第24話 嘘が導くえにし

「おと、粋、日暮どのを部屋に案内してくれ。それから他の皆は離れでお待ちいただこう。隆、頼んだ」


 咲良と昴はふたりきりになった。


「咲良、よく聞け。今からひと芝居打つことになる」


 金色の瞳はいつになく真剣な色を帯びていた。

 

「はい」

「もう名も向こうにバレてるし、おぬしは不本意だと思うだろうが、これしかない。とりあえずおれたちは公にはしていないが婚約中という設定にでもしよう」


(婚約中!?)


「む、無理がありません?」

「何がだ?」

「いやほらどう見ても釣り合ってませんよ?」

「……年頃のおぬしに対して、俺がどう見ても問題のあるいい歳して未だ独身の隠居老人ということか?」


 昴の予想だにしない発言に、咲良はギャグ漫画ばりにひっくり返りそうになった。


「どうしてそんな発想になるんですか!?」

「事実だろ」

「何言ってるんですか昴さまめちゃめちゃ格好いいですよ! 三百歳なら若造って言ったじゃないですか!」


 咲良もそこまで詳しく知らないが、隆爺は先日聞いたところ八百歳らしい。

 それを考えると昴はどう考えても若い。

 

 彼は咲良の発言を聞いて、戸惑ったように目を逸らし、目に見えて嬉しそうに口元を緩めた。顔色の悪い頬にうっすら朱が差す。


(え?)


 格好いいと言われて嬉しかったのだろうか。咲良は混乱して彼の金色の目を見上げた。金色の瞳の中の黒豆のような瞳孔がギュンっと大きくなった。


「……そうか?」

「そうです」


 咲良としては、自分は人間だし、顔も平凡すぎて色々と無理あるのではと思っての発言だったのだ。逆だ。

 彼は咳払いをひとつした。


「話を元に戻すが……おれに話を合わせてくれ。大丈夫、なんとかする。あの男と会うのは久しぶりだが、昔から面識もあるしな」


 咲良は迷いのひとつもなく頷いてみせ、ふたりは客間に移動した。

 すでに日暮は誰かが出した茶と茶菓子でひとごこちついた様子である。


「日暮どの、待たせてすまなかった」

「いいや、こちらこそ突然押しかけたのにこのもてなし。感謝する」


 ここの主である昴は上座に向かった。

 彼は社持ちの神だ。そもそも日暮に比べ、神としても格上なのだろう。

 咲良は廊下に背を向けて控えていたおとや粋、隆爺のそばに座るべきか悩む。


「咲良、隣へ」


 昴の手が差し出され、咲良は右手を彼に預けた。男らしい手であるが、彼女の手をふわりと握る力はとても優しい。

 咲良は誘われるままに、彼の隣に腰を下ろした。その光景を、日暮は心底興味深そうに眺めていた。


 ふいに昴が隆爺に目をやる。隆爺は昴から何かを感じ取ったのか、一礼して退室した。日暮が咲良を見てくすりと笑みをこぼす。


「だんだん読めてきたな」

「そう言っていただけると話が早そうだ……まあ、本題に入る前に少し話をしよう、貴殿と会うのも久方ぶりのことゆえ」


 昴はもったいぶった様子で言った。


「そうだな……百年ぶりか? いや、もっとか百五十年くらいだな……息災そうで何よりだ。身体の調子もよさそうだな」


 咲良は日暮のその言葉を聞き、その煮豆のような目ん玉は節穴かとツッコミを入れたくなった。今日の昴は顔色も悪いし、声に覇気もない。


「あの頃に比べるとずいぶんいい。あの頃は貴殿も存じている通り、虎狼狸の毒が骨に入って起き上がるので精一杯だった」

「ここの湯は湯治にいいと聞いたが本当なようだな」

「ああ、江戸からこちらに拠点を移して正解だった」

「皆武蔵国むさしのくにの山犬の次期棟梁が惜しいことだと嘆いたが……そろそろ返り咲く日も近そうだな」

「あいにくだが、おれにその気は微塵もない。里には弟もいるのでな……」


(弟さんがいるんだ……)


