第7話 訳あり従業員と隠り世の話
翌朝、宿泊客が朝食をとっている時間に、皆への挨拶を済ませた。従業員は狐、狸、かわうそ、蛇にいたちなど多種多様な面々だった。
宿屋の従業員の中には咲良を「人間の匂いがうっすらする」と言う者もいたが、「現世育ちでずっと向こうの食べ物を食べてきたので」と言うと、「それじゃあ仕方ない、十日もこちらのものを食べれば人間臭さも取れるだろう」と言った。
皆、疑いもしない。
おとがかけてくれた術が効いているようだ。
その後、客がチェックアウトし始めると同時に、粋と前の晩の強風で枯れ葉や枝が飛んできていた裏庭のごみ拾いをした。
「池、こっちにもちゃんとあるんですね」
現世にあるため池と同じ池があった。
「あの池の
池の底に屋敷。なら、海の底の竜宮城は本当にあるのかもしれない、と咲良は驚きを隠せない。
「そうなんですね。他の湖や川にも主がいるんですか?」
「どんな小さな小川にも、龍や蛇が住んでる。この錦屋には北上川や利根川の主も泊まりに来る。龍は気難しいから気をつけた方がいい」
北上川は東北いちの大河だ。ものすごい宿に来てしまったのだなと咲良は気を引き締めた。
***
「おとさん、お昼終わったら、色々教えてもらえませんか? 隠り世のこと」
「わたしに任せな!」
午後、彼女はどうやら非番らしい。そもそも、今日チェックインの客は皆無。この旅館、経営がどうやらダメダメなようだ。前途多難すぎる。
それでも、一体どこから捻出したのか、咲良は昴から金を預かり夕飯の調理を頼まれていた。現代で言うリヤカーにそっくりな二輪の荷車、
厨房担当とも相談し、かぶやほうれん草やねぎ、れんこんなど冬野菜を買った。
あと、少しだけ割高だったが、現世の市場で仕入れてきたものを売って回る八百屋も来たのでミニトマトを買っておいた。
昼食後、咲良はおとと粋の暮らす離れに顔を出した。
粋は何人か仲間を引き連れ、山に狩りに行ったらしい。
咲良はこたつに入って息を吐いた。温かい。おとはほうじ茶と大福を出してくれた。その優しさに、笑みがこぼれる。
「基本、ここで働いてるのは社を失って行くとこを無くした元神使やあやかしやらわけありばっかりだ。例えば隆爺もそう」
聞けば隆爺は、農家の庭先にあったお稲荷さんを守る
あやめの両親も社をなくし、失意の中一家で無理心中。あやめは生き残ってしまい、行くあてもなく親戚から遊廓に売り飛ばされそうになったところを昴に拾われたらしい。
「あやめは人嫌いだから気をつけるように」
そうおとに言われて、咲良は神妙な面持ちで頷いた。
あやめここに雇われている狐だが、隆爺とはまるで逆で人間嫌いらしい。
透けるように白い肌。切長の目に艶やかな髪の驚くほどの美人だ。彼女とはすでに言葉を交わしていた。
「現世にいたの? 色々聞かせてくださる?」
「はい、ホテルで働いてました。旅館の知識はありません、ご指導ご鞭撻を賜りたく」
「あら、狐に頭を下げなくていいのよ。あなた、山犬でしょう? 昴さまと一緒ね。いいわね、羨ましいわ」
聞くところによると、山犬は隠り世に生きるあやかしの中で、格上の存在らしい。
並べるのは八咫烏くらいだ。
西の烏、東の山犬。その下が稲荷の狐や春日の鹿である。
龍などの霊獣はまた別格らしい。
どうやらあやめは
雇い主を好きになるなんて、なんてめんどうな。
「そんな経緯があれば、昴さまのこと、好きにもなりますね……」
「ああ、あやめは本当にわかりやすいから……あの子、大将が気にかける若い娘に嫌がらせするから気をつけな」
面倒臭いなと思いつつも、咲良はあやめの心情が痛いほどわかった。
今、咲良がおとを大好きなように、行くところのないところを拾ってくれた昴を好いているのだろう。
好きになるのに、なんら不思議なところはない。昴は見たところ妻もおらず、飲みに行っても朝帰りもせずに帰ってくる男。社を任されていていて社会的地位も高そうだ。
そりゃあ好きにもなる。
「社を潰されたり、自分の川をなくしたり、山を切り開かれたりすると行き場を失う。それだけならまだいいんだ。自我を失っちまって暴れたり、人を呪おうとする奴らも多い。神使やあやかしが堕ちると妖怪とか物の怪とか呼ばれる、神の場合は
「そうなんですね……」
「ああ、覚えとくといい」
おとは茶で喉を潤し、「他にも気になってることはあるかい?」と問いかけてきた。
「おとさんたち神使のお仕事ってなにか特別なものがあるんですか?」
「わたしだとちょっとわかりにくいから、稲荷の狐で説明しようか。稲荷の狐は神じゃなくて神使。そこはわかる?」
「はい!」
本来、彼ら神使はあくまで神のお使い。神社で祀られている神ではない。
例えば、稲荷神社の御祭神は
「社の仕事は、人々の願いを聞き、分析すること。そしてそれを仕える神や政が行われている出雲に報告する。願いを聞けば、今の人間たちの置かれている状況もわかるしね。それから、人が信じてくれないと、わたしたちは力を失ってしまう。参拝者はとても大切だ」
そして、咲良ははっとした。
昴は神さまなのだ。
「昴さまは神さまなんですか?」
「そう、そのとおり。
一部の神使でも、伏見稲荷の
複雑なのだが、神の使いである神使を祀る神社や社なのである。
「わたしら山犬は少し特殊でね、稲荷みたいにどこかの特定の神に仕えている訳じゃない。強いていうならば、山の神に仕えているかな。わたしら一族の
「基本的に昼間は大将は自室で仕事してる。部屋の天井近く、神棚がある場所だね。そこに小さな鳥居がある。そこから社でお祈りした人の願いが紙に書かれて、部屋の神棚の下の小さい箱に入るんだ。それを集計、報告するのが役目だ」
咲良は目を泳がせた。
自分の願いも彼に筒抜けだったということだ。「高校受験、受かりますように」とか、「お父さんの病気がよくなりますように」とか。
「わたしもたまに手伝いをするよ。だから咲良ちゃんのことはよく知ってる。あんた、いつも色々報告してくれただろ? 後はお礼とか。だからわたしはあんたのことが好きなんだ……あ、もうさくって呼んだ方がいいね」
そう、咲良は社で何か祈ることは比較的少なかった。「天気が良かったので、いい運動会でした、ありがとうございました」とか、「ご近所さんが豊作です、ブロッコリーをもらいました、ありがとうございます」とか、何も思いつかないと「今日も学校楽しかったです」とか、お参りする時の心のうちは父親の方針で感謝の言葉が多かった。
「じゃなかったら、わたしもこんな危険を冒してまで親切にしなかったかもねぇ……ん? 冗談だよ、冗談」
そう言った彼女の目は笑っていなかった。
山犬の本性を見た気がした咲良は誤魔化すように大福にかぶりついた。
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