第32話 舞い上がってやりすぎて

 ああもうナナ、びっくりさせないで。


 わたしは渡された布団と枕を受け取って、割り当てられた居室へ入って、思わず床に座り込んでしまった。

 彼の船長室に連れていかれたときは、「そういうこと」だと思ってしまった。だってそうでしょう、これから寝ようってときに、異性の個室に連れていかれたんだから。

 まだ顔があつい。あのひとはわたしの考えに気づいてなかったみたいだけれど、それでもこの上なく恥ずかしい――


 ナナはけっこう子供っぽい。だからわたしを部屋に連れ込もうなんて微塵も思っていなかったらしい。ただ布団を渡したいから連れてきた、それだけだった。

 思えば、ナナがわたしに「そういうこと」をするはずがないんだ。食器を洗わずに放っていこうとしてわたしが引きとめた時のしょげた表情、床に直接置かれたぐちゃぐちゃのリネン類の山。ほんとうにただの「男の子」だ。あのひとは「そういうこと」をまだ知らないかもしれない。


 わたし、勢い余って「あなたのこと嫌いじゃないけど」なんて口走ってた。なにそれ。いまはだめだけど、こころの準備ができたらいいよ、みたいな言いかた。お願いだからナナ、あの言葉はわすれて。

 でも……さすがにあの態度はちょっと傷つく。まるでわたしを異性とみていないかのよう。

 あの時……船の中で死のうとしていたわたしを無線で立ち上がらせて走らせて、そして本当に死んでしまったときには精一杯のキスでいのちを分けて目覚めさせてくれて――まるで童話の王子様みたいって思ったのに。


 ……わたしはあのひとのお姫様じゃないのかな。


 あのひとにとって、わたしは通りすがりの人間のひとりかもしれない。わたしの姿を見てどぎまぎしていたから「女性」とはみているんだろうけど、わたし以外の女性でも同じ反応をするのかもしれない。

 あと6日の航海で、わたしたちの時間はおしまいなんだろうか……


 ――離れたくない。


 こんなに気が合って、いっしょにいて心地よくて、なんだかどきどきするときもあって……こんなひと、もう出会えない気がする。


「……」


 ――寝よう、航海に支障が出る。


 毛布を持ってくるのを忘れたが、もういい。枕をおいて、布団を敷いて――

 このまま寝たら服がしわになる。あまり好きじゃないけど……寝間着がないし、しかたない。


 服を脱いで横になり、布団にくるまった。

 彼のにおいが、わたしの全身をつつむ。こころをくすぐるそのにおいは、まるで彼がわたしを抱きしめるかのよう。

 ……わたしは本物のそれを経験できずに、6日後にこの船を降りるのだろう。


 あのとき、部屋まで連れていかれたとき、わたしも部屋に入って、精一杯「お願い」をしてみせれば、彼もその気になっただろうか。

 そうしたら、この布団はにおいだけじゃなくて、ふたりのぬくもりも感じさせてくれたかもしれない。


 いまは布団をぎゅっと抱きしめ、わたしひとりの体温にふるえるしかなかった。


・・・・・・


――ピピピピピ!


