃったんだろうって思ってましたよ」

「ごめんねおとちゃん、びっくりしたでしょ」


 咲良は目を白黒させた。いったい、どういうことだろう。


「いやあのね。スーちゃんがあんなに女の子に肩入れするの見たことないから咲良ちゃんのこと好きなんじゃないかって思って……ちょっとわざとらしくベタベタしてみてって言ったのさ。そしたらあの激怒。正解っぽいね〜!」


(そ、そんなわけない……)


 咲良はとまどって、左手に持っていたお椀をとりあえず膳の上に置いた。


「そ、そんなはずは……」

「あるよさく。さくもまんざらじゃないんだろ?」


 これは、おと。


「スーちゃんはいい男だよ。スーちゃんにしときな。人間と違って、山犬はぜぇぇぇぇぇったいに浮気しないし」


 そして、志乃。


「そ、それはそうかも……しれませんが」


 顔が熱い。

 今、きっと真っ赤だろう。

 咲良は誤魔化すように、志乃のグラスにワインを注いだ。


「咲良ちゃん、遠慮しないでなんでも聞きな。あたしは隠り世に住む人間の先輩なんだからさ!」


 背中をばんばん叩かれる。咲良はおずおずと口を開いた。


「神隠しでこちらに来たんですよね?」

「そうだね」

「青藍さま、えらい神さまとかに怒られたりしなかったんですか?」

「お縄になったよ。隠り世の事情を人間に話すのも本当はご法度。出雲に護送されて、しばらく牢屋に入ってた」

「ええええ!」


 咲良はワインボトルを取り落としそうになった。


「そのうち奉行所に引っ立てられるだろうね……」

「昴さまが前科者に……!」


 咲良は顔を青くして志乃を見た。


「ま、たいていすぐに出されるよ。見せしめみたいなもん。反省するまで座敷牢に入れられるけど、すぐ出てくるさ。多分、一ヶ月くらいで。郷の山犬の長老たちなんて、それでこそ男だとかなんだとか言ってるし」

「そうだよさく、昴さまはとっくに覚悟してる」

「昴さまは……わたしをここに置いてくれてるだけなのに……」


 おとが咲良を勝手に匿ったことについて「処分はなんなりと」と頭を下げていたのはそういうことだったのだ。


「大丈夫大丈夫。本来禁錮刑用の牢屋だけど、荒振神でもない神を殺すとか、死にゆく者をこっちに連れ戻すとかしない限りすぐに出られる」


 咲良は昨夜の自分を思い出した。それだけ覚悟をしている男になんて酷いことを言ってしまったのだろう。

 ちゃんと伝えなければ。


「今日ちょっと、昴さまにお話ししてきます。あの、志乃さま」

「なんだい?」

「寿命を半分、もらったんですよね?」

「ああ。当時は申し訳ないことをしたと思ったけど、今はこれでよかったと思ってる。あたしが先に死んだら、青は確実にダメになってただろうから」


 咲良はそれを聞いて、後追いの話を思い出した。

 昴の元婚約者も恋人の後を追って死んでしまった。


「あの、青藍さまってやっぱり初めて会った時からなんか……特別だったんですか?」

「最初は別に。顔はあのまんまだったけど、人に化けてた。格好いいとは思ったね。当時あたしは大見世おおみせにいたけど、花魁でもなんでもなかったから、初回から飲食して寝所に行ったんだけど……青ってば全然手を出していかないんだよ。大枚はたいてるのに!」


 吉原では花魁は三度通わないと同衾しない。咲良は時代劇好きゆえ知っていた。

 志乃はそこまで高位のランクではなかったようで、飲食後は最初から寝室に行ったようだ。


「典型的な山犬の純情男子ですね……」


 おとはくすりと笑ってワインを一口。


「嫌じゃなければ話でもしようって言われて、朝まで話してた。それがさ、五回くらい続いたんだよ。この男隠れキリシタンか何かかなって疑った」


 咲良は噴き出しかけた。

 そりゃあそうだ、そんなにずっと手を出されなければそう思っても仕方ない。


「で、なんて言ったと思う? 『同じ空間にいるだけで幸せ』とか言うんだよ。あたしはひっくり返りそうになった。意識しだしたの、そこからだね」


 ひととおり馴れ初めを聞いた。志乃がグラスのワインを飲み干したので、咲良はそれを見逃さず、すかさず慣れた手つきで注ぐ。


「ありがとう。それにしても、スパークリングワインって美味しいんだね。初めて飲んだよ。いつも赤とか白とかばっかり飲んでた」

「辛口のスパークリングはどんな食事にも合うし、便利ですよ」

「ねえねえ。現世のスーパーとかでたまに買い物するんだけど、ワインっていっぱい並んでるけどどれ選べばいいのかさっぱりなんだよね」


 おとも頷いて口を開いた。


「せっかくだからさくに色々教わるといいですよ」

「まずは予算と色を決めて、ラベルの裏側見ると結構表示が出てるからそれを参考にしてください。甘口とか辛口が五段階くらいで出てます」

「どこの国がいいとかある?」


 咲良は腕を組んだ。


「そうですね……。たとえば、辛口の白ワインを探しに行って、同じぶどうのものが二本、同じ値段で並んでいて、チリとフランスだったら……わたしならチリワインを買います」

「え? どうしてだい? ワインって言ったらフランスだろ?」

「そう、ワインといえばフランスなんです。同ランクのワインが並んでたら、確実にフランスワインの方がお高いんですよ。だから、今回はチリの方がランクは上です!」

「「なるほど!」」


 おとと志乃の声が揃った。


「え、咲良ちゃん。もっと教えとくれよ!」

「もちろんです!」


 三人は料理に舌鼓を打ちつつ、恋バナや酒の話で盛り上がり、夜はふけていったのであった。 


***


 その後。

 昴と青藍は適当なところで大げんかを切り上げたらしく、昴の部屋で酒を飲みながら話し込んでいる、と隆爺に聞いた。


 話をしに行くのは諦めたほうがいいかもしれない。 


 乾杯くらいしかまともに酒を飲んでいない咲良は、寝る前にゆっくりと風呂場に向かった。毎日ここの湯に浸かって、今までにないくらい肌の調子がいい。


(やっぱり温泉って肌にいいんだな……)


 ぽちゃり、と水音が鳴った。

 今も頭の中は昴のことでいっぱいだ。


 咲良はふと己の指に視線を向けた。

 このお湯に浸かっても水仕事で荒れ放題だった指先も、今や昴がくれた軟膏のおかげですっかり綺麗になった。


 やっぱり、昴が好きなのだ。

 この宿の皆も、大好きだ。


 咲良はざばりと湯から上がると、肌着の上に寝巻きを着た。

 寝巻きとはいえど、元は昼間着る着物だったものを着古したもの。別にこのまま室内を出歩いてもなんの問題もないので、上に一枚羽織って皆の集う囲炉裏前に向かう。


 みんなが言うに、青藍はもう昴の部屋から退室したという。

 咲良は決意を固めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る