第19話 真夜中の卵酒

「ならば少し……甘いものがいいな」

「軽めとか重めとか、ありますか? 豆乳とか牛乳もありますし……あとはスッキリ系だったら果汁絞ったりもできますし」


 レモンはないが、なにかしら柑橘系の果物はあるはず。ホットレモンもどきはできるはずだ。


「あまり果物という気分ではないな」

「わかりました、お任せください!」

「さく、無理するなよ?」

「大丈夫です!」


 咲良は頭をフル回転させながら厨房に向かった。


 蜂蜜がある、ホットミルクがいいかもしれない。いやしかし、あれだけ大量出血をしたのだ。もっと血肉になるものを飲んでほしい気もする。


 あとは、隆爺が毎日作っている米麹の甘酒。でも飲み飽きているだろうしとも思いつつ、蓋を開けた。

 やはり、甘酒は十分な量が残っている。


 何か美味しいものは作れないだろうか、と厨房をうろうろ歩き回り、食糧棚を覗けば大量の卵があった。

 あ! と咲良は閃いた。


「卵酒にしよう!」


 風邪をひいた時、祖母がよく作ってくれたものだ。身体が温まるように生姜も入れてくれたっけ、と生姜をごそごそ持ち出し、すりおろして搾り汁を作る。


 祖母のレシピでは日本酒で作るのだが、今回は甘酒で作ることにした。

 

 いくら火を入れてアルコールを飛ばしたとて、やっと起き上がって水分を取れるようになったばかりの彼に日本酒で作った卵酒はよろしくないかもしれない。

 その点、隆爺の甘酒は米麹で作った甘酒だ。それゆえノンアルコール。最適である。


 卵をふたつ椀に割って、とりあえず箸でかき混ぜる。泡立て器で少し泡が立つくらいにふわふわにするのがいいのだが……と、首を捻って抹茶を立てる時に使用する茶せんを持ちだし、それで必死で泡立てた。


 右手首がもげそうになったので、なんとか現世から泡立て器を取り寄せてもらえるよう要に交渉しようと咲良は決意した。


「はぁ……これはきついな」


 小鍋に移した甘酒に少し牛乳を加え、七輪の火にかける。十分加熱されたら、火から下ろして卵を流し入れ、もう一度火に戻してとろみがつくまで加熱する。

 ここで火を入れすぎると卵が固まってしまうので要注意だ。


「よっし!」


 ふわふわの卵酒ができた。

 それを自分の分と昴の分、ふたつ並べたお椀に注いで、盆に乗せて昴の部屋に足を急がせた。

 片付けなんて、後ですればいいのである。「失礼します」と声をかける。


「入ってくれ。へぇ、卵酒か? いや、甘酒?」


 彼は湯呑みの白湯を飲みながら待っていたようだ。

 お椀の中を見ていないのに、おそらく嗅覚だけでそこまで言い当ててみせた。

 さすが、狼である。咲良は彼の近くに膝をついて、どうぞ、と差し出した。


 咲良は、彼が着替えを済ませていることに気がついた。


「普通日本酒で作りますが、お酒飛ばしても今の昴さまのお身体に良くないのではと隆爺の甘酒で作りました。適温だと思います」

「かたじけない。ありがたくいただこう。では、」


 そう言って、彼は左手で持ったお椀を掲げた。はて、と思った咲良であるが、ああと思い立って自分のお椀を持ち、小さく合わせた。


(うん、よくできてる。美味しい……)


「これ、美味いな。生姜か?」

「はい、温まるかなって思いまして」

「なあさく」

「はい」


 一瞬ためらうそぶりを見せた後、彼は口を開いた。


「明日も時間があったら作ってほしい。要と忙しく何やらやってると聞いたゆえ、時間があれば、の話だが」

「作りますよ! もちろん!」


(粋さんに卵泡立てるの手伝ってもらおう……)

 

「美味かった。いいな、甘酒の卵酒か……初めて飲んだ」

「まず大前提として、隆爺の甘酒が美味しいんですよ」


 飲み干したお椀を盆の上に置いたが、なおも話したそうな様子の昴がいて、さすがの咲良も「もう横になってはいかがです?」と遠慮がちに提案する。


「わかった。寝る」

「みんな心配してますから、無理しないでください」

「うん」


 思ったより素直に彼は頷いた。

 横になる時かなり辛そうだったので手を貸して、布団をかけてやる。

 濃く長い烏の濡羽色のまつ毛にふちどられた金色の目が少し名残惜しそうに咲良を見ていた。


 咲良とてもう少し話していたかったが、彼の体調がどうしても心配だった。

 

「ゆっくり休んでください。おやすみなさい、昴さま」

「おやすみ」


 彼に背を向けた時、もう一言声が飛んできた。


「そうだ、さく。ここでの暮らしはどうだ?」

「楽しいですよ」


 それは、心からの言葉であった。


「ずっといてくれても構わんからな」

「ありがとうございます、では失礼します」


 これ以上ここにいてはいけない。やはり彼に惹かれている。

 咲良は彼の部屋を辞して厨房に戻り、大急ぎで黙々と片付けをこなした。


 彼の言葉が、耳にこびりついて離れなかった。彼はなぜ、あんなことを言ったのだろうか。


「楽しいだろうな……」


 これからもずっと、彼の元で働けたらどんなに楽しいだろうか。でも自分は誰よりも早く死んでしまう。昴はあんなに若く見えるのに三百歳。


 おとだって聞くところによると百歳を超えている。


 せめて、ここにいる間の記憶。特に昴との記憶だけは永遠に失いたくないと思った咲良であった。

 誰も現世に帰ったのちのことは語らなかったが、人間が隠り世の記憶を持ったまま現世に帰れるとはとても思えなかったからだ。

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