第31話 こころを揺さぶる男の子
船は古式海図に記された標準航路のひとつに乗って、軽快に走り出した。
時折、細かい速度制限や針路制限を受け、自動操縦装置が舵を切っている。ここは混雑航路だったのか、本船の動きはまるで対向船や低速船をかわしているかのようだ。まだこの星系が歴史を紡いでいた頃の船の動きが、当時の海図に従う本船に再現されているのだろう。
この標準航路の先に、次の転移クリスタルがある。到着までおよそ6時間。仮眠くらいはとれそうだ。
ここまでずっと緊張が続いてきた。正直、もうくたくただ。12時間くらい寝たい気分だが、テレポートの設定が必要なので、6時間後までにこの席に戻らなければならない。がまんしよう。
食事も必要だな。ぼくだけなら別にいいが……
「リリィ、今のうちに何か食べておこう」
このひとがいるから。
「ええっと、いいの?」
彼女は遠慮がちに言うが、食事なしで次の港までは絶対にもたない。それに――
「ここまで頑張ってもらって、きみに何も食べさせないなんてありえない。さ、行こう」
ぼくたちはいっしょに席を立った。
・・・・・・
――というふうに格好をつけたぼくだったが、食堂には大したものはなかった。
それはそうだ。ぼくは食べ物に興味はない。食事は時間の無駄遣いだと思うし、食べなくていいならそうしたい。でも食べないと生きられないから、仕方なく、それなりにおいしいと思えるものを形式的に食べている。
だから食糧庫にはろくなものはない。冷凍食品とレトルトと、エネルギーバー的な棒状のやつ。そんなものがずらりと並んでいる。
「ご、ごめん、大したものなくて。いちおう、ほら――日持ちするからいいかな、って」
言い訳になってないことを言うぼくを尻目に、リリィは並んだ簡便食品をひとつずつ見ている。
「ナナはどれが好きなの?」
え、好きなやつ? いや、それ聞かれても……
「えーっと、おれ食べ物とか興味ないから、正直どれも好きじゃないんだよね。あはは」
笑ってごまかそうとしたが、彼女はそれ以上なにも聞かずに眉を寄せて選んでいる。
しばらく経って、リリィは箱をふたつ持ってぼくに見せた。
「じゃあこれ。いっしょに食べよ」
パッケージを見てもよく分からないが、食べれるならいい。それにしよう。
・・・・・・
人類史上稀にみる発明品である電子レンジ、ぼくの必需品。こいつのおかげで簡便食品があっという間にできあがる。ありがたいものだ。
ふたり分加熱して、それぞれ皿にあける。料理のにおいが辺りに広がったが、こういうにおいは好きじゃない。
ぼくがテーブルに皿を置いて椅子に座ると、リリィも隣に座った。
さて、食べるか。
「はあ……いただきます」
ぼくのぱっとしない口調が気になったのか、リリィがぼくの顔をみる。
「それ、どういう意味?」
機嫌を損ねたと思って慌てたが、見れば彼女は不思議そうな顔をしている。意味って、そりゃ「いただきます」っていうのは――
あ、そうだ。これ日本語だ。
こっちに来てだれかと食事をしたことはなかったから、こっちの作法は知らない。それでぼくはずっとひとりで、日本式の作法を続けていた。だが彼女はそんなもの知らないのだ。
「ああ今のは、ぼくの故郷のことば。つい言っちゃったけど、無視していいから」
それを聞いて、彼女の表情はやや曇った。
「故郷……『ちきゅう』って言ってたっけ。『ちきゅう』の人は、食事のまえにそう言うんだね」
「いや、国や地域によるかな。おれのいた国では『いただきます』って言ってた。その習慣がまだ残っててさ。誰も見てないし言わなくたって怒られないんだけど」
ちょっと笑って肩をすくめてみせるが、彼女の表情は晴れない。
「こっちのたべもの……おいしい?」
ああ、どうやら故郷に帰れないぼくのことを心配しているようだ。べつに大丈夫なんだけど。
「はやく食べよう、冷める」
ぼくはスプーンをとった。
「地球もこっちも、同じ。食事は好きじゃないから、どっちの食べ物もまずい」
ぼくはそのまま、一口目をほおばる。時間の無駄だ、はやく食べたい。
「でも、誰かといっしょに食べるのは地球を出てからはじめて。選んでもらったのもはじめて。おれにとっては……ほっひのほうははひひかは」
悲しそうに聞いていたリリィは、ぼくの不意打ちに引っかかって吹き出した。
「ナナ、食べながらしゃべらないで」
そう言いながら、彼女は向こうをむいて肩を震わせている。時々ふふっ、と声が漏れている。
こうして誰かを笑わせるのは、地球にいた頃は得意だった。いま、断続的な思い出し笑いに襲われ続けているリリィを見れて満足だ。
「ほら、リリィも食べて……はへはふほ」
「もう、もう笑わないよナナ。……ふ、ふふ」
この食堂で誰かが吹き出すのもはじめてだろう。
ようやく笑いがおさまったリリィも、食事に手をつけはじめる。でも時々、「くっ」と言って手が止まる。ツボに入ったのかな。
さすがに笑いが止まったリリィだったが、不意にその手を止めた。
「ねえ、さっき何て言ってたの?」
「さっき?」
何のことだろう。
「さっき食べながら言ってたの、何て言っていたの?」
ああ、それ。
誰かといっしょに食べるのも、選んでもらったのも地球を出てからはじめてだったから、味よりも――「そっちのほうが大事かな」って。
「きみがいっしょに居てくれることがうれしいんだ、って言った」
