第14話 みずち
咲良は隆爺に先導されて、必死で避難していたが、未だ錦屋の敷地から出ることすらできていない。
咲良は時折足をもつれさせながら廊下を走り、息を弾ませながら隆爺に問いかける。
「あの池の
「ああ。みずちっていう龍の一種で、龍としては下位だ……だけど、戦闘能力は高位の龍並みにずば抜けて高い、毒を吐くんだ」
「毒!?」
「ここいらで対抗できるのなんて、
北上川に阿武隈川、いずれも東北の日本海側で一、二を争う大河だ。
そこの主の龍か、山犬でしか対抗できないとなれば、みずちというのは相当強いに違いない。
「山犬は戦闘能力においては上位の龍と肩を並べるくらい高い、大丈夫だ……」
大丈夫、と隆爺は言ったがその声色には焦りが見えた。
開けっぱなしの門から表に出る。向かいや隣の建物や店から皆わらわらと避難をはじめていた。
狐やその他動物の姿になって、皆屋根に上がり、飛ぶようにどこかに消えていく。早い。
「隆爺、狐の姿で逃げてください!」
「おれは大将にさくのこと任されてんだぜ」
「わたしのせいで逃げ遅れちゃう」
隆爺は鳥居をくぐると、階段をひとっ飛びで降りて手を差し伸べた。
咲良は急いで階段を駆け降りる。
「隆爺! 先に!」
「俺のことはどうだっていい、大将に頼まれなくても任せてくれって言うつもりだった!」
(隆爺……)
やっと階段を降りて彼の手を取り、通りへ出たその時、隆爺の顔に影が落ちた。金の瞳の、瞳孔が猫のような縦長になって彼は空を見上げた。
咲良も導かれるように空を見た。
うねうねと空を泳ぐ蛇のようなものが見えた次の瞬間、それはどすんと地面に降りた。
黒とオレンジの毒々しいカラー。蛇とわにを足して二で割ったような生き物が真っ直ぐ咲良と隆爺を見つめていた。
立派なたてがみがあり、身体はうろこに覆われ、龍のような四つ足で地面に立っているが、角はない。全長何メートルあるのだろうか。咲良は後ずさった。
「その鳥居を使わせろ。二つ足どもを蹴散らしてくれるわ」
鼻からは毒々しい煙がしゅうしゅうと出ていた。
(鳥居を通って、現世で暴れるつもりだ!)
「来やがったな! 舐めんなよ、こちとら浅草で稲荷守ってた江戸っ子だ!」
隆爺の姿が一瞬で真っ白い狐の姿に変わって咲良の前に立ち塞がった。
隆爺は耳を倒して口を開け、威嚇。みずちも口を開けて吠え声を上げると、口から雨のように何か液体を吐き出した。
ぴょんと飛び上がった隆爺は、口から青く輝く火を吐いた。
それが盾のようになり、ふたりを避けるようにその何かが地面に突き刺さる。
地面がじゅうじゅうと煙を立てた。毒液だ。
あんなもの浴びたらひとたまりもない。咲良は顔を青くした。
(昴さま……昴さまは?)
その時だ、みずちはくるりと背を向けた。何? と思ったその一瞬のことであった。
尻尾がぶんっと風を切る音を立てて、隆爺の身体が吹き飛んで近くの屋台にド派手な音を立てて突っ込んだ。
「隆爺!」
咲良は叫び声を上げた。
次の瞬間、塀を飛び越えてきた三頭の立派な山犬が猛然とみずちに襲い掛かった。昴とおとと粋である。
「隆を頼んだぞさく!」
昴はそう鋭く一声発したのち、みずちのうなじあたりに噛みついた。
咲良は慌てて隆爺に駆け寄る。
「隆爺! しっかり!」
依然狐の姿の彼の肩のあたりに手を置いて小さくゆする。出血はないようだ。彼はうすらと目を開けた。
「いってぇ……」
隆爺は意外にも自力で起き上がった。
「へへっ! 大口叩いてこのザマだぜ……」
ぶるぶると身を震わせた隆爺だが、後ろ足を引きずっている。これでは走れない。
「隆爺こっちに!」
咲良はふさふさの毛に覆われたひょろりとしたその身体を抱き上げた。
思ったより重いが、なんとかなりそうだ。
「お、おい! さく!」
「逃げますよ!」
「いやぁ、若い子に抱き上げられるなんてジジイだからよぉ……緊張しちまうなぁ」
「緊張してる場合じゃないでしょ!」
咲良は軽口をたたく隆爺を怒鳴りつけた。
その時だ、ずどん! と音を立てて目の前の建物に何かが吹っ飛んできた。戸に大穴が空き、もうもうと茶色っぽい土煙が上がる。
「な……」
穴からすぐに灰褐色の塊が転がり出てきてぶるぶると身震いをして木端をその辺に吹き散らした。
「さく、わたしらに任せて逃げな!」
三頭の中でもひときわ身体の小さい山犬。そう、おとである。
茶色い、おとのひとまわり大きな身体が駆け寄ってくる。粋だ。
ふたりは息を合わせてみずちに飛びついた。
咲良は今のうちに逃げようとずり落ちてきた隆爺の身体を抱え直す。
「隆爺、行きますよ! うわっ!」
その時、おとと粋を弾き飛ばし、一直線に咲良のほうに突っ込んできたみずちを転げながらも慌てて避ける。
抱えていた隆爺を潰しそうになって、半ば覆いかぶさるように這いつくばりながら相手を見据えた。
みずちはのたうちながら咲良と隆爺、ふたりの方に反転してきた。
ああ、もうダメだと咲良は狐姿の隆爺にしがみついたが、その時、真っ黒い何かが横から躍り出て、みずちに飛びかかった。
体当たりされたみずちは錦屋の向かいの旅館に突っ込んで、爆音と共に建物ががらがらと音を立てて倒壊した。
「さく、大丈夫か?」
真っ黒な山犬が駆け寄ってくる。昴だ。
右の前足を庇っている、怪我をしているようだ。
「ありがとうございます、助かりました……」
咲良は呆然としたまま、その真っ黒な身体に爛々と光る金色の瞳を見つめた。一瞬でその姿がゆらめいて、彼は人の姿になった。
「説得を試みたがこのザマだ……」
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