第31話 龍の来訪

 昴の調子があまりよくなさそうな状態のまま、ついに龍が来る日が来てしまった。


 遠目に見た龍は、とても華やかな容姿をしていた。


「あの白くて髪の長い男は阿武隈あぶくまぬしだ。で、左の女の方が北上きたかみぬしだ」


 隆爺がこっそりと咲良に耳打ちをした。

 阿武隈川の主は驚くほど背の高い男だった。すらりとして、中性的な顔をしていて、背中までのストレートな髪を下ろしている。


 いかにも神さまっぽい。


 一方、北上川の主は黒髪を結い上げ、豪奢なかんざしを差し、着飾った豊満な美女。出るところが出て引っ込むところが引っ込んでいる。そして、引きずるほど長い着物を身にまとっていた。


 どちらも東北を代表する大河だ。

 彼らはもちろんお付きの配下たちをぞろぞろと連れていた。


「さく、厨房にずらかってろ」

「はい!」


 咲良は表に出ず、引っ込んでいることになっていた。

 龍は鼻がよくはない、しかし、間近で姿を見られたらすぐに正体が知れてしまうからだ。


 咲良は隆爺に言われたとおり、厨房に向かった。

 これから彼らの接待が始まる。


 龍は謝罪に来たのになぜ接待しなければならないのかが少々不思議であるが、龍が訪れた店や宿は、それだけで日本全国各地への宣伝になるというのだ。

 つまり、箔が付く、ということである。

 それゆえ、自ら彼らをもてなすのが昴流らしい。


 まずは、間違いのない温泉を楽しんでもらってから食事となる。

 食事時には三味線や舞を披露する芸者などの手配も済ませてあると聞いている。


「さく、牛の塩釜焼きがいい感じだ」


 卵白と塩を混ぜて肉をおおい、それをかまどの灰の中に入れてじっくりと加熱したローストビーフだ。これは前菜だ。

 一切れ味見させてもらう。


「素晴らしい火加減ですね! これは……しそですか?」


 ほのかに爽やかなしその風味が香った気がした。


「ああ、ただの塩釜焼きにするとしょっぱくなりすぎるから、大葉で覆ってから塩で覆った」


 素晴らしいアイディアである。

 咲良は一番最初に出すロゼスパークリングを取り出した。

 これには、花びらを象った赤かぶの甘酢漬けを添える。


 龍は魚介を食べない。なのでとにかくさまざまな肉、野菜を用意したと聞いている。

 前菜も、ローストビーフ以外にも牛すじの煮こごりや馬肉のしぐれ煮、モッツァレラチーズの味噌漬けなどが並ぶ。

 前菜の中でも、和風のだしを使ったピクルスは咲良が提案したものだ。


 よし、絶対に成功させなければ。

 咲良は気合を入れた。


***


「なかなかに東雲しののめは暴れたようだな」


 中性的な顔をした眉目秀麗な阿武隈主あぶくまぬしが表通りの方に視線をちらりと向けて言った。

 手元には、損害の仔細が載っている。


「昴どの、おぬしもなかなかに重傷を負ったと聞いておる……今はもういいのかえ?」


 北上主きたかみぬしは真っ赤な紅を唇にさし、それから目元も派手な化粧を施した妖艶な美女だ。

 もちろん、着物も絢爛豪華な刺繍が目に眩しいほど。


(派手好きは変わらんな……)


「多少手傷を負いましたが、手前の不徳の致すところ」

「多少? 誤魔化すでない、いや、わらわはおぬしに心から感謝しておるのだ。おぬしほどの山犬でなければ東雲は止められんかったじゃろうて」


 昴はとっとと食事にしようと、控えていたおとに声をかけた。

 準備はできていた様子。まずは酒が運ばれてくる。

 ロゼのスパークリングだ。事前に打ち合わせしていた酒である。

 昴は口を開いた。


「少し早うございますが、もうそろそろ梅の咲く時期。梅色のスパークリングワインを用意いたしました」


 グラスの中に満たされた薄い紅梅こうばい色。美しく泡がのぼる。

 北上主の真っ赤な紅の塗られた唇が弧を描いた。


「これは美しい」


 龍たちはフルートグラスを手に取った。

 裏で頑張っている咲良や要などの皆のためにも頑張ろうと昴はグラスを掲げた。

 昴が口を開こうとすると、阿武隈主が先に口を開いた。

 

「昴どのに献杯しよう」

「かたじけのうございます」


 三人はグラス掲げて、皆もそれにならい、各々傾けた。

 

 その後も、宴会はつつがなく進んだ。

 関西風の白味噌の猪肉の鍋は両名にとにかく好評だった。要からはかなり多めに作ってあると聞き「よかったらもう一杯いかがか?」と昴が提案する。彼らだけでなく、配下の蛇や亀、鯉にも振る舞った。


 酒もどんどん運び込む。


 大河の主である神々は羽振りがいい。芸者には飲み物を好きに飲むようにと言っていたので、昴は芸者衆にこっそり白湯を振る舞った。見た目は酒にしか見えない。

 三味線に唄に舞にお酌、それから気遣いにおしゃべり。さすがに労りたい。

 宴会が終わったら個人的に心づけをやりたいと思う。


 その後、食事は一度中断し、皆で座敷遊びをするハメになった。

 阿武隈主に求められ、皆で投扇興に興じることになったのである。枕と呼ばれる桐箱の上に立てた蝶と呼ばれる的に向かって扇を投げるのだが、その時のそれぞれの姿勢で点が決まる。


 昴は負けて二杯ほど罰杯ばっぱいを重ねることになった。


(まだ腕の調子がよくないな……)


 ただの切り傷、骨折なら数日で治るが、毒はやはりそうはいかない。 


 阿武隈主はその後も芸者と何やら楽しそうに話をしている。彼は放っておくとして、必然的に北上主と話をすることになる。


「酒も料理も実に旨い。以前来た時とは違うな、新しい料理長にでも代替わりしたか?」


 北上主の質問に答える。


「ええ。先日別の者に変わりました。新しいもの好きなので積極的に洋食やワインなども取り入れております」


 次に出てきたのは昴の好きなグラタンだ。ひとりひとり鉄の小鍋で提供されるそれは、じゃがいもとうさぎの肉、それからほうれん草が入っている。


 合わせるのはどっしりと重めで芳醇な白ワイン。

 バターやクリームソースとの相性は言葉に表せない。


「そなた、こんなものをしょっちゅう食べておるのか?」

「いえ、流石にしょっちゅうというわけにはいきませぬ」


 他にも蒸し煮にした猪の肉、鹿肉の焼き物など豪勢に続く。


 キジの肉を使った釜飯ののち、食後の水菓子、つまり果物が出てくる前に、大河の神々は芸者の舞と三味線を所望したので、一度昴は中座した。


 三味線や唄の音、それから混じり合った香の匂い。

 悪酔いしてしまいそうだったのだ。


(外の空気でも吸うか……)


 彼は外に出ることにした。厨房側の濡れ縁に出て柱に背中を預ければ、星がまたたく夜空が天に広がっていた。

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