第25話 あやめの暴走

「なぜ人間をおそばに置くんですか!?」


 番頭台の前。あやめが昴に食ってかかっており、わらわらと従業員が集まっていた。


 これでは皆にバレてしまう、ああ、なんてことだと流石の咲良も顔を青くした。 


「上條の娘を保護して何が悪いと言うんだ」

「昴さま、人間に惑わされているんです! みんな聞いて! さくは人間です!」

「おれが惑わされてる? そんなわけあるか」

「昴さま、人間お嫌いでしょう? 昔、婚約者を人間の男に奪われたというではありませんか!」


(なんだって!?)


 咲良がぎょっとしていると、おとに手を引かれた。


「さくはこっちにおいで!」


 おとと隆爺に促されてその場を後にする際、地を這うような低音の昴の声が聞こえた。


「ここの長はおれだ。仲間を狩人なんぞに売るやつは許さない」


 ひとまずおとと粋の暮らす離れに逃げ込む。

 囲炉裏の前にへたり込む。どうしよう、どうなってしまうんだ。

 隆爺も咲良の隣に腰を下ろし、拳を床に叩きつけた。


「ああ、ふざけんなあやめよぉ……大将があんだけ鹿野郎に袖の下握らせたって言うのにああも騒がれちゃ……」


 袖の下。やっぱりあれは口封じのための賄賂であったか。ここの通りに住むのは狐やたぬきなど耳のいい者ばかり。

 通りにも確実に聞こえているだろうし、今日は宿の門を修繕している職人もいる。確実に町中に広まるだろう。


「さく、すまないね。まさかこんなことになるなんて……そうか、大将、さくのこと気づいてたんだね」


 おとのその言葉に、隆爺が咲良とおとに今までのことと次第を話してくれた。

 昴はすぐに咲良の正体に気づいたこと。粋と隆爺には気づいていることを話したこと。

 彼は、自分の爪を使って咲良を現世に戻そうとしていたが、肝心の材料である爪を切る前にみずちの毒に冒されてしまったこと。


「昴さま……」

「大将はちゃぁんとさくのこと考えてくれてたんだ。さくを現世に帰そうとしてくれてる」


 俯いていた咲良に噛んで含めるように言ったのは隆爺であった。


「わたしのことはいいんです。でも、ここで働いてる皆さんの仲たがいとかがあったら……ごめんなさい」

「安心しな。そこまで大崩壊はしないと思う。ここで奉公してる面々で、一番の人が嫌いなのがあやめだ。次は、次が困ったことに……要だ。そのほかは基本は大丈夫。この町のみんなも基本的に人間好きな連中が多い」

「そっか、要さん……」


 あれだけいつも一緒に料理やワインの話で盛り上がった要。

 怖い。彼を裏切っていた自分が怖くて仕方なかった。

 いつも穏やかで理想の料理人。咲良には和食の知恵や包丁の使い方など基礎的なことを色々と教えてくれた。


「かわうそも、現世だと滅んじまってるからなぁ」


 隆爺がぼそりとこぼした。ニホンカワウソも、絶滅宣言が出された生き物である。人間の環境破壊や毛皮のために駆られたせいで。


 おとは「もうなるようにしかならないから、大将に任せな」と言って緑が鮮やかな煎茶を淹れ、干菓子を出してくれた。

 するりと口の中で溶ける和三盆の甘さに少しだけ心が癒された。


 その時。


「おれだ、入るぞ」


 昴の声が聞こえた。おとが応じると、戸ががらがらと開いた。

 そこには昴と、それから彼の後ろに要がいた。


「皆に話してきた。大丈夫だ、上條の娘ならと皆納得してくれた」

「さく、辛かったな」


 履き物を脱ぎ散らかし、土間に飛び上がって咲良の前に正座したのは要だ。咲良は顔を上げられなかった。


「黙ってて、嘘ついてて申し訳ありませんでした……」


 咲良は頭を下げた。何を言っても言い訳でしかない。咲良にできるのは頭を下げることのみ。 


「気にすんな、辛かったな。おれは多分、ここの奉公人の中だととんでもねぇ人間嫌いだが……でもさくのこと、嫌いになれねぇよ」

「要さん……」

「最初から人間だって言われたらここを出てったかもしれなかったけど……なぁ、まださく、どっちみちすぐには帰れないだろ? 菓子とか買ってきて欲しいものあったら、現世行ったついでに買ってきてやる。これからも色々教えてくれ。お前といろいろ考えるの楽しいからよ」


 咲良は要の顔を見上げた。いつもと同じ顔の彼がいた。

 ぽかん、と彼を見上げていると、上がりかまちに腰を下ろした昴が言った。


「冬場だし、ケーキでもいいんだぞ」

「ケーキ!?」


 咲良声がワントーン高くなった。


「シャンパンも買ってきてやるよ、なんのケーキが合う?」


 昴がふふ、と笑いを漏らした。


「フルーツタルトとかいいと思います!」

「いいな、おれも食べたい」


 昴も身を乗り出した。やはり、昴は甘いものが大好きである。


「じゃあさく、昴さまもそうおっしゃってるし、ホールで買ってくるから楽しみにしてろ。昴さま、おれは皆の夕飯の仕込みがあるんでそろそろ戻ります。夕飯は鴨鍋でいかがですか?」

「鴨か、最高だな。楽しみにしてる」


 要は土間に降り、思い出したように咲良の方を振り向いた。


「さくは今日は休んどけ、おれに任せろ」

「ありがとうございます!」


 扉から要は出ていった。


「よかった、なんとかなりそうだな……それにしても、おと」

「はい……処分はなんなりと」

「いいや、今回の策、悪くなかったな。結果的にあやめ以外は納得しているし。だからお咎めはなしだ」

「大将、ありがとうございます」


 そういえば、あやめはどうなったのだろう。

 咲良がそう思えば、隆爺も同じことを考えていたようだ。


「そういや、あやめはどうなったんです?」

「部屋にこもってる。あれは、多分出ていくな」


 咲良は居た堪れなくなった。


「ごめんなさい……わたしのせいで」

「咲良が気にすることじゃない、そもそも、仲間を売るような奴は遅かれ早かれ何かしでかすし、それじゃなくともあやめは要注意状態だった」

「そうださく、潮時だったんだ、おめぇはなんにも悪くねぇ」

「隆の言う通りだ。では、おれも戻るか」


 そして咲良ははっと思い出した。

 彼の部屋で菓子を食べ、食器やら何やら置いたままであった。


「あ、おやつのお皿、起きっぱなしでした! わたし、お片付けしますね!」

「ああ、すまんな」


 彼が腰を上げ、ついて行こうとしたその時だ。

 昴は激しく咳き込み始め、立っていられないようでその場に膝をつく。


「昴さま!」

「大将!」


 皆が駆け寄り、咲良が背中をさすってやったが、なかなかおさまらない。

 口元をおさえるその袖口が、真っ赤に染まっていた。

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