第17話 昴の容態

 翌朝。


 ろくに寝ることもできないまま朝になってしまった。

 かといって眠気もなく、咲良は絶不調ながらもぞもぞと布団から這い出て、鏡で自分の顔を見た。


 目の下のくまがひどい。

 顔色を化粧でなんとなく誤魔化して厨房に顔を出し、朝食の準備を手伝おうとすると、要に「昴さま、心配しなくて大丈夫そうだ」と声をかけられた。


「目が覚めたんですか!」

「ああ、さくのこと、気にかけてたって聞いたぞ。仕事なんていいから、顔見せてやれ」


 咲良は抱えていた薪と火種にする杉の葉っぱを放り出した。そのまま、昴の部屋にひた走る。


(昴さま!)


 障子に手をかけそうになって、流石にそれはマナーとしてダメだと外から声をかけようとすると「さくだな、入れ」と昴の声が聞こえた。


 匂いなのか、足音なのか、とにかくすでにお見通しなようだ。普通に会話できるくらいに回復しているようで、咲良は安堵の息を吐いた。


「さく、気にせず入りな!」


 聞こえてきたのはおとの声だ。「失礼します」とゆっくりと障子を開けた。


「さく、怪我はないか?」


 布団の中で横になっている昴であったが、意外にも声はしっかりしている。

 顔色は青い。

 あれだけ大量出血し、今も毒が抜けていないのだ。


「怪我、してないですよ。昴さまが守ってくれたじゃないですか……」

「よかった……おれは自分は死んだかと思った。三途の川が見えた」

「三途の川……」


(それは仏教では……)


 咲良は混乱して、背中に謎の冷や汗が止まらなくなった。あれ、三途の川は仏教だった気がする。違っただろうか。咲良の目があっちこっちに泳いだ。


さいの河原で石を積む童子の姿が……」

「さく、さっさと笑ってさしあげな! 笑うとこだよ!」


 昴の言葉を遮るようにおとの言葉が飛ぶ。

 なんだと、からかわれていたと言うことか? 咲良は目を見開いて唖然とおとを見つめ、それから床に臥せった男に視線を移す。


「え、ふざけてたんですか?」

「悪い、ちょっとからかってみたくなってな……ふっ、面白いなおぬし。しまった笑うと傷に響く……」 

「大将、傷が開きますよ!」

 

 おとにぴしゃりと言われると、彼はその後ももごもご何か言っていたが、やがてうっすら開いた目を閉じて、寝息を立て始めた。


「まだ毒が抜けてないんだ。でもずっとさくのこと心配しててね」

「そうですか……」

 

 彼は戦闘が終わった時も、咲良に怪我はないかと聞いてきた。


「水も茶も飲めてる、水分なら大丈夫そうだ。要となんか相談して味噌汁か何か用意してほしい」

「わかりました!」


 咲良はそそくさと退室した。自分がいつまでもいたら、寝ている昴の邪魔になると思ったからである。


 昼には吸い物の汁を持って行ってやり、夜は卵がゆと味噌汁を出してやったが、卵がゆは手もつけられずに下がってきた。


「食欲がなくて申し訳ないって言ってたらしい。おれ、食うよ」


 昴が残した粥は、隆爺が食べると言ってくれた。咲良は七輪にかけた鍋でそれを温め直し、せっかくだからと出汁に片栗粉を加えたあんをかけて三つ葉を乗っけてやると美味しかったらしく「あと三杯食べたい」と喜んでもらえた。 


 食後の薬の準備はあやめが行ったらしい。おとや粋、隆爺に要はあやめに対して思うところがあったらしいが、事情を知らない者もいるし、今の状態の昴を煩わせるのはよくないだろうと皆判断し、何もなかったように過ごしていた。


 咲良は意図的に昴のそばに近寄るのは避け、厨房での食事の準備の手伝いなど裏方に徹するようにしていた。


 自分は新参者だ。しかも、人間なのにそれを隠している上、彼がここまでの手傷を負ったのは咲良を守ろうとしたことに一因がある。

 あの結界を張るため、彼は力の大半を使ってしまい、結果的に苦戦することにつながった。


 あやめが咲良を非難するのはある意味正しいのである。


 あやめや昴に近寄るのはよそうと思っていた咲良だが、要はそうは思っていなかった。


「なあさくよ、俺はあやめに昴さま任せるくらいなら、さくに行ってほしい。慣れてんだろ、看病」


 咲良は要といる時間が長く、雑談がてら父親の介護経験の話をしたこともあった。


「まあ……ずっと父親の世話してましたし……でも、いいんです。ほら、私は新参者ですから。信用して、食事の準備させてもらえるだけで嬉しいですよ」

「お前は頼りになる。おれ、見る目はあるつもりだぜ?」

「ありがとうございます……でも、よしておきます」

「そうか……」


 咲良はこれほど親身になっている要をも騙している事実を思い出し、胸がぎゅっと締め付けられて、思わず下を向いた。


「悪かったなさくよ。じゃあ、あれだ、そこの鶏ガラで洋風の出汁を取りたい。昴さまもたまには別の味の方が食欲も出るだろうし、手伝ってくれ」

「任せてください!」


 にんじんやネギの青いところ、玉ねぎや大根の皮、干し椎茸などもある。鳥の手羽や足もある。


 これを煮れば、いいブイヨンが出そうだ。


 実のところ、これらの野菜は近隣の皆が差し入れてくれたものだった。

 昴におと、粋への感謝。それから昴が大怪我をして寝込んでいると聞きつけての見舞いの品である。

 ふたりはブイヨンづくりを始めた。要が鶏ガラを適度な大きさに割り、咲良が余分な脂を取り除き、水でよく洗う。


「あの、東雲しののめさまのご様子は?」

「昴さまに噛まれて流石に毒気が抜けたようになってる。食事もきちんと摂ってる」


 牢に放り込まれた東雲は、今や正気に戻り大人しくしている様子。山犬の牙には破魔の力があるらしく、それで正気に戻ったようだ。


 しかし、ため池は埋め立てられてしまったので、隠り世も更地の状態になってしまった。


 彼女の配下の蛇のあやかしたちが訪れて彼女の様子を見にきたらしいが落ち着いているようだ。

 住処がなくなってしまったが、おそらく上位の龍が身柄を引き取りに来るだろうとのこと。


「水から火にかけるんだよな?」

「そうです!」


 大きな鍋に水をはり、鶏ガラを入れる。要は古めかしい現世の本を持ってきて開いた。


「強火とあるな。ひたすらあくを取るようにと」


 流石に咲良もブイヨンの正確な取り方なんて知らないので、その本に従うことにする。しばらくあくを取りながら煮込み、野菜を入れてまたあくを取りながら煮る。そして、胡椒を加えて本格的な煮込みになる。


 途中水分が減ってきたら都度水を足すのだが、煮込む時間は二時間。自然と料理の話になる。


「客に出す先付けの件なんだが、先付けと一緒に最初にワインを出そうと思うんだ。合いそうなものは?」

「やっぱり最初は辛口のスパークリングですね」

「発泡系だな?」

「はい、炭酸があると爽快でさっぱりしてますから、温泉を楽しんだお客さまでもスッキリ飲めると思います。それから辛口のものはどんな料理にも合わせやすいですし、何より、スパークリングは他の非発泡系のワインに比べて度数が低くて炭酸でアルコール臭さも感じにくく、飲みやすいです」


 ちょうどその時だ、裏口がガラリと開いた。


「おふたりさん、ワイン届いたぞー!」


 そこにいたのは、杖をつきながら歩いている隆爺であった。

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