篠原くんと恋のキューピット竹花さん①ー1


久留里くるりちゃんお願い! 篠原くんに連絡先を訊いてきてほしいの!」


 入学から約三週間。初週のクラス内友達競争を生き残り、孤立をまぬがれたわたしは無事二人のクラスメイトと流行アイドルをきっかけに友人関係を結ぶことができた。

 そのうちの一人である小柄で目のくりっとした小芝キラリが今日わたしに頼んだお願いは、競争後の平穏を揺るがすには十分なものだった。


「……えっと、なんだって」

「篠原くん、隣のクラスの。知ってるでしょ?」

「あー……。いたかなぁ、そんなの」


 我ながらあきれるほど白々しいとぼけ方だった。キラリは日頃ふわふわしているが、反面、用意周到だ。こんな話をわたしに振る時点で、すでにわたしと篠原が同中であることを聞きつけてのお願いだろう。


「篠原くんって、この前競歩大会で表彰されてた?」


 いちご牛乳で湿った唇を舌で舐めると、まるで次の一口を吸うまでの暇潰しだというようにミドリが訊く。

 大芝ミドリ。キラリと同中であり幼馴染み。昔から何かと同じグループになることが多く、『小芝大芝』とひとくくりにされることが多かったらしい。ミドリの方は、キラリとひとくくりに呼ばれることをそれほど気にした様子もないが、キラリはいやだいやだと口を酸っぱくして反抗する。

 本人曰く、『小さい方』と呼ばれるのが癇に障るらしい。実際キラリは小さいし、ミドリは大きい。


「そうなの! 二、三年生が上位を独占するなかでたったひとり対等に競い合った一年生。それも二位の陸上部長距離選手であり現部長でもある三年生をあと一歩のところまで追い詰めて惜しくも三位だった、あの、篠原くん!」


 キラリは一息で言い終えると、ここにはいない篠原を想い浮かべ熱のこもった視線を宙にさまよわせている。


「キラリ、越谷こしがやとはどうなったの?」ミドリが尋ねると、「越谷って?」と初めて聞く名前だなあといわんばかりに首を傾げている。


「いや、お前の元カレだろ」

「ああ、その越谷くん。もう別れたよ」

「原因は?」

「ええっと、なんか高校デビューって言って髪を金色に染めた写真を送ってきたんだけど、それがあまりにも似合ってなかったから、なんか違うかな~って」


 初耳だった。付き合っていたことも、髪を染めたのが原因で別れたことも。どちらも気になることようにも、そうでもないことのようにも感じる。とりあえず、困ったときの話のネタにはなるなと思い記憶の片隅に置いておくことにした。


「それで、なんで久留里にたのむん?」

「久留里ちゃんは篠原くんと同じK中出身なんだって」

「なーる、そういうこと」

「いやでも、わたし篠原とはあんまり話したことないっていうか、そんなに面識がないっていうか……」

「でも同じクラスだったんでしょ?」


 なんでそれを知っている。

 わたしがK中出身であることは自己紹介のときに話したが、誰と同じクラスだったかなんて情報は明かしていない。しかしキラリのことだ、概ね女バレの面々に知り合いでもいてそいつから訊きだしたのだろう。どうせならそいつにでも篠原のことを頼めばいいのに。わたしは笑顔の裏で思いつく限りのお喋りな女バレ部員に悪態をつきなら、「知ってたんだ」と答えた。


「だからお願い! 一生のお願い! もし訊いてきてきれたらキラリのサブスクアカウント使ってキラリ一推しの韓国ドラマ一気観してもいいから!」

「それは別にいらない、かな」


 一生のお願いと、明らかになんらかの利用規約に反しそうな報酬とが天秤に釣り合っておらず、もしかしてキラリにとってわたしの一生のお願いの価値はその程度しかないのかと疑心が生まれる。

 それとは別にキラリの勧めるドラマは、なんというか、『勧善懲悪! 因果応報!』って感じのわかりやすいストーリー展開のものが多い。善い人間は想い人と結ばれるし、悪い人間は必ず最後に裁かれる。そのリアルと真逆をいく箱庭の世界観が、わたしには合っていない。