 目覚ましの音に夢を破られ、ぼくは目をつぶったままスマホを指でぱしぱしと押す。何度か押したら、音が止まった。

 それが幾度か繰り返されたが、やがて静かになった。ぼくは再び心地よい眠りに沈んでいった。


 何かが身体に触れて、また眠りから覚める。目は開けずに、身体をぎゅっと縮めた。


「――おきて」


 すこしイラっとする。眠いんだ、起こそうとするな。

 二の腕をそっと撫でている手がうっとうしい。


「母さん、いいから」


 起こさなくていいから、あとすこし寝かせて。自転車を飛ばしていけば、学校にはぎりぎり間に合う。いつもそうだから。


・・・・・・


 わたしはなかなか眠れなかったが、さすがに疲れていたのか、目覚ましの音ではっと目を覚ました。いつから寝ていたのだろう。

 せっかくなら眠らずに、このにおいに包まれていたかった。


 でも、だめだ。航海士としての務めがあるのだから。

 服をぴしっと整えて、背筋を伸ばして部屋を出る。


 さあ、仕事だ。


・・・・・・


 操舵室に、ナナはいなかった。


 思えばあのひとはここまで、大変な思いをしながらやってきた。いやなことも、たくさんあったはず。きっと疲れ果てて、まだ寝ているのだろう。

 わたしの航海士としての階級は3級。いちばん下だ。だけどテレポート設定はきちんと習ったし、実際にちゃんとひとりでできる。

 このまま寝かせておいてあげようか。わたしだけでも、この後の操作はできるのだから。


 ……なんて、だめだよね。


 彼は船長だ。船長は船の最高責任者であり、だからこそ、その命令は絶対なのだ。乗員が命令なしで勝手に行動したら、船長はどう責任を負うというのか。

 わたしがひとりでテレポート操作を行ってなにか事故でも起こしたら、彼に迷惑がかかる。つらいと思うけど、起きてもらおう。


・・・・・・


 相変わらず鍵がかかっていない船長室。ドアはわたしに反応してすぐ開いた。

 彼はベッドのうえで、上着を抱くようにして眠っている。すう、すうという寝息は安らかというより痛ましく、疲れ果てた彼の悲鳴のようにさえ聞こえる。


「……」


 これを、起こすのか。

 こんなに疲れて身を横たえたこのひとの、安らかな眠りを引き裂くのか。わたしは、ひとを苦しめて楽しむ残虐な悪魔か。


「……」


 そっと、あくまでそっと、彼の二の腕に触れた。彼は不快そうに目をつむって、ぎゅっと縮こまる。その姿が、わたしのこころに突き刺さる。


「ナナ、おきて」


 できるだけやさしく、彼にささやく。縮こまった彼の腕を、わずかに撫でる。

 嫌そうな顔、悲しいほど縮こまった身体。いまのわたしは、このひとを虐げる悪魔――


「母さん、いいから」


 ――!


 いま、「母さん」って――


 たぶん「ちきゅう」にいた頃と、混同しているんだ。きっと彼はいま自分の家で寝ていて、お母さんに起こされているつもりなんだ。

 わたしのことを、悪魔といわない。このひとにとって、いまのわたしはお母さん。

 きっと何でもない日の朝、お母さんに起こされて、かすかに抵抗して眠り続け、あとで学校にでも遅刻するんだろう。


 悪魔じゃない、わたしはお母さん――

 そう思うと、なんだかこころがくすぐったくなった。


 ちょっとびっくりさせてやろう。「ちきゅう」の学校は、何時ごろが始業時間なのかわからないけど……


「もう8時だよ、おきて」

「……は!」


 ナナは弾かれたように上体を起こした。


・・・・・・


 母さんの声がする。


「もう8時だよ、おきて」


 ……。


 ――8時!

 学校まで自転車で最速25分。起きて着替えて朝食は抜いて、でも駐輪場から教室までの時間が――


「……は!」


 全力で身を起こす。

 やばい、やばい、やばい。荷物は昨日のうちに準備してあるけど、いまからそれを持って自転車に乗るまで何分かかるか、そしてその先は――


 その先は……


 ――あれ、ここどこだ。


 いつもの畳の部屋じゃない、窓のない暗い部屋……

 横を向くと、きれいな黒髪の女性がほほえんでいる――


「ナナ、おはよう。ごめんね、起こしちゃって」


 あ――!

 そうだ、学校なんてとっくの昔に卒業した。地球なんて遥か彼方、ここはぼくの宇宙船「GSL209」だ。


 つまり――遅刻のおそれはない!

 よかった、怒られなくてすむ。内申点にも響かない。


「ナナ、だいじょうぶ? もし疲れてるなら、指示してくれればわたしだけでテレポートの操作はできるよ。もうすこしやすむ?」


 ああ、母さんもそんなふうに言ってたな。ぼくが起きないと、「今日は学校休む?」って、わりと本気で言ってた。


 ……まてよ、リリィに起こされたのか。


 いかん、遅刻だ! 5つ仕掛けた目覚まし、全部止めて寝てたんだ。リリィが起こしに来たってことは、もう操舵室に入るべき時間に遅れているはず。こっちの世界でも遅刻するまで寝てたんじゃないか!