 前にも、昴は虎狼狸との戦闘で身体を悪くしたのち、湯治のために温泉の出るこの地に拠点を移したと言っていた。

 山犬一門の次期棟梁と言われていたのが本当ならば、彼はかなりいいところの出か、それか神としてかなりの力があるということだ。


「弟君の名前は青藍せいらんどのだっただろうか?」

「そうだ。今は副棟梁をしている。あやつも息災と聞くな。ときにおぬし、ご内儀は元気にしておられるか?」

「あー、おぬしが会ったのは誰だったか?」

「すまんな名は忘れた」

「妻が十人おるゆえ……まあ、皆元気にしている」

「十人……」


 昴は口元をひきつらせた。

 咲良もドン引きした。妻が十人。どういうことだ。意味がわからない。


「ああ、山犬は妻はひとりしか持たぬらしいなぁ」

「いつ聞いても鹿の文化は摩訶不思議だ……」


 彼らはしばらく昔の思い出話に花を咲かせ、それからようやっと本題に入った。


「さて、貴殿もお察しの通りかとは思うが……咲良は人間であるが、彼女とはいずれ所帯を持つ予定だ、狩りの対象にしないでほしい」


 日暮はそれを聞いてしばらく表情を変えなかった。言葉も発しなかった。

 咲良の目にはそれが不気味に映った。

 昴の手が、咲良の方にのび、彼女の左手を取って勇気づけるようにそっと握った。


「下位のあやかしならば糾弾されて然るべきであるし、迷い子ならば処分せねばならんが……昴どのが神隠ししたのだろう?」

「そうだ、おれが連れてきた。爪をその場で与え、仮の手形とし連れてきたはいいが、彼女の霊力が大きくて、加工もしていないただの爪は鳥居をくぐった際に壊れてしまった」


 手形。咲良が帰るには、手形というものをもらう必要があると聞いていた。

 昴ならそれを作れるとも聞いていた。

 力ある神の霊力の宿る身体の一部、爪や牙、羽や角や鱗が必要らしい。


「なぜ直ぐに己の神具しんぐを作って与えるなり所帯を持つなりしていないのだ? 誤解されても文句は言えんぞ」

「神具に関しては一応おれも考えてはいたのだが……」


 首をぐるりと巡らせ、彼は咲良にほほえみかけた。


「ああ、前に言っただろう。山犬の牙や竜の鱗で作る宝玉のことだ。いずれ与えようと言っただろう? それを神具というんだ」

「ああ、以前おっしゃっていらっしゃいましたね」

 

 咲良はにこやかに話を合わせた。そんなものがあるのか。

 爪で作ったものとは格の違うものなのだろう。

 昴はふいと表通りの方を見た。


「貴殿も見ただろう、この通りの状態を。何か聞かなかったか?」

「いいや、まっすぐこちらにきたゆえ聞いていない」

「先日、荒振神あらぶるかみが出た。おれと我が神使で大人しくさせたが、みずちだったゆえ、毒をもらってしまってな」


 日暮はそれを聞き表情を変えた。


「なんということだ……」

「身体から毒が抜けるまでは爪も牙も毒されて材料にすらならん」

「……ならば先に形だけでも盃を交わして祝言をあげてしまえばよかったではないか?」

「咲良は父親を喪ったばかり。喪が明けてからにしようと話していたのだ。という事情があってな……そなたには遠慮はるばる、足労をかけた、ひとつ詫びよう。隆!」


 昴が廊下に向かって声をかけると、隆爺が「失礼します」と入室し、紫の布で包まれた何かを日暮の前に置いた。


 包みを開くと小判が輝いている。

 三枚だ。三両である。


(そんな大金……)


 一両を現世で使える円に変えると、手数料なども含め十五万円ほどする。

 つまり、三両は四十五万円。とんでもない大金である。 


「帰りは江戸に寄って帰るのだろう。宿や宴会代の足しにでもしてくれ」

「これはかたじけない。では遠慮なく妓楼ぎろうにでも寄らせてもらおうか。そちらの状況は理解した。我ら狩人、この度の無礼な訪問を詫びさせてもらいたい」

「気にするな、それでは花街で楽しんでくれ。では粋とおと、見送りを頼む」


 その後、日暮が退室してしばしののち昴が咲良の方を見た。


「妻十人と言ったかあいつ?」

「言いましたね……」

「それなのに妓楼で遊ぶのかあの男は……意味がわからん……」


 心の底から引いている昴を、咲良は不思議な目で見つめた。

 確かに数は多すぎるが、彼の生まれた時代のことを考えると、妾がいるのも妻帯しているのに遊びに行くなんてのもそれなりに地位のある身分なら普通の話ではないのか。


「正妻の他にお妾さんいたり、結婚しててもそういう店に遊びに行くって権力者は結構普通じゃないんですか?」 


 昴は信じられないものを見る目で咲良を見た。


「それはおれの感覚では普通ではない……」


 そばにいた隆爺が解説してくれた。


「さく、山犬は完全なる一夫一妻制、恋愛結婚ならぜってぇに浮気はしないし、そういう店は付き合いで宴会に行くくらいなもんだ」

「実際、昔々、山犬は政略結婚させられての自害や駆け落ちからの無理心中が多くて、今は基本恋愛結婚以外はほとんどない」


(そうなんだ……意外すぎる)


「さて、あやめを問い詰めなくてはだな……」


 昴の目が怒りに燃えていた。彼は部屋を出ていった。


「さく、ちょっといいか?」

「はい」


 昴を追いかけようとした咲良だが、隆爺に引き止められる。


「大将はあの鹿に『さくを奪ったらおれは後を追うかもしれないから手を出すな』って脅したってことだ」

「なっ……」

「山犬の男は自分の女が死ぬとよく後追い自殺をする。あの鹿も馬鹿じゃねぇ。それをよく弁えてるからあっさりと手を引いたんだ。実際大将がそんなことになったら、武蔵国の山犬連中と奈良の鹿どもで全面抗争になる」


 咲良は言葉を失った。


「大将はそれくらいいい家を出てるんだ。あと、本当は、狩人ってのはこっちに迷い込んだ人を殺して、その人間を売り捌くんだ。買った方は人間に化けて現世で暮らすようになる。子供やひとり暮らしだとか、独り身の人間だと好都合だ」


 咲良は驚きを隠せなかった。

 狩人の仕事は、隠り世に迷い込んだ人間を殺すだけでないようだ。その人間をなんと売ってしまう。そして、買ったあやかしは、その人になりきって現世に暮らす。


 なんてことだと背筋を冷たいものが伝った。


「まじめに人間に溶け込んで暮らしてる奴らも多いが、過激な奴らはそうやって手っ取り早く現世で生きる身分を頂戴するわけだ。そういうこった……わかったか? ん? あやめが騒いでんな」


 ふい、と隆爺が玄関の方を見て廊下に足を向けた。彼も耳がいい、何か聞こえたのだろう。

 咲良はどこか放心状態のまま、隆爺の後を追いかけた。

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