第23話 狩人

「ご存じ……だったんですね……」

「あやめにバレた。なんとか言いくるめたが納得してないだろう。この宿に奉公している者の中で広まりかねない」


 彼はそう言うと、咲良の手を離した。咲良は正座した膝の上で、拳を握った。


(あやめさんに……)


 なぜバレたのだ。隆爺やおとや粋がバラしたとは到底考えられない。咲良は必死で平静をよそおう。


「昴さまは、人間嫌いだって……」


 彼は人間嫌いだと聞いていた。咲良は人間だ。

 しかし、彼は、「今なら守ってやれる」と言った。守ってくれるのか。


「そりゃあ……人間という種族への印象は決していいとは言えないが、おぬしは……。毎日社に来て、おはようございます、いい天気ですね、今日もありがとうございます。いつもそうだ、大それた願いを請うてくるわけでもなく、小さい頃からそんなあいさつをしてくれる。そんな娘を嫌えるか?」


 昴はとっくに知っていたのだ。

 今になって色々と納得できた。彼はずっと、咲良を気遣って話を合わせてくれていたのだ。嘘をついている咲良の隠り世の知識量を確認し、困らぬようにさりげなくさまざまなことを教えてくれていた。


(やっぱり優しい人だ……)


「昴さま、あの」

「うん?」


 先をうながす彼の目は限りなく優しかった。


「嘘ついててごめんなさい。本当の、名前は……」

「知ってる。上條家の咲良」

「助けてください……なんでここに来ちゃったかわからないんですが、帰らなきゃ。わたし……お父さんの納骨があるし」

「親孝行な娘だな。もちろんだ、助けてやろう。もう気に病むな、悪いのはおとだ。まったく、上條の娘ならそんなむげにはしないというに。ここの者たちにはおれから説明しよう。あと、もう少し待て、手形を作ってやる。そうしたら鳥居を……なんだ?」


 彼は言葉を途中で切って、廊下に視線を向けた。ワンテンポ遅れて咲良の耳にやかましい足音が聞こえてくる。

 彼は血まみれの懐紙を火鉢に放り込んで、手拭いを火鉢の抽斗ひきだしに無造作に突っ込んだ。


「大将!」

「どうした粋?」


 すぱぁん! と障子が空いた。廊下から現れたのは、肩で息をする粋。

 いつも穏やかな彼の必死の顔に、ただならぬ事態を予想する。


「大将! 狩人が!」

「狩人だと? しまった、あやめか、よくも漏らしやがったな!」


 咲良は全く彼らの会話を把握できずきょとんとしてふたりの顔を交互に眺めた。粋が彼女の肩を掴んで彼にしては珍しい、少々焦ったような声で説明を始めた。


「奴ら、さくを始末する気だ! 狩人ってのは、隠り世に入り込んじまった人間を排除する集団だ!」


 もはやそんなことで驚くような咲良ではなかった。ここ数日あまりにあり得ないことの連続で、彼女は妙に肝が据わってしまっていた。


「レ点をつけると人を狩るですか……なるほど納得ですね!」

「言い得て妙だなとか思ってるだろ! おれも思った!」


 昴は笑い声をたてたが少々むせて咳き込んでいる。咲良は慌てて駆け寄ったが、彼は咲良に目配せをしてみせた。

 どうやら心配はいらないようだ。


「大将、笑ってる場合じゃないですよ! 向こうは上條咲良を出せって言ってます。今隆爺とおとが鹿の対応してますが、こりゃあ逃げられないですよ」

「そりゃぁ困ったもんだなぁ。なんとかしよう」

「策でもあるんですか?」

「そんなものあるか、今から考える。さてどうしたもんか」


 彼はそう言いながら刀掛けの刀を手に取る。ちら、と粋に視線を送り、短い方を「おぬしはこれを使え」と鞘ごと投げて寄越した。


「咲良、動くなよ?」


 彼はするりと無駄のない動作で刀を抜く。庭側の障子に、下から斜め上に一閃。


(すごい……)


 まるで映画のようにがらがらと庭側に落ちていった障子の向こうに、見たことのない男たち、五人の顔が並んでいた。

 袴姿の男たちは、腰に刀をいている。

 はらはらと粉雪が室内に舞い込んだ。

 昴が鋭い視線を向けた。


「ふぅん、烏と長鳴鳥ながなきどりどもか。人の家の庭をずかずかあいさつもせずに大人数でご苦労なこった。躾のなってねぇ野良鳥どもめ、焼き鳥にでもなりに来たか?」


 長鳴鳥ながなきどり。咲良は先日、隆爺から教わっていた。

 それは、鶏の別名である。

 粋は落ち着き払って口を開いた。


「焼き鳥にするならまず羽根をむしらないとですね」

「そんで産毛を火で焼いて、切り刻むと」


 やたら物騒なことをのたまう山犬ふたりは猟奇的な笑みを浮かべた。

 侵入者たちは明らかに怯えた様子で、腰の刀を抜いた。  


(狼だ……)


 生態系の頂点、肉食獣の風格である。


「……ときに粋よ、烏はどうする?」

「あいつら現世で人間の生ごみを漁る悪食ですよ?」

「腹を壊しかねんな」


 彼らは心底楽しそうに笑った。

 

「お、お前が武蔵国むさしのくにの昴だな? 人間を匿っていると聞いたぞ!」

「ああ? だからどうしたってんだ?」


 昴は鼻で笑って見せた。

 彼らならここで追い返すのは造作もないだろうが、いったいどうするつもりなのだろう。


 東京の多摩などをかつて武蔵国と言ったと聞いたことがあった。

 狼を信仰する神社はいくつかあり、総称して狼神社とも呼ばれることがあるようだが、先祖は奥多摩の神社より御霊みたまを分けてもらい、あの社を建てたと咲良の父は話していた。


 粋がちらりと背後の廊下に目を向け、小声で昴に耳打ちした。


「大将、鹿のにおいです」

「隆とおとが入れたとなると、まともな奴だな」


 彼らの話から察するに、隆爺とおとは鹿をこの旅館に入れたらしい。


「大将、お客人です」


 廊下から、冷静な隆爺の声が咲良の耳に届いた。


「昴どの、失礼する。狩人の元締め、春日かすが日暮ひぐらしだ」

「入ってくれ」


 廊下から現れたのは、明るい茶色の髪が印象的な知的な声音の男であった。


「少しは話のわかりそうな奴が来て安心した」

「配下が手荒な真似をしてすまぬ。おぬしら、刀を下ろせ」


 庭の男たちが刀を納めたことを確認し、昴も納刀した。


(時代劇で見るやつだ!)


 咲良はその流れるような所作に興奮を隠しきれなかった。

 もちろん彼女自身、今はそれどころではないことはわかりきっている。

 昴は先ほど喀血したばかり。わかりきっているがどうにもならない。だって、とんでもなく格好いいのだから。


「場所を移すか」


 昴は静かに提案した。

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