第2話 あの日

 真っ青な顔をしているさくらを支えて七海が廊下を歩いていると、廊下の先に息を切らした体操服姿の優花が現れた。


「あら、もう抜け出してきたのね。世話が焼けること……」


 さくらの耳に七海のつぶやきが聞こえた。


「お前、何をした?」


 優花が怒鳴った。優花は激怒していた。


「何のことかしら?私は体育に出てただけけど」


 七海は白々しく首をかしげた。


「ぬけぬけとよくも!」


 優花が七海に掴みかかった。


「優花ちゃん、やめて!」


 痛むを頭を押さえて、さくらがふらふらと二人の間に割って入った。


「どいて、さくらちゃん!こいつはあたし達を殺しに来たのよ!」


 優花はさくらを振り払って、七海の前に出た。


「お前なんか消えちゃえ!」


 優花の叫びとともに、廊下のガラスが一斉に割れた。


「きゃあっ!」


 さくらが悲鳴を上げた。

 割れたガラスの破片が意志を持っているかのように、七海に降り注いだ。


「祓」


 七海が言葉を発すると、ガラスの破片が消失した。


「くそぉ!」


 割れた窓の外に炎の海が現れた。炎は世界の全てを焼き尽くさんばかりに燃え盛っていた。

 優花の体からも炎が噴き出し、優花自身の体を焼きつつも、七海を飲み込もうと廊下に燃え広がった。


「あらぁ、井上さん。木之下さんにそんなものを見せてもいいのかしら?」


 七海がおかしそうに笑った。


「お前ぇぇぇ!」


 優花が振り向くと、呆然と立ちすくんでいるさくらの姿が目に入った。


「くっ……」


 優花はぎゅっと体を抱きしめると、膝をついた。

 必死に何かを抑えようとしているようだった。


 優花の体から炎が消えた。焼け爛れた体が元に戻っていく。

 窓の外は炎の海に代わって普段通りの学校のグラウンドが現れた。男子生徒が歓声を上げてサッカーに興じている。

 割れたはずの窓ガラスも何事もなかったかのように元通りになった。


「何、今の?」


 さくらにはたった今起こったことが理解できなかった。


「ねえ、木之下さん。あなたいつから学校にいるの?」


 七海がさくらに問いかけた。


「えっ、いつって……」


 朝、学校に来たに決まっているとさくらは思ったが、自信がなかった。家から学校に向かった記憶がまるでない。そもそも家のことが思い出せない。

 さくらには優花と二人でたわいない話をしている記憶しかなかった。

 まるで永遠にそれを続けているかのように……。


「さくらちゃん、そいつの話を聞いちゃダメ!」


 膝をついている優花が叫んだ。


「縛」


「ぐっ」


 床から注連縄が現れて、優花を縛り上げた。


「ちきしょう。このっ、このっ……」


 優花は激しく暴れたが、注連縄から抜け出すことはできなかった。

 優花は悔しそうに唇をかんで七海を睨みつけた。


 七海がさくらに顔を向けた。


「木之下さん、あなたは知りたくない?ここがどんな場所か」


「えっ」


「ついてきて。あなたに見せたいものがあるの」


「やめて!さくらちゃん、行っちゃダメ!あたしを置いていかないで!」


「井上さん、もう木之下さんを解放してあげなさい。その時が来たのよ」


 七海は優花に憐れむような目を向けた。


「ごめん、優花ちゃん、必ず戻ってくるから」


 七海はさくらを放送室に連れて行った。

 ドアに使用禁止の貼り紙が貼られている。


「開けてみて」


「でも、鍵がかかってるんじゃ……」


「鍵はかかっていないわ。そう思い込んでいるだけ」


 さくらはドアに手をかけた。確かに鍵はかかっていなかった。

 さくらは扉を開いた。

 

