第16話 昴の治療
刀への魂移しを解いた途端、昴は目に見えて苦しみ始めた。
咲良はそばで声をかけることしかできない。介抱していたのは隆爺だ。粋が半鐘を鳴らすと避難していた皆が戻ってきて、今や昴は屋敷に運ばれて、医者の処置を受けている。
咲良とおと、それから隆爺は昴の治療が終わるのを待っていた。昴に付き添っているのは粋だ。時折うめき声が聞こえる。傷口を縫っているのだろう。
傷を薬で洗ったときは流石の彼もうめき声くらいでは済まなかった、力のある男衆で押さえつけても暴れた彼に飛ばされたと聞いた。「あれだけ暴れられれば心配せんでいいですわ」とたぬきの医者が言っていたが、咲良はハラハラしっぱなしだった。たぬきが自分自身に言い聞かせているようにしか見えなかったからである。
明らかに不穏な空気が漂っている。昴はかなり悪いらしい。
みずちの毒とは、それほどひどいようだ。
長くなりそうなので、咲良たちは隆爺の部屋に場所を移した。
おとは頭や額、腕に切り傷があって頭に包帯を巻いていた。咲良は今、隆爺の足に包帯を巻いている最中だ。
隆爺の足は捻挫らしい。しばらく氷嚢で冷やしたのち、薬をぬった布を患部に貼り付け湿布とし、その上から包帯を巻いているのだ。
「わたしがもうちょっと役に立ててれば……」
「おとさん、足を引っ張ったのはわたしです。わたしがいなかったら……」
「ちげぇぞ、さく。誰も悪くねぇ。そんなこと大将が聞いたら怒るぞ。おれたちにできることは、大将が元気になるまでそばで世話することだ」
「そうだよさく、あんたは悪くない」
「はい……。隆爺、終わりましたよ。あんまり動かしちゃだめですよ」
咲良はぽんぽん彼の足を叩いた。
「おう、ありがとなさく」
彼は足を引っ込めた。咲良は薬草臭い手を桶の水でバシャバシャ洗って手拭いで手を拭いた。
「大将、出雲へ……
「おと、追いかけて連れ戻そうなんて思うんじゃねぇぞ。ご法度だ」
話の雰囲気から何となく察した咲良がいた。
あの世とこの世の境には、なんとかとかいうの坂があると祖父母から聞いたことがあったからだ。
(死者の国へ向かう人を連れ戻すのはご法度……か)
「ま、大将は大丈夫だ、うん、絶対大丈夫。先のこと考えようぜ。そのうち龍が頭下げに来る。大将ができるだけ金引っ張れるように俺たちも頑張んなきゃだな」
隆爺はキセルをふかしながら言った。
「龍が頭下げに来るんですか?」
咲良が不思議に思っていると、おとが解説してくれた。
「みずちは龍の
「なるほど……」
「で、ここら辺の諸々弁償してくれるはず。その時にどれだけ追加の金引っ張れるか、大将とわたしらの腕にかかってる。多分この宿でもてなすことになるからね。物損だけじゃ済まないから」
「そうですよね……めちゃめちゃ通り破壊されちゃいましたもんね……」
錦屋の塀や庭、建物の一部にもかなり損害があった。向かいや近くの店も、いつになったら客を受け入れられるようになるだろうか。
その時だ、「入ってもいいか?」と要の声が聞こえた。「おうよ、入れ」と隆爺が返事する。
要の後ろにはあやめもいた。
「みんな朝以降何も食ってないでしょう、簡単なものですまねぇが、握り飯と漬物持ってきたんで食ってください」
「ありがとうございます!」「要、最高だなぁありがとよ」「申し訳ないねぇ要、あやめ」と咲良と隆爺、おとが口々に礼を言う。
「わたしは持って来ただけですので、お礼は結構ですよ」
あやめはそう言ってほほえんで、茶の準備を始めた。紫蘇の実と味噌、それから梅干しが具になっているとのこと。たくあんも添えられている。
「でも、あやめさん、ありがとうございます」
「別にあなたに持って来たわけじゃないわ、ついでよついで」
咲良がおにぎりに伸ばしていた手が止まった。
あやめの黄色い目が咲良のことを侮蔑を含んだ眼差しで見下ろしていた。
「あなた山犬なのでしょ? 結界に守られて指を咥えて見てたわけ? なんで昴さまのお役に立とうとしないの?」
(わたしもあの時戦えてたら……)
「ごめんなさい」
咲良には謝ることしかできなかった。人間だからなんて言い訳できない。せめて、皆のようにすぐに避難できていたらよかったのだが、と後悔しかない。