「いや、行く、行く。ごめん寝すぎた。やばいやばい。ほんっとごめん!」


 どたばたと起きて上着を着て、緩めていたネクタイを締めて。ぼく自身が寝過ごすのはいい。でもリリィが起きていたのにこっちはぐうぐう寝てたのがよくない。本当に、本当に申し訳ない。


 あわてて操舵室へ向かうぼくに、とことこと足音がついてくる。こんなにあわてるのは久しぶりだ。


・・・・・・


 遅刻して操舵室に入ったぼくは、大慌てで主操舵席に着席した。ついてきたリリィが隣の副操舵席に座る。


 外部モニターには、相変わらず星々が映っている。転移クリスタルはまだ見えない。

 しかし肉眼で見えないだけで、レーダーと魔力探知機にはしっかり映っている。もうだいぶ近い。

 ここはだいぶ交通量の多い場所だったようで、転移クリスタルの反応が5つもある。古式海図は航路管制との交信周波数を拡大表示し、順番待ちのための待機列の位置と名称を示してきた。


 外部モニターでも正面に転移クリスタルが見えるようになり、まもなく停船した。この位置から先は、管制官の許可がないと進めないらしい。

 電波検知器に人工の電波が入らないので、ここにはもう航路管制はない。システム上で管制からの許可が出た扱いにして前進する。とりあえず、海図が示す待機列の「A-1」へ進入して待機状態にはいった。

