第15話 魂移し

 背後では、おとと粋が必死でみずちを抑えていた。

 昴は右上腕部のあたりを押さえており、着物がぐっしょりと血に染まっていた。降ろされた右手の指先からポタポタと血が滴り落ちている。


 かなり深手だ。言葉を失う咲良をよそに、彼は腰の二振りのうち、長い方の刀をするりと抜いて、それを左手に持ち替えて咲良の目の前の地面にざんっと突き刺して片膝をついた。


 昴はその刀身に血に塗れた指先で何か流れるように書きつけると、小声で何かぶつぶつと唱える。咲良が聞き取れたのは、「かけまくもかしこき、ふつぬしのおおかみよ……」という冒頭だけである。


「おれの加護をやろう、そこから動くなよ? 戦いが終わるまで、その刀を地面から抜いてもならん」

「わかりました」


 咲良がなんとか返事をすると、未だ狐の姿の隆爺が掠れた声を出す。


「大将……そんな」

「さくを頼む」


 彼は再び漆黒の山犬姿に変化すると屋根の上にひとっ飛びで飛び上がった。

 

「隆爺、これ……」

「終わるまで、絶対引っこ抜くな。大将はその刀に神通力のほとんどと、それから魂を移してる。魂移たまうつしだ」

「な、なんですって?」


 魂を移しているだと? 咲良は刀をまじまじと見た。地面には赤黒い血溜まりがある。


「簡単に言うとだな、さっき大将が唱えてた祝詞みてぇなのは、香取神宮で祀られてる経津主神ふつぬしのかみ、刀の神に力を借りるための祈りの言葉だ!」


 咲良は隆爺のふさふさの毛に覆われた身体を抱き寄せた。


「刀の神さまに祈って、この刀に乗り移ってるってことですか?」

「そうだ、神通力は落ちるが、痛みを感じないから無茶ができて、それでいて俺たちを守れるってことだ!」


 一方、昴は屋根の上を飛ぶように走りながらみずちに語りかけていた。


「東雲どの! 目を覚ませ!」


 みずちの長い尾が錦屋の外壁と屋根の上に振り下ろされ、昴は間一髪でジャンプし難を逃れる。

 みずちの身体の上に乗っていた粋とおとが振り飛ばされて、一回転して屋根の上に綺麗に着地した。

 みずちはそのまま大口を開けて咲良と隆爺の方に一目散に突っ込んできた。


「隆爺!」

「大丈夫だ!」


 ばちばちばち! と火花のようなものが散って、咲良の目の前でみずちが弾かれた。一瞬、壁のようなものが咲良の目に見えた。

 砂煙を立て、ずざざざざ! とその長い身体が通りを滑っていく。驚いて咲良は隆爺の金色の目を見つめた。


「結界だ……でもここにいりゃあ安全だ、だから絶対動いちゃなんねぇ。その刀が抜けたら結界が壊れるし、刀が折れても大将が死ぬから今は触っちゃなんねぇ」


(痛みを感じないってことは、早く決着をつけないと昴さまが危ない)


「おと!」


 隆爺が声を上げて、咲良ははっと顔を上げた。

 弾き飛ばされたのか、塀に叩きつけられた様子のおとが横たわってぴくりとも動かない。


 粋があわてて駆け寄る、その背後ががら空きだ。


「粋、危ない!」


 昴の声が鋭く響き、粋の身体を体当たりで弾き飛ばした。次の瞬間、わにのようなみずちの牙の餌食になったのは昴だった。


「大将!」


 そのままみずちはぶんぶんと首を振ると、昴を地面に叩きつけた。昴の身体はボールのように跳ね、今や咲良と隆爺の目の前に黒い塊のように横たわっていた。

 咲良は叫び声を上げた。


「昴さま!」


 その瞬間、みずちに背後から飛びかかった粋。いける! と思った瞬間、みずちはそちらを見もせず、長い尾で薙ぎ払った。彼はそれをもろに食らって塀に突っ込んだ。

 土煙がもうもうと上がる。


「粋さん!」


 思わず立ち上がった咲良の裾を隆爺が噛んで引き止める。


「大丈夫だ、死んじゃいねぇ!」

「でもあんな、あんな……」


 昴に視線を移せば、真っ黒い身体からじわじわと血溜まりが広がっていく。

 腕や脇腹には傷口がぱっくりと赤く開いている。

 彼はぴくりとも動かなかった。


「ではおぬしの鳥居、使わせてもらおう」


 みずちは昴に向かってそう言うと、鳥居に向かって空中を泳ぐように進む。


 もうだめだ、動くなと言われたが昴が危ない。


 咲良が隆爺の静止を振り切り昴に駆け寄ろうとしたその時だ、昴はむくりと顔を上げると跳ねるように飛び起きて、ひとっ飛びでみずちに肉薄、その尾に噛みついた。

 彼は四肢を踏ん張りぐい、と首を振った。

 みずちの巨体が向かいの宿の石造の蔵に叩きつけられ、昴が吠えた。


「死んだふりだ、阿呆め!」


 よろりと道に出てきたみずちの喉元に昴が食らいつく。みずちは最初尾を振り乱しのたうっていたが、どうっとその尾も地に落ち、やがて大人しくなった。


「よっしゃ! 大将!」


 昴は隆爺の声に反応し、咲良たちの方をちらりと見てから身体をぶるぶると振るわせると、ふたりの方にゆっくりと足をすすめた。


 背後のみずちの姿がかき消え、人の姿となる。


(女の人!?)


 倒れていたのは遠目にもわかるほど髪の長い女性だった。

 咲良が声を上げることもできずに驚いていると、こちらに向かっていた昴が足をもつれさせ、その黒い身体が地面にどうっと倒れた。


「昴さま!」


 咲良の悲痛な叫びが響いた。


「さく! 刀を抜いて大将の元に!」

「はい!」


 隆爺が後ろ足を庇いながらぴょんぴょん駆け始めた時に、粋とおとも身を起こした。


 咲良は地面に突き立った刀に手をかけた。持ち手、つかの部分にも血がべったりとついている。難儀して引き抜いたそれは見た目に反してさほど重くはなかった。


 地面に突き立てていたのに刃こぼれひとつないそれを抱え、咲良は昴の元に足を急がせた。

 昴は山犬の姿から人の姿に戻って血溜まりの中に浮いていた。

 顔色も血の気がない、咲良の膝ががくがく震えた。


「昴さま……」


 声が震える。


「大将! しっかりしてくだせぇ!」


 人の姿に戻った隆爺が必死で止血している。


「……さくは無事か? おとも大事ないな?」

「おとと粋は東雲どのふん縛って牢に入れてます! さくも無事です」


 咲良は彼のすぐ脇に膝をついた。


「刀、持ってきましたよ……昴さま、大丈夫です、犠牲者ゼロです」

「よかった」

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