昴があそこまでの大怪我をして命の危機にさらされている状況を作ったのは咲良だ。
「おいあやめ、さくは現世育ちで戦闘の経験がねぇんだ」
「悪いのはわたしだよ、責めるならわたしを責めな! さくはお門違いだ! なんで新入りで隠り世に慣れてないさくにそんなこと言うんだ!」
あやめに詰め寄ったのは隆爺とおとであった。
「なんでこの役立たずに肩入れするんですか?」
「役立たずは聞き捨てならねえな。おいあやめよ、おれは飯差し入れて大変な目にあった三人に少しでも休んでほしいと思ってるんだ。このおれの料理番としての仕事を邪魔してぇのか!」
怒鳴り声を上げたのは意外にも要だった。
咲良はびっくりして顔を上げた。そこから要はいつもの彼に戻って、静かに語り始めた。
「さくはこの錦屋で働くためにここにいる。戦闘はまた別だ。実際おれはさくがいてくれてありがたいと思ってる」
「……すみません」
「さくに謝れ、おれじゃないだろ?」
「ごめんなさい」
仕方ない、あやめは昴が好きなんだ。そりゃあ自分を責めたくもなるだろうと咲良は彼女の謝罪を受け入れることにした。
自分だって、とても大切な人があんなことになったら身近にいる誰かに当たってしまうかもしれない。
「気にしないでください、実際、あやめさんの言う通りです。わたしは戦えませんから……では、失礼します」
咲良はこの場からあらかじめ身を引くことにした。
咲良は一礼して部屋を後にした。
廊下をとぼとぼと進み、自室に戻って座り込む。涙がとめどなくあふれてきた。
「昴さま、大丈夫かな……」
今頃、処置を終えた医者がこれからの手当てや容態についてあの部屋で説明してくれているだろう。
あの血溜まりの中の彼の姿を思い出す。
元々身体が悪いと言っていた。あんな大怪我をして大丈夫なわけがない。
咲良ははんてんを着込んで、長火鉢の火に当たった。
丸い火鉢と違って、この長火鉢はなかなか便利な代物だ。
木製の長方形型で
これが、今や咲良と現世を繋ぐ唯一のものだ。咲良は社で祀る
「お父さん、昴さまがむこうに行きそうになったら追い返してあげて……」
四十九日の納骨の日までに現世に帰れればそれでいい。
昴の身体がよくなるまでもう少しここにとどまっていたい。彼の役に立ちたい。そばにいたい。
当初はなんとしても現世に帰りたいと思っていたのに、今やそんな気持ちはどこかに消え去ってしまっている咲良がいた。
咲良がしばらく祈り続けていると、隆爺とおと、それから要がやってきた。
どうやら、咲良が退室してすぐに粋が医者を引き連れて部屋にきたらしい。昴の容体を聞き終わったおと、それから隆爺に居合わせた要までが飛んできたのだ。
「あんの女狐、しれっと最後まであの部屋にいたんだよ全く! 信じられないね!」
「おと、頭打ったばっかりなんだカッカすんじゃねぇ。さく、ごめんなひとりにして、あの後すぐ粋と医者さま来ちまってよぉ」
憤るおとを必死でなだめつつも咲良を気遣う隆爺。
昴のそばには粋が付き添っている。昴は毒消しと痛み止めを飲んで寝ているらしい。
皆多くを語らなかったが、昴はみずちの毒と大量の失血で、実際今夜が山場と医者より言われたようだ。
要はおにぎりだけでなく、厨房から豆腐やネギ、小鍋を持ってきて火鉢の火で湯豆腐をこさえて励ましてくれた。
「さくはよく頑張ってる、一緒に昴さまに滋養のあるもん考えないとな」
それでも食が進まずちびちびおにぎりをかじっていると、隆爺に肩を優しく叩かれた。
「大丈夫だ、大将はそんな簡単にくたばらねぇ、お前が食わねぇでひっくり返ったらおれが怒られちまわぁ」
「はい……。ちゃんとお役に立ちたい……です」
「もっと堂々としてろ。さくがあの時抱えて逃げてくれなきゃおれは死んでた。おれはお前に恩がある。な? 仕事だって真面目だ。今だって、ちゃぁんと大将の役に立ってる。これからだって、お役に立てねぇわけがねぇ。わかったか?」
「はい……」
さっきとは別の意味で涙が止まらなくなった。
胸がいっぱいだった。皆の視線があまりに優しく、もはや言葉も出なくなってしまった咲良がいた。
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