かたらいを失いて
八坂卯野 (旧鈴ノ木 鈴ノ子)
かたらいをうしないて
ながらがわ。
私はこう書くのが好きだ。長良川ではやさしくない気がする。
岐阜県の山々の麓を流れ流れ、木曽の三川を成し、伊勢湾へと至るこの川のほとりで私は育った。鵜の町「岐阜」と刃物の町「関」の間合いにある川沿いの集落、今では両手で指折り数えるほどの人家の一つが終の住処。
平屋建ての古い木造建築、いつ頃から建っているのかは分からない、少なくとも物心ついた時に祖父母はここで育ったと口にしていたので、きっと1世紀くらいは過ぎ去っているのだろう。
吹き直して輝く屋根瓦と塗り直した漆喰の壁が目新しいけれど内装はそのままに残した。タイル張りで色褪せた蛇口のある流し台、煤けた竈と錆のある筒状の煙突と錆びついたガスコンロ、年季の入った木枠と磨りガラスの入った窓。
祖母と母の面影が宿るそこに手を入れることはできなかった。畳と障子や襖は張り替えた、けれど柱に直に打ち付けられた電気線やコンセント、水道管などはそのまま。改修にあたりリフォーム会社の担当は「危ない、危ない」としきりに口にしたが、実際に工事に訪れた職人さんは危ないところだけを手当して使えるように取り計らってくれた。
だから、思い出と暮らせている。
この家を捨てて出ていったのに、それに醜く縋りついて、日々を過ごしている。
長窓の続く廊下を開け放ち川遊びを終えた風が吹き抜けてゆくのを、私は薄い茶色のワンピースを着て、ゆっくりと体の火照りを冷まし待つ。
小さな畑仕事を終えて、収穫した野菜の世話を済ませると、一日の穢れを風呂で流し終えた。蚊取り線香に火をつけ、色褪せと傷みのある蚊取り豚へと命を吹き込み、足元に放つと、やがて、あの頃の香りがふわりと漂う。
あの頃は私はこの香りが嫌いだった。田舎臭くて嫌いだった。
今の私はこの香りが好きだ。田舎臭くて好きだ。
小さな羽ばたきが耳を劈く。縞模様の小さな体を肌へと張り付かせて、皮膚に突き刺した口針で生血、いや、息血を啜るそれを叩くと、真っ赤な色が皮膚の上で花火のように爆ぜた。袖もない薄い布で彼らは皮膚のどこへでも吸い付く、足元の豚はそれを知ってか知らずか、風に煙を燻らせて遊んでいる。
小さな庭の先は遠くにながらがわの水面を見渡すことができ、庭と川とを隔てるように色褪せて地肌の荒れた堤がある。それを乗り越えると川岸へと下るまことに小さな階段があった。急峻で小刻みな段差が40と少し、下へ下へと経るごとにながらがわの水に削られ、滅多に下りることはない。
しばらく耳を澄ますと、ペタリ、また、ペタリ、と足音が聞こえてきた。
彼か彼女が帰ってきた。どちらか分からないのは、私にはどうでも良い事、だから、気に留める事もない。
最後の一段を登り終えて、その顔が私を見つめると、嘴をカタカタと鳴らし「ただいま」といつも通りに告げたので「おかえり」と口にする。
再びカタカタと嘴を鳴らして、水掻きのついた黄色い足で堤防と庭の土の上をよちよちと歩き、豚から少し離れたところにある正方形の金網で仕切られた住処へと帰宅した。ながらがわの水をゴムパイプで大きな金盥へと引き込んで、掛け流しにしたそれへとその身を浮かべ、体を揺すっては水滴を土砂降りの雨粒のように飛散させる、嘴が濡羽の中へと分け入っては羽の間に隠したものを探すように忙しなく動いている。
アクアマリンの瞳に、黄色の映える白い顔、闇色の長い嘴、闇を鮮やかな羽毛に覆われた細い瓶のような体、痩せ女の美しさを纏うようでもあり、色男の繊細さを醸し出すようなその姿に、ついつい視線を奪われてしまう。