 5つのクリスタルはそれぞれ別々の色を放っている。海図の情報ではどれを使用しても行き先は変わらないようなので、今回は1番の転移クリスタルを使用する。


 リリィが計器を見つつ報告してくる。


「転移クリスタル1番の魔力波を捕捉。海図の情報通り、魔力強度高い。機関設定は完了、同調準備よし」


 そこまで言って、こちらを見てきた。ぼくが指示を出す番だ。


「両舷停止、舵中央。主機関、テレポートモードに変え。テレポート用意」


 リリィが転換スイッチを押す。ぼくは主機関のパラメータがすべてテレポートモードに変わったことを確認する。


「主機関、テレポートモード」

「チェック」


 リリィのコールと、ぼくの確認。テレポートの準備は完了。

 管制承認は省略、自動操縦の「執行」ボタンを押下する。船はテレポート魔法に乗って前進し、クリスタルへ向かって動き出す。


 数百年ぶりにここを航行した船が、いま消えていく。つぎに来る船はないかもしれない。

 外部モニターが真っ暗になって、計器表示は完全にテレポート状態となった。海図の情報では、テレポートアウトまで6時間。やや長めの時間がかかる。


 もう一度、寝ようか。まだねたい……


・・・・・・


「ナナ、わたしのこと『母さん』って呼んでたよ」


 部屋に向かう途中、リリィがにこにこ笑いながら言ってきた。

 やばい、ぼくそんなこと口走ったか。ちょっと年下の女性相手に。寝ぼけてたとはいえ、それけっこう恥ずかしいやつじゃん。


「わたしのこと、お母さんだと思ったの?」


 リリィの追撃が恥ずかしさを掻き立てる。

 でも、実際のところは――


「……うん、思った」


 そういうことになる。

 彼女はそれを聞いて、もっとうれしそうに笑う。


「ふーん、じゃあ、今度も起こしてあげようか、『お母さんコース』で」


 なにそのコース。そんなのやらせたら、ぼく変態船長だよ。

 まるで咲かせた花をふりまくように、リリィがとことこついてくる。すごく楽しそうだ。

 よし、ならばきっちり言ってやろう。


「うん、『お母さんコースおはようのハグ付き』でおねがい」


 おはようのハグ付きって何だよ。自分で言っといて、何言ってんだかわかんないな。お母さんハグしねえよ。


 リリィはすこし驚いた顔をして、それから――


「うん、ご注文どおりに。やさしく起こしてあげるから、ゆーっくり寝ててね、ナナ」


 おい注文通っちゃったよ。変態船長確定しちゃったよ。

 なんだかおかしなテンションで喜んでいるリリィ。部屋に戻ったあと、我にかえって真っ赤になっても知らないぞ。


 船長室前、ここでリリィと別れる。でもそのまえに――


「リリィ、あのさ。さっききみに起こされたとき思わず『母さん』って言ったみたいだけど、あのときは本当に――」


 ぼくの言葉の続きを、なにか期待したような表情で待つリリィ。


「――あのときは本当に母さんだと思った。起こし方がおなじなんだから」


 あのときだけは、まだ平和に暮らしていた時間に戻っていた。それはひとときの幻に過ぎなかったけれど……


「おかげで……ひさしぶりに、いい夢がみられた」


 くすぐったそうに笑う彼女に手を振って、ぼくは船長室に入った。

 鍵はあけたまま、目覚ましはかけないでおこう。


・・・・・・


 船長室のドアが開いたとき、すでに目が覚めていた。

 じつは来ないんじゃないかと思いながら、ぼくは意外に長い時間を過ごした。


 そっと、二の腕に触れられる。


「ナナくん、おきて」


 くん付けで来たか。そのちょっと語尾をあげるところ、お母さんじゃなくて彼女みたいたぞ。彼女いたことないけど。


「ん、うーん……」


 まだ眠いようなふりをしながら、身体を縮める。だだをこねる子供のつもりで。


「そう、起きないんだ。ならいいや」


 あれ、台本と違うぞ。いや台本ねーよ。


「こうするから――」


 ――!


 ぞわぞわと、肩から首筋にかけて刺激がはしる。強すぎず弱すぎない、猛烈にこそばゆい感触。


「ほらほら、おきろーっ」


 やばいやばい。痛いのならまだいい、くずぐったいのは耐えられない――


「――っ、あっ!」


 変な声を出しながら、思わず目をひらく。すぐ目のまえに、彼女が顔を寄せている。


「あ、目あけた。ナナ、ほんとは寝てなかったでしょ」


 そうだけど、勝手に目が覚めちゃったんだから仕方ない。


「わたしが来るの、まってたの?」


 え――?


 いや、それは……確かに待っていたことになるが、だってきみがあんなに楽しそうにしていたから――

 なんだかこれまでと雰囲気がちがうぞ。リリィはこんなことをしたら耳まで真っ赤になってしまうはずじゃあ……


 リリィが手を放してくれて、ぼくは身体を起こした。


「はい、おはよう。ナナ」


 そしてぼくが心の準備をする間もなく、リリィはぎゅっと抱きしめてきた。どうして――

 いや、おはようのハグ付きって言ったのはぼくだけど、本当にやるの?


 彼女のにおいが鼻をくすぐり、髪がさらさらと肩に触れてくる。ほんのり感じる体温と、身体のやわらかさ。息がとまりそう……

 ふたりの身体が触れ合って、逃げ場がない。抱きしめられるのって、こんな感じなのか。


 彼女はぼくの頭を何度かなでて、それから身体を離した。


「はい、今日はここまで。先に行ってるから、おちついたらきてね」


 永遠におちつなかいかもしれません。もうお婿に行けません。

 彼女はすたすたと部屋を出ていき、ぼくはひとり残された。


 リリィ、「今日はここまで」って言ってたけど、明日もこれやるつもり? 大丈夫なの、この状況。


 あのひとどうしたんだろう、今日は。


・・・・・・


 ぼくはたっぷり時間をかけてこころを落ち着け、それから操舵室へ向かった。


 操舵室の扉がひらくと、「ひっ」とちいさな声が聞こえた。前を向いたままのリリィが、副操舵席で縮こまっている。


「ごめん、遅くなった……」


 そう言いながら主操舵席についたが、彼女はなにも言わない。

 そうだろうな、さっきはなにか変なテンションでぼくに迫り、思いっきり抱きしめたのだから。普段の調子に戻ったら、そりゃあこうなるだろう。


 船はとっくにテレポートアウトしており、設定した航路に従って自動操縦で航行している。ここに来た目的はテレポートアウトの監視のためだったが、あれだけ部屋でもだえていたので大遅刻した。

 横目で隣を見ると、リリィは計器盤を見て固まっている。


「あの、リリィ」

「はい」


 敬語になっている。


「大丈夫? その、さっき無理してた?」


 さっきの妙なテンションは、ぼくの変な注文を満たすために無理をしてやった可能性もある。だとしたらぼくの失言だ。


「いえ、問題ありません。支障ないです」


 だいぶ支障ありそうだが。

 さっきのよく分からない雰囲気から一転して、とんでもなく気まずくなってしまった。


 目的地まどあと5日ほど……大丈夫だろうか。

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