第2話 鳥居の向こうの不思議な町

 陽が傾きはじめ、宵闇の足音が聞こえてくる夕暮れ時。

 咲良さくらは一月三日の年明け早々、白い息を吐きながらバッグを斜めにかけ、パンパンの買い物袋を両手に持って家路を急いでいた。

 空はどんよりと地面に落っこちそうなほどの灰色の雲をたたえている。風もどんどん強まってきた。

 

 太平洋側なので雪が降ることは稀だが、咲良は今夜は雪が降るだろうと田舎育ちの直感で悟っていたので、三日位引きこもれるように食料を買ったのだ。


 咲良は父の介護のため、昨年の九月に東北の実家に帰ってきていた。その父親は自宅で息を引き取り、年の瀬に葬儀を終えたばかり。


 父親には介護休暇と有給を使うと言ってしばらく介護していたのだが、実際は退職していた。もしかしたら仕事を辞めたことを気づいていたかもしれない。

 でも、潮時だった。いい加減東京で働くことに疲れていたからだ。


 貯金もあるし、何より家賃を払う必要はないが、いい加減仕事を探しはじめなければいけない。


 咲良は空模様をちらりと確認し、更に足を急がせた。


(早く帰らなきゃ)


 しかし、咲良にはひとつ、日課があった。

 おいぬさまを祀る社に、お供えするのである。忌中ではあるが他に管理者もおらず仕方ない。賽銭箱もあるし、見回りしないわけにはいかない。きっと許してくれるだろう。


 おいぬさまは、今は絶滅してしまったニホンオオカミが神格化された存在で、かつては鹿や猪から農作物を守護する存在としてとても大切に崇められてきたという。また、厄除け、火難や盗難、邪悪なものから守る力があるとされ、日本書紀には山道に迷う日本武尊を道案内したとかしないとか、そんな記載があると父親である元彦はいつも耳にたこができるくらい繰り返していた。


 亡き父親は、ワインやウイスキー、時にはウォッカやジン、ブランデーなどの洋酒をお供えしていた。それから季節の果物も欠かさなかった。


 祖父母が生きてきた時、父は、「おいぬさまには日本酒と米だろ!」と散々言われていたが、咲良も父に習い洋酒や果物をお供えするように心がけていた。


 普段の咲良ならば買い物袋を自宅に置いてお供えだけ持って出直すのだが、今日は雪も降りそうだしなによりとても冷える。


 咲良は家の前を通り過ぎ、角を曲がり、視界の端によぎった何かに気を取られて回れ右する。電柱にかけられた看板だ。


 社の裏手、ため池の埋め立て工事の案内である。近くの道が何本か通行止めになるらしい。そういえば、回覧板で案内が回って来ていたなぁとふと思い出す。


(六日か……)


 だが、そんなことは今はどうでもいい、彼女は杉が鬱蒼と生い茂る並木に入った。


 地面は舗装もされておらず、白っぽい砂が敷かれている。右手の石造の階段を上がった。


 ぽっかりと空いた空間に、その社はあった。


 左右に陣取る、阿吽あうんのそろった石造の狛犬ならぬ石造の狼。それから、同じく石造の立派な鳥居。その向こうに小さな社が見える。

 神社とも呼べぬ、ちっぽけな社だ。

 鳥居には大口真神社おおくちのまかみしゃと書かれている。


 昔はもっと大きな神社だったらしい。戦時中に火事で焼けてしまい、今はこの小さな社が残るのみ。


 亡き父からはとにかく大事にしなさいと言われていた。

 咲良も大切にしてきた。ここの空気はなんとなく違うのである。


「買い物ついでですみまっせーん」


 それなりに敬うつもりはあるのだが、全く謝罪する口調でもなく咲良は白い息を弾ませて、鳥居の前でぺこりと一礼。


 その時、肩にはらりと一枚の烏の羽が乗って、そのまま鳥居をくぐる。


「ん……羽か」


 視界の端を横切った羽を手ではらい、さて、と前に目を向ける。


「え⁉︎」


 咲良は驚きの声を上げた。


 目の前には小さな社があるはずなのに、そこにあったのは立派な門。

 何か商売をしていそうな老舗の趣だ。暖簾がかかっており、錦屋と書いてある。


 咲良は混乱で一瞬言葉を失い、そして左右を見回した。

 鬱蒼とした並木道は見当たらず、古民家や宿が立ち並ぶ温泉街のような通りが広がっている。


 おかしい、あまりにもおかしすぎる。

 自分は一瞬気でも失ったのか。瞬間移動したのだろうか。


 だが手には変わらずスーパーで買った食品の入ったビニール袋をぶら下げているし、なにより酒瓶が入っているのでビニール袋が手にギリギリと食い込んでくるのがあまりにリアル。間違いなく現実のできごとだ。


 寒いのに、背中を冷や汗が伝う。


 真後ろには、石造の鳥居があった。咲良は鳥居をもう一度くぐるが、そこに見知った風景はなかった。

 階段の向こうには初めて目にする古めかしい通りが広がるだけ。


(電柱がない……)


 電柱も電線もない。店の軒先にぽっぽと灯りが灯り始める。

 目を凝らせば、軒先に火の玉のような明かりが浮いている。


「……っ!」


 大正時代の街灯のような青銅っぽい色味の街灯にも灯りがぽつぽつ灯りだした。気味が悪くて、咲良は再び鳥居をくぐって屋敷の方に足を向ける。


「どこ? ここ、どこ?」


 混乱しながらも軒先に駆け込む。とても立派な古めかしい屋敷の門である。誰か、誰かいないだろうか。

 その時だ、門の横の引き戸ががらりと開いて、咲良は後ずさった。


「人間の匂いが……ってあらまぁ! 上條かみじょうさんとこの咲良ちゃん? こっち側に来ちゃったのかい!」


 着物姿のひとりの女性だった。歳の頃は二十代半ばくらいに見える美人である。

 なぜ自分の名前を知っているのだろう。咲良はそう思いもしたが、突然現れた己を知る彼女に必死に縋った。


「助けてください……!」

「おいで!」


 女性は一瞬鋭い視線を周囲に向けた。彼女に手を引かれ、咲良は門をくぐる。

 立派な日本庭園と日本家屋だ。母家だけでなく、離れも見えた。

 建物の裏側に引っ張っていかれ、勝手口のようなところから建物内に入る。そこには土間が。


「履き物、ここで脱いで上に。あ、履き物も持っていくこと!」

「はい!」


 右手に買い物袋、左手にスニーカーを持って階段を駆け上がる。

 左右には行灯が輝いており、ことのほか明るい。


 二階の部屋に案内された。畳の部屋だ。


 女性は懐から紙を取り出し、それを広げると「履き物はそこに」と咲良に言ったので素直にその上にそっと置いた。

 彼女が行灯に視線を向けると、不思議なオレンジの火が灯った。

 

「ここはかく。なんだってこっち側に来ちまったのか……」


 彼女はそう言うと、咲良の前に座布団を敷いて腰を下ろした。咲良も促されてダウンジャケットを脱いで座布団の上に腰を下ろした。

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