そんな視線を気にもせず、淡々と嘴を動かして手入れを終え、あたりを数回ほど見回して、金盥の水の上で縁側の私と同じようにのんびりとした漂いを始めた。
鵜。
ながらがわの風物詩で欠かせぬ水鳥。
夕闇から宵闇に至る頃合いに炎を纏う篝火の元に、鵜匠の手綱を首に纏い、闇色の水中に煌めく流れ星の鮎を、嘴で掴み丸呑みにして捉える。
古の古事記や日本書紀に墨文字で綴られ、今も電子文字に記され続く、千年以上の刻を経たる漁法。
人と鳥とが織り成す闇灯の芸術、血の通った文化として古来より脈々と受け継がれている伝承であり、悠久の時を経て続いてゆく現世の御伽噺。
舟に乗りて目の前で繰り広げられるスペクタクル、その酔いしれる人々の中に居たこともある。川岸より眺めて親しみを抱いた事さえも。
田舎臭いと邪険にした若心においても、鵜飼だけは常に鮮度を保ち歴史の冷蔵庫の中で輝いて、その新鮮さが瞳を、心を、捉えて離さないでいた。
まだ、夢を追っていた頃、自宅のあった英国で偶然に放送された鵜飼の番組を懐かしむように見入った私に、相棒が笑みを溢しながら、いつか日本で一緒に観ようと語り合った。
親友がいた。
心友がいた。
尊敬できる1人の人間がいた。
[互いに家族が出来たら、皆で観に行こう]
テレビの置かれたキッチンで2人で夕食を作りながら交わした何気ない約束。
もう永久に果たされることのない、できない約束の言葉だけが、そう、鮎を飲んだ鵜のように喉元につかえているのだと思う。
あれは米国での仕事の帰りに、取引先から追加のアプローチを求められた日のことだ。
世界を相手にした人生の全てを投げ打ってと言っても過言ではないプロジェクトが佳境となっていた私と相棒、それによって二手に別れるしか方法はなかった。運命の女神とやらが居るとするなら、意地悪にもその冷たい指先が片方のライフソングの調べを終わらせたのだ。ワシントンDCの空港で搭乗手続きを終え、待合椅子に腰掛けて相棒が数時間前に見ていたであろうエアポートの風景と据え付けられたテレビをぼんやりと眺めていた。
たぶんABCがニュース速報をテロップで流し、次いでライブ映像が流れた。
ヒースロー空港、旅客機、着陸失敗、大破炎上、生存者不明、不明はやがて「死亡」となった。
覚えているのは単語だけ。
1週間すると私は教会の葬列に連なり、相棒に永遠の別れを告げた。佳境に入っていたプロジェクトは片割れを失うと急速に失速し、同じように壊れて消えた。ビジネスは弱肉強食、次の次の次が1秒先へと常に現れて、一握りのチャンスをモノにしなければ消えてゆく。葬儀の1週間が商機の分かれ目だったなと口にする者さえいた。
長く語り合いふたりで育てた夢も潰えた。
リトライなどとても出来るわけもなく、後始末だけを終えると席のなくなった会社を辞して、恐怖心に震えながら英国の地を離れた。行くあてもないが故に生まれた国の地へと還りつくことにしたけれど、ふるさとに待つ者は誰もいなかった。
祖父母も両親も墓碑銘に名が刻まれ、荒れた家が残るだけ、葬儀を終える度に仕事と生活のため英国へと足早に帰る私には昔ながらの親戚付き合いはできず、年月の針がまわりの年老いた者を1人、また、1人と消し去ってゆけば、代替わりした親戚は他人も同然であった。同級生の殆どは私と同じように都会や海外に出てゆき、地元に残る者たちは付き合いの薄い人ばかりとなっていた。
ふるさとであり、ふるさとでない。
でも、選択肢はなかった。住処と思い出の残る地は、ここしかない。
