第4話 神さまと神使(しんし)とあやかしのお宿
「気持ちいい〜」
咲良はたっぷりのお湯の中で手足を伸ばした。
硫黄泉なのでいかにも温泉っぽい匂いがする。お湯はほのかに薄緑色をしていて、少しぬるぬるするとろりとした肌触りのいいお湯だ。
咲良は湯を使わせてもらう前に、第二番頭をしているおとの夫、
隆爺は白髪ちょんまげ姿だったが、粋は短髪。髪型は男女問わず、現代っぽい者も多いようだ。おとの日本髪は趣味らしい。
粋も咲良のことを知っていたようだが、咲良を見て驚きのあまりに腰を抜かしそうになっていた。
これからどうなるんだろうか。でも、なるようにしかならない。
もの思いに耽りながら天井付近に目をやれば、行灯が光っていた。
行灯の中は、あの火の玉っぽい不思議な光が灯っていて、窓もないのに浴室はオレンジっぽい暖かな光にあふれていた。
それにしても、実にいいお湯であった。
この温泉街は泉質の良さから、湯治に訪れるあやかし、それから稲荷の狐などの神のお使い、
脱衣所で渡されていた浴衣を着て髪を手ぬぐいで拭き、それから化粧水で肌を整えて待っていると、ちょうどおとが着物を持ってきたので、着方を教わりながらその着物、
一般的な普段着用の着物らしい。
髪もおとが空中に出したオレンジ色の火の玉に当てていればすぐに乾いた。
熱さはせいぜいドライヤーくらい。
狐は攻撃力を伴った青い火の玉、狐火を出せるが、山犬のそれはせいぜい明かりがわりになるくらいだそうだ。鬼火、と呼ぶらしい。
「洋服も流行りだけど、現世に行って円で払わなきゃならないからちょっと敷居が高くて、ここの大将も基本は和装で過ごしてるよ」
どうやら、そこそこの神使やあやかしならば単独で現世と隠り世を行き来するのは簡単らしい。人間を連れて、となると途端に難しくなるようだ。
髪を組紐で後ろにまとめ、うっすらとではあるが、こちら風の化粧も教わる。
鏡な中には肌は白いがなんとなくパッとしない、どこか垢抜けないいつもの自分の顔があった。
おとが咲良の肩に手を置くと、ぱっと髪の色が茶の混じった灰色に、目は茶色っぽいオレンジになった。
「ちょっくら術をかけた。これで山犬の娘に見えるはず。現世で人に化けて暮らしてるメンツも多い、この設定でいこうか」
現世育ちと誤魔化せば、なんとか
どうやら彼、昴も咲良のことを知ってはいるらしい。
彼もごく稀に現世に行くが、咲良の顔ははっきりと覚えていないだろう、和装をし、匂いも誤魔化せば乗り切れるはずとおとは言う。
「さて、これから飯にしよう。料理長が年で引退しちまったから今てんてこ舞いなんだ。
現世も隠り世も人手不足は変わらないらしい。咲良は少し親近感を覚える。
「でも、今の流行りは洋食。前料理長も年寄りだったし、だれも洋食も向こうの酒もわかんないもんだから、客足も遠のいててねぇ……さて、何か作ろうか」
咲良ははっとした。
彼女はずっとレストランのホールスタッフをしていた。
料理は趣味レベルだが、合わせるワインなどは多少知識もある。
飲食店の厨房でバイトをしたこともあるし、まずはまかないから作らせてもらえないだろうか。
「それならお手伝いできるかもしれません!」
***
場所はおとと
白菜はたくさんあるということで、咲良はミルフィーユ鍋を作ることにした。
スーパーで買った食材の中に、豚バラがあったのだ。
特売だったので、下処理して冷凍しておこうと咲良は目論んで大量に購入していたのである。
「普段まかないはどうしてるんです?」
咲良はおとに問いかけた。
「交代交代に作るかな。でも、大将のだけは別だよ、専属がいる……いや、いたんだけど、その専属も辞めた。だから副料理長の
「大将、飯に煩すぎるんだ……」
粋が呆れたように言った。
山犬の大将どのは、相当手強い相手らしい。
咲良は白菜をまな板の上に置いて、それから豚バラのスライスを手に取った。
「こんな感じで、豚バラと白菜を交互に並べてください」
「わかった、任せな!」
咲良もおともたすきがけして気合十分である。
粋と隆爺は七輪に炭火を起こしていた。鹿肉が手に入ったので、切って焼いて塩胡椒を振って食べるのだという。
咲良は、あまりにも適当な彼らの調理方法にめまいがした。
鹿肉を下拵えもせず、適当にスライスして焼くだけ。硬いのではなかろうか。
現世風の味付けが流行っているらしいのでソースやら胡椒はあるのだが、おそらく活かし方を全くわかっていない。
七輪の火がついたら、串に刺したトマトを炙って冷えた井戸水につけ、皮を剥いてもらった。
男性陣もやる気があってとにかく助かる。
咲良とおとは豚バラが挟まった白菜を適当な幅で切ると、それを土鍋にぎっしりと並べた。
水を入れ、咲良の鍋には和風出汁を入れる。一方、おとの鍋にはコンソメキューブを入れ、皮を剥いてカットしたトマトを並べて囲炉裏にかける。
「これで火が入るまで待てば大丈夫です。和風のお鍋はポン酢とかで味変してもらうと美味しいかも」
ミルフィーユ鍋は大好評だった。洋風のトマト味の方は器に盛った後粉チーズをかけると一層香りが引き立った。
乾杯の酒は咲良がこちらに持ち込んだスパークリングワイン。スペインのカヴァだ。
辛口で発泡性、とにかく飲みやすく、なんにでも合わせやすいのが特徴である。
「いっや、この酒もうんめぇな!」
「喜んでもらえてよかったです」
隆爺に肩を抱かれて、咲良は礼を言った。
おとがベタベタするんじゃないとその手を引っぺがす。
別に下心があるわけではない、おとも笑顔である。咲良は早くも隆爺に孫のように可愛がられている自覚があった。
自分の作った鍋と、それからタイヤかよと思うくらい硬い鹿肉のローストと、残った冷やご飯と卵で作った雑炊。
鹿肉はともかく、他は満足の味だった。
流石に咲良はあまりお酒を飲みたい気分ではなく、乾杯だけ付き合い、酒類はほぼ皆に飲んでもらった。とても悠長に酒など飲んでる状況ではないし、なによりここの主人である昴が帰ってきたら話をしなければならない。
皆でずっと談笑していたのだが、あるときにおとが背筋をぴんと伸ばして言った。
「大将だ!」
全員が緊張に硬直した。
数秒後、戸口の向こうから「入るぞ」と声が聞こえた。
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