第18話 和食とワインと、夜の遭遇

 届いたのは、咲良が頼んでいたワインだ。

 昔の職場で出していたり、あるいは個人的に気にいっているちょっと高級目のラインをなんとか思い出し、紙に書き、そうして現世から仕入れてもらったものである。


 大八車に乗せられて、大量に届いたそのうちの一本を要が興味深そうに手に取った。


「これは全部美味いということだな?」

「合わせる料理によっては最悪にも最高にもなると思います」


 隆爺は土間の上がりかまちに腰掛け、ある一本を手に取って「なるほどわからん!」と笑っている。


「各々一本は味見用に買ってるので、要さんに試飲お願いしたいです。隆爺も飲みます? ほら、わたしたち今厨房から離れられないですし。外から運んできたから、いい感じにワインも冷えてますし」


 かくして、真っ昼間からのワイン試飲会が始まった。

 合わせるのは、とりあえずその辺にあった漬物などである。


「しば漬け、それからこの千枚漬け、あと白菜の浅漬けですね。どれがどれに合うか、試してみてください」


 咲良が開けたワインは、桜色のカラーが美しく、立ち上る泡がフルートグラスによく映える南フランス、ロゼのスパークリング。イタリアのさっぱりした辛口白ワイン、それからまろやかな風味のフランスの辛口白スパークリング。


 要も隆爺も、各々好きにグラスを手に取る。


「このロゼは綺麗だな、しば漬けに合いそうだ……色味も合うし」


 と、要。いい読みだ、さすが料理人である。


「これ、桜の時期に客に出したらいい感じにうけるんだろうなぁ。梅でもいい」

「違ぇねぇ、さすが隆爺。こう、桜の花びらとか、塩漬け並べて、夜桜見てもらいながらとか……」 


 ふたりはテンション高々に乾杯して、それから漬物に箸を伸ばす。ボリボリ食べてまた酒を傾ける。そうしてああだこうだと議論が始まる。


(いいな、こういうの……)


 咲良はブイヨンを煮込んでいる鍋を見に行き、結構水が減っていたので、水を足した。

 咲良が戻ると、隆爺がしたり顔で口を開いた。


「さく! このロゼにはしば漬けだろ!」

「正解です! 梅っぽい風味とか酸味も合いますよね!」

「千枚漬けはちょっとまろやかな風味だ、だからこっちの白スパークリング、そして残りの白はさっぱり系だからこの浅漬け!」


 要も実に楽しそうに言った。


「そうなんです! だから、無理に洋食を新開発して合わせずともいいんです! 和食にも十分合わせられるんですよ!」


 要ははっとして見せ、隆爺が頷く。


「おめぇ最近悩んでたもんなぁ」

「そうか……」

「今回、山梨とか、長野のワインを仕入れました。国産って赤でも結構穏やかなんです。マスカット・ベーリーAって品種なんか、赤ですけど若干だしっぽい風味がするんです。和食にもばっちりです」

「なるほどな」

「なので、先付けはたとえばロゼスパークリングとかにして、白味噌の鍋とかはまろやかな白ワインを出して、醤油を使った煮物系には赤を合わせるとか……」


 要は手元のグラス白ワインを見つめた。


「ちょっと気が楽になった。ありがとな、さく」


***


 夜。


 昴はまだ水分しか受け付けなかったが、ブイヨンをのばした洋風のスープにいたく満足したと聞いた。


 咲良はそれを聞いてひとまず安心し、早めに布団に入ったが昴のことがどうも頭から離れず目が冴えて、むくりと起き上がった。


「何か飲むかな……」


 はんてんを着て、廊下に出ると足が凍りそうで、分厚い足袋を履いてから室内用の草履を履いた。

 厨房に向かう時、ちょうど昴の部屋の前を通りかかる。

 大丈夫だろうか? 心配になったその時だ、不意に障子が開いて、よろけた昴が現れて廊下の壁にぶつかり、ずるずる廊下に座り込んだ。


「昴さま!」


 咲良は慌てて駆け寄った。


「どうしたんです?」

「いや少し……喉が渇いてな」


 ははは、と渇いた笑いが漏れた。

 いや、笑い事ではなかろう。咲良は肩を貸し、とりあえず彼には一旦寝室に戻ってもらうことにする。


「ベルか何かで呼びつけてもらえれば、誰か飛んできますよ」

「流石にそれは申し訳ないと思ったんだが……この体たらくですまない」


 寝室の布団の上にあぐらをかいた彼の寝巻きを見て、咲良はぎょっとした。赤い。


「昴さま、血が……」

「あー、なかなか止まらないな」

「包帯、変えましょう。着替えないと」

「流石にそれは……」


 渋っていた彼ではあるが、咲良はなんとか説得した。収納から着替えや薬、包帯を取り出し、それから水を持ってきて湯を沸かす。


 昴はなおも脱ぐことを渋っていたので、寝巻きの袖から腕を抜いてもらい、上半身のみを脱がせる。上半身はほとんど包帯で覆われていたが、脇腹の傷から血がにじんでいる。


(すごい……)


 彼はどうやら着痩せするタイプである。素肌の肩から上腕部の筋肉や包帯に覆われていても隆々とした背中や胸筋に驚かされる。


「止まらないというほどではない、血止めの薬を塗って布でも巻いておけばどうにでもなる」


 彼は笑い飛ばしたが、包帯を解いた咲良は他のことに驚いていた。

 彼の背中の傷跡である。

 

 右から左に向かって、鉤爪のようなもので斜めに引っ掻かれたような痕が残っている。彼は咲良の視線に気づいたようであった。


「ああ……幕末にな」

「幕末!?」

虎狼狸ころりにやられた。南蛮の妖怪だ。毒がある」

「ああ、前に話してくださった……」


 虎狼狸、人はそれをコレラと呼ぶ。


「虎狼狸に対し、我ら山犬を祀る神社への参拝者が激増した。憑き物落としの益があると考えられたからな……だから皆、人間たちの願いに応えなければと虎狼狸を必死で狩った。江戸は本当にあの当時、多かったな……」


 彼は懐かしげに語った。


「結果、現世の山犬は魔除の道具にされた。毛皮だの骨だのを神棚に祀るために狩られ、更に向こうから持ち込まれた狂犬病や他にも諸々伝染病が流行って、懸賞金がかけられ……で、滅んだってわけだ」

「現世だと、未だに狼の印象ってよくないですよね……西洋文化の影響で」


 赤ずきんで有名なグリム童話でも、そのほかの海外からのおとぎ話でも、常に狼は悪者だ。


(昴さまも、おとさんも粋さんも、こんなにみんな優しいのに……)


「時代にうまく適応できなかった……俺はそう思うことにしている。人間も全員が全員、悪い奴らじゃないからな」


 彼の指示通りに薬をつけた布を当て、それから包帯を巻いた。


「大丈夫そうです?」

「ああ、なかなかうまいな」


 彼は慣れたように袖に腕を入れ、寝巻きを元のように着直した。「寝巻きは後で着替える」と彼は言った。よほど、咲良の前で下着姿になるのが嫌な様子だ。


「飲み物、まずはお水は持ってきましたけど、あとは何がいいですか? スープとか、他にもご希望があれば」

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