思い出を拠り所にして生きる日々。失って取り戻せない日々を過ごしてゆく。
そんな時に出会ったのが嘴を鳴らす鵜だった。
家の庭に蹲っていた鵜は片羽を失って傷つき、私が側へと駆け寄っても首をもたげて一瞥すると、諦めきったように首の力を緩めて土の上へと首を垂れた。動物病院に連れてゆき、上流のしかるべき処で面倒を見てもらうようになったが、鵜はそこを抜け出しては我が家の庭先にいつの間にか現れて、私を見る度に嘴を鳴らした。
「ただいま」と嘴を鳴らし、私が「おかえり」と口にする。
その挨拶が馴染む頃には1年が過ぎ去っていた。
蓄えは女ひとりで暮らしていくには十分だったが、外界との繋がりを求めて近くにできた自動車工場で事務員として働き始めた。45歳の年齢ではやる気はあっても年若い頃のように身につく迄に時間が掛かる。完璧主義ではないが仕事には人一倍に気を遣ってやってきた癖は抜けず、それを理解してくれていた相棒もいない。
立て続けのミスをしては、それの対策をする度に別のミスと気落ちする事ばかりが続いて、一回り以上年下の上司にあたる男の子が、その度に私を叱咤激励してはリカバリーを施して手伝ってくれた。
申し訳なさと情けなさに胸が張り裂けそうだった。いや、裂けていたかもしれない。拠り所は唯一、帰りつけば嘴が鳴ることだけだ。
「おかえり」と「ただいま」
迎えているつもりはないのだろう。ただ、そう思いたかった。
蛍光灯の明かりの元、買ってきた惣菜とお酒で音のない夜を過ごし、朝を迎えて再び夜を過ごす、家から離れることが出来なくなり、気を紛らわすように酒に溺れて、自らに気を使う癖さえも失ってゆけば、もう仕事も休みがちとなった。
荒れた庭、荒れた室内、荒れた身、そこで思い出に浸る。
入れ替わるように嘴の音が朝に鳴り、夜に再びに鳴った。
1週間ほど仕事を欠勤し、もう、そのまま辞めてしまおうと考えた休日の夕方こと、例の一回り年下の上司が尋ねてきた。工場の制服である作業着ではなく、スタイリッシュな若さに落ち着きを与える感じの良い服装で、私の荒れ果てた玄関の呼び鈴を押した。逃げてしまいたくて居留守にしてしまおうとしたけれど、彼はそのまま鍵の開いていた玄関から土間へと入り込んでくる。
「何をしてるんです?」
全ての種類の空き瓶と空き缶が机の上に散乱した室内に、髪も肌もなににも気を使わずに、ショーツしか身に纏わずのみすぼらしい姿の私を見て、彼が冷たくそう言った。
「うるさい、帰れ」
「帰りません」
「帰れって!」
「帰りませんよ」
彼はそのまま遠慮なしに私の元へとゴミを掻き分けて入り込むと真横に立つ。
怒りの任せるがままに立ち上がって突き飛ばしてやろうと掴み掛かったけれど、酒のおかげで足元が覚束ず彼へと倒れ込む。
すると恐ろしいほどの温かさに包まれた。
そして何が起こったのか理解できなかった。彼に抱かれていると頭が理解する迄にどれほどの時が必要だったのだろう。
「離して」
「離しません」
「やめて、離して」
「離しませんよ」
体の芯を温めるまでにそれほど時間は掛からない。
久しく忘れていた温度に私の両手はいつしか彼の背へとまわり、頭一つ背の高い彼の胸元に耳を押し当て、時を刻む早い鼓動に耳を欹ていた。
「何しにきたの?」
「様子を見に、そして、連れ戻しに来ました」
「ミスばかりの私を?」
「そんなことはない、仕事ぶりは素晴らしいです」
「情けは掛けないで、きちんと本当のことを言って」