「絶対ちがーう! そんなに長くなかった。教えてよ、気になるでしょ!」
そう言いながら、彼女はすこし顔を赤らめた気がした。
・・・・・・
食事は済んだ。
食器は後で洗おうと置いていったらリリィに怒られて、流し場に連行されいっしょに洗った。
転移クリスタル到着まであと5時間くらい。眠れるのは実質4時間半くらいか。目覚ましを5重にかけて寝過ごしを防ごう。寝ぼけたまま「スヌーズ」ではなく「停止」を押して、スヌーズ機能が止まることへの対策だ。けっこうよくやる。
いつもの船長室に向かいかけ、足が止まった。
リリィの寝る場所はどうしよう。
一人乗務だから、船長室しか使っていない。複数名で乗り組むことも考慮して乗員居室は他にもあるが、だれも使わないので船長室周辺の部屋はほぼ物品庫と化している。遠い部屋は使い道がなく、ドアを開けた記憶もない。
どうするか考えていたら、リリィが声をかけてきた。
「ナナ、毛布ちょうだい。わたし操舵室で寝るから」
え、操舵室って……
うん、言いたいことは分かるし、ぼくもやったことはある。
操舵室で仮眠していれば、なにか警報が鳴ったときすぐ飛び起きて対応できるのだ。船長室や乗員居室でも警報は鳴るが、操舵室まで移動するぶん時間が余計にかかる。
だがいまは必要ないだろう。海は安定していて、他船も走っていない。そのほか航行に支障のあるものは探知されていない。大丈夫だ。それよりこのひとを操舵室の床に転がして放っておきたくない。
「だめ、居室を探そう。どこか使えるはず。ベッドは室内備え付けだから、シーツと枕と掛け布団をそろえれば寝られる」
「でも、わたし正規の乗員じゃ――」
「ほら来て、行くよ」
そう言って、ずんずん歩き出す。後ろから、とことこと足音がついてきた。
・・・・・・
物品庫として使っていない乗員居室を調べてみると、記憶にない物品類が積み上がっていたり、自動扉が故障していたりして、使える部屋がないんじゃないかと慌てることになった。
ちゃんと扉が開いて、かつ中に何もない部屋が見つかって、ほっと胸をなでおろす。扉には「第7乗員居室」とある。
無機質な壁と天井に囲まれて、物品の出し入れもなかったせいか、内部はホコリが一切ない。空調と照明も生きている。これならこのひとの寝室くらいにはなるだろう。
――が、寝具がなかった。
ぼくが洗わずに放ったらかしたリネン類の山が「第2乗員居室」から見つかり、リリィが「むー」と言いたげにこちらを見るなか、そそくさと扉を閉じた。
どうやらぼくがいま使っている寝具が最後のワンセットだったらしい。「この航海が終わったらおれ、洗濯するんだ」――と格好をつけて言おうとしたが、怒られそうなのを察知してやめた。
「ナナ、洗濯については後で言いたいことがあるけど――」
はい、ごめんなさい。もう溜めません。
「いいよ、ひとりで乗ってるんだもんね。自由でいいんだよ」
うう、やさしさがなんだか沁みる。
「わたしはさっきの部屋で寝させてもうらうね。ベッドがあるだけでも上等だよ」
ううん、それはなんだか……ぼくは船長なのに、自分の船のたいせつな乗員に休む環境さえ与えられないというのは情けない。ちゃんと洗濯してればよかったんだけど、今からじゃ貴重な睡眠時間を減らしてしまう。
ならば――
「リリィ、来て」
「へ? なに?」
一直線に船長室に向かう。寝具はワンセットだけ、そこにある。
相変わらず鍵のかかっていない自動扉を開くと、リリィはその場で固まった。
「あ、あの、ナナ? その、これって……」
ぼくはそのまま踏み込んだが、彼女は部屋の外で固まっている。これまで勝手に立ち入っていたのに、いまさらどうしたのだろう。
掛け布団をばさりと広げる。うん、とりあえず使えそうだ。
まだ外にいるリリィを振り返ると、彼女は緊張した表情でごくりと唾をのんだ。
「な、ナナ、それはちょっと、まだ……いや、あなたのこと嫌いじゃないけど、いますぐいっしょは、わたし――」
急に歯切れの悪くなった彼女に、使えそうな掛け布団と、それから枕を抱えて持っていく。
「これ、もし嫌じゃなかったら使って。嫌だったら床に置いといて。きみを放ったらかしておれだけぬくぬく寝ているのは無理だ」
「――へ?」
あとは、さすがに毛布のストックはあるはず。それを下に敷けば応急的に寝られる。
「おれはこれがあるから大丈夫。寝具を切らしたときたまにやるんだ」
そう言って船長服をぽんぽんとたたく。これを身体にかけて、何か別の服を丸めれば布団と枕が完成する。万全の布陣だ。
外に立ったままのリリィは、なぜか顔を赤くしていく。同じ布団を使うの、恥ずかしかっただろうか。
「あ――うん、うん。わかった。ありがと」
彼女は耳まで赤くなりながら、布団と枕を受け取った。
「なんにもないけど、あの部屋は自由に使っていいから。鍵はかけていいけど、非常時には船長権限で強制解錠することがある。いいね?」
強制解錠は中の人間が自力で動けないと判断した場合や、誰かが立てこもった時にだけ行う。このひとが急な体調不良でも起こさない限り、行うことはないだろう。
「うん、うん、ありがと、ありがと。それじゃ――」
彼女はなぜか、逃げるように立ち去った。
人がいなくなったのを検知して、自動扉がスッと閉まった。
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