「久留里、嫌なら断んなよ。この子は熱しやすくて冷めやすい、典型的なミーハー気質だから。一ヵ月もすれば別の男に目移りしてるよ」


 わたしの芳しくない反応を察したミドリがキラリを諫めるように言う。


「そんなことない! 今回のは絶対に違うもん。篠原くんの瞳から、こう、ビビって心臓掴まれる感じがしたんだもの。テレパシーみたいな、言葉がなくても通じ合える、同じ波長の持ち主を見つけられたかもしれないの。キラリはそんな人と結ばれるために生まれてきたんだもん」


 キラリは時々、冗談と本気との区別の見分けが付けづらいことを語る。ドラマとか少女漫画の読み過ぎとも思う感じの、歯の浮くセリフを。そのことをミドリにそれとなく質問してみたときは『冗談みたいなことを本気で思ってるのがキラリだから』と言っていた。

 そんなミドリも時々冗談を言うことがあるのだが、こっちはこっちで淡々と、いつもの稀薄な感じで語るから見分けが付けづらい。どっちもどっちだと、『芝』を共有する人間ならではの特徴なのだと思うようにした。


 結局、わたしはキラリのお願いを聞いてあげることにした。サブスク一ヵ月分ではなく、紙パックの牛乳一週間分で手を打った。一生のお願いについてはわたしから遠慮した。

 わたしがキラリの一生を請け負うには、おそらく『芝』成分が足りていない。


 ◇


『苦労を進んで被る必要なんかありゃあせんが、どうしてもせにゃならん苦労なら手早く済ませてしまうほうがええ』

 わたしの中にある祖母と似通う唯一の理念は、この一言に集約される。


 小さい頃に祖母が口々にこぼしていた教訓は今でもよく覚えている。幼い頃に見聞きしたことは柔らかいセメントに手形を作るみたく残りやすいというが、形がそのまま残るわけじゃない。身体の成長と共に形成される自己の塊は、生まれ持った本質と、継ぎ足し継ぎ足しされた現実のアクを取り固めていって出来上がっていく。

 そうして出来上がった、わたしの中の祖母とは似ても似つかない多々ある理念のひとつは、『長い物には巻かれておけ』だった。


 わたしの父にはデリカシーというものがない。

 身体をよく拭かずにパンツ一丁のまま出てきて床を濡らしながらビールを取りに行くし、咳をするときは手をあてないどころか、ひどいときは面と向かって唾を飛ばす。普段は料理なんてしないくせに、テレビ番組で凝った料理を真似したくなったときだけ調理器具から全部揃えて作ったり、『美味しいだろ?』の催促をしたり、そのくせ二度目は絶対やらず調理器具がもったいないと愚痴ると、『お母さんが使うからいいんだよ』とヘラヘラ頬を緩ませる。

 ケバブなんて料理、日常的に作られてたまるか。当然、皿なんて洗ったところを見たことがない。


 長男次男と上二人が男兄弟であったこともあり、父はまるで友達にでも接するように子どもに接する。でもそれは、父の本質の一端でしかなく、わたしが長女として先に生まれてきたとしても変わらなかったのではないかとも思う。


 わたしは父に、本当の意味で怒ったことがない。

 これだけしゃかしゃか揺さぶられて、幾度となく怒りのプルタブを開けては炭酸を噴きこぼしてきたにも関わらず、わたしの頭にはいつも、長い物として立つ父の立場がちらついて、すぐに気が抜けてしまう。

 母が専業主婦をつとめる我が家では、父が一家の大黒柱であり稼ぎ頭だ。長男次男ともに大学に行かせ、未だ家賃と携帯台の半分を出しているという。家のローンも水道光熱費も回線代もわたしの携帯台も、全て父のお金だ。そしてそのことがわたしの発言に大きく影響を及ぼしている。


 キラリのお願いを聞いたときも、同じようなことが頭をよぎっていた。

 小芝大芝は中学からの同級生であり、わたしは後から入った新参者。二人にしてみれば、切り捨ててもどうってことないトカゲの尻尾が、わたしだ。彼女たちにくっついていなければ、わたしはまた一からクラスの友達を見つけなければならない。


『嫌なら断んなよ』


 断ってもいいのだろかと、淡い期待をした。

 けれどそれはすぐにわたし自身の声に打ち消され、次第に祖母の声に変わっていき、最後にはアクで塗り固められた私の言葉になった。

 苦労は進んで被る必要なんかないし、どうしてもしなければいけない苦労なら手早く済ませてしまおう。

 私は、臆病な人間だから。


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あなたの町の篠原くん 黒神 @kurokami_love

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