「嘘はついてません。本当にそう思うから来たんです。あなたはミスをしても、別の箇所を修正して手を入れてくれていた。あなたのミスよりそのミスの方が数倍も数十倍も響くものだった、そして手を入れてくれたところは何十倍も良くなった」
「うそよ」
「嘘をつくならもう少しまともなことを言いますよ、丁寧で気遣いのできる素敵な仕事ぶりです。僕がいつの間にか虜になってしまうほど、失うには惜しいと思えるほど、そして、好きになってしまうほど」
腕に力が籠るのが、熱意が籠るのが、想いが籠るのが、理解できた。
「「だから、そんなに怯えないで、悩まないでいい」」
その言葉に驚愕を隠せなかった。
恐る恐る彼の顔に視線を向ける、しっかりと意思を宿した眼が私を貫く。失った日々に相棒が仕事で詰まるたびに口にしてくれた言葉だったから。
「あなたの側に居たい」
再び熱を帯びた優しい抱擁が我が身を包む。歪な形になってしまった心を包む。
やがてそれは1匹の魚の形となりながら喉元から吐き出された。隠す事も誤魔化すこともなくただ清流に住む鮎のような純粋さの言葉の魚は地面の上をひたすらに跳ね回った。
嘴の鳴る音が聞こえる。
まことの意味の「おかえり」を告げられたと思う。
私はしっかりと「ただいま」と心の中で答えた。
そして手放したくない温もりを求めて、ひたすらに、ただひたすらに、失うまいと彼を抱擁し、彼もまたしっかりと我が身をしっかりと抱擁で包み込んでくれた。
あれから3ヶ月の月日が過ぎ去っている。
荒れ果てた家は片付き、室内には持ち込まれた家具が空いた部屋へと置かれている。相棒と似たような素早い行動力には時より思考が追いつかなくなる。けれど、最善で最良の策であることには間違はなく、互いの相談のもとに今がある。
心の傷を癒すための治療に専念しながら、仕事は在宅に切り替えて辞める事なく続けている。彼は上司ではなくなってしまったけれど、私が私でできる道を一緒に探して海外の企業と繋がりのある部署に移動となった。そしてその仕事にもようやく慣れて、時より躓きながらも続けている。
夕暮れは逢魔時。
傷から滲み出た膿が私の蝕んで淵へと追いやる。一瞬にして今が失われる錯覚に囚われ、苛まれ、そして嘆く。けれど、優しい嘴の音が私を淵から引き戻し、やがて、帰ってきた抱擁に癒される。
「きっと鵜はかたらいを失った痛みを知っているんだ」
私の肩を抱いた彼が優しい目で鵜を見つめてそう口にする。
「かたらい?」
「うん、かたらい」
鵜匠の元にいる鵜たちは相棒を持つ。
それを「ひとかたらい」と表す。
ずっと2羽で行動し、かたわれを失うと残された鵜は悲しみに暮れるのだ。片割れは他の鵜と組むことはなく、かたらいを弔うように、過ごすのだ。
「痛みを知っているから、かたらいを失ったあなたの側に寄り添ってくれたんだと思う」
かたらいはつがいではない。固い絆で結ばれた一生の友だ。
「僕はかたらいにはなる事はできない、でも、誰よりもあなたの側にいて、ずっと共にいる」
私は彼の肩に頭を乗せ、縁側から庭を眺め、そして堤の先、遥か彼方のながらがわの川面を見つめる。変わらぬ流れがそこにあり、変わらぬままに流れている。
何かが川面を跳ねた、煌びやかにひかりを放ち、飛び散った水滴が宝石のように輝く。
いつぞやの飛び出た鮎が、ながらがわの水面で、跳ねたのだろう。
かたらいを失いて 八坂卯野 (旧鈴ノ木 鈴ノ子) @suzunokisuzunoki
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