「……そっか。わたし死んでたんだ」


 血だまりの中でさくらが倒れていた。



―――――――――――――――



 あの日、さくらがお風呂から上がってベッドに入ろうとすると、優花から電話がかかってきた。優花は取り乱していた。何を言っているのかよく分からなかった。


「今、どこにいるの?」


「学校……。放送室にいる……」


「そこから動かないで。すぐに行くから」


 電話を切ると、さくらはすぐに七海に電話をかけた。七海は修行のために隣県の神社に出かけていた。


「私もすぐにそっちに向かうから。優花ちゃんをお願い」


「うん。まかせて」


 さくらが学校に行くと、暗い放送室の奥で優花がうずくまっていた。


「優花ちゃん、どうしたの?」


「…………お父さんが死んだの」


 長い沈黙の後、優花がぼそりと言った。


「えっ!?」


「首を吊って死んだの。そうしたら怖い人達がやってきて借金を返せって。あたしに体を売れって。体を売って借金を返せって……」


 優花は泣き出した。


「そんな……」


「あたし嫌だ!体なんか売りたくない!」


 優花は頭を抱えて激しく首を振った。


「優花ちゃん、落ち着いて。もう少ししたら、七海ちゃんも来てくれるから」


 さくらは優花を抱きしめた。


「さくらちゃん、どうしよう?あたし、どうすればいい?」


 涙でくしゃくしゃになった顔を上げて、優花はさくらに縋った。

 さくらは答えることができなかった。


 優花はしばらくの間、さくらに縋って泣いていたが、やがて何かが壊れたようにくすくすと笑い出した。


「……そうよね。さくらちゃんに言ってもどうしようもないわよね。所詮、他人事だもんね」


「そんなつもりは……」


 優花はさくらをドンと突き放した。


「どんなつもりでも同じことよ!出てって!」


 優花は隅に置いてあったスポーツバックから包丁を取り出した。


「あたし、ずっとここにいる。どこにも行かない」


「優花ちゃん、何するつもり!?」


「出てって!体を売るくらいだったらここで死ぬ!」


 優花は包丁を首に当てた。


「優花ちゃん、やめて!」


 さくらは優花に飛びついて包丁を握った手をつかんだ。


「放して!邪魔しないで!」


 さくらは懸命に優花を押さえ込もうとしたが、優花は激しく暴れた。


「優花ちゃん、やめて!」


 二人はしばらく揉み合っていたが、急にさくらの体から力が抜けた。

 包丁がさくらの心臓を貫いていた。

 噴き出した血が優花に降りかかり、さくらは床に崩れ落ちた。


「ああっ、さくらちゃん!?」


 優花は血に濡れた包丁を投げ捨てて、さくらに取りすがった。

 さくらは既にこと切れていた。


「さくらちゃん!さくらちゃん!さくらちゃん!……」


 絶望に染まった顔で優花は長い時間さくらの体をゆすっていたが、さくらが応えることはなかった。

 やがて優花の顔が狂気の笑みに変わり、優花は笑い出した。


「あはははは。もう、どうでもいいや。みんな消えちゃえばいいんだ!」


 優花は学校に火をつけた。

 学校は炎に包まれた。



―――――――――――――――



 廊下に戻ると、優花が力なく座り込んで泣いていた。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」


 二人が近づくと、優花は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。


「ごめんなさい、さくらちゃん。あたし、取り返しのつかないことしちゃった……」


「ううん、わたし、怒ってないよ。優花ちゃんが心配なだけ」


 さくらは首を振った。


「七海ちゃん、あたし、地獄に行くの?」


 優花は弱々しく七海に尋ねた。


「地獄なんてないわ。地獄というなら、ここが地獄よ。でも、もうそれも終わり」


 七海は優しい声で答えた。


「あたし、どうなるの?」


「また別の人生を歩むことになるわ。これまでのことは全部忘れて」


「さくらちゃんとはもう会えない?」


「また会えるわ。でも、出会ってもさくらちゃんとはわからないでしょうね」


「そう……」


 優花は寂しげな顔でうつむいた。


「でも、そういうものなの。優花ちゃんはこれまでもずっと長い旅を続けてきたの。でも、何も覚えてないでしょ。今回はちょっと失敗しちゃったけど、旅はまだまだ続くわ。旅をする必要がなくなるまで。だから……」


 七海は少し考える仕草を見せた。


「がんばってね」


 七海はにっこりと微笑んだ。


「わかった。ありがとう。……七海ちゃんともまた会える?」


「うん。きっと。その時は仲良くしてね」


「もちろん」


 優花は白い歯を見せた。


 三人の前に白いゲートが現れた。

 さくらが優花に手を伸ばした。


「そこまで一緒に行こ」


 迷った様子で、優花は七海に目を向けた。


「大丈夫よ」


 優花はさくらの手を取った。


「じゃあ、また」

「それじゃ、またね」


 ゲートに入る直前、二人は七海に手を振った。


「うん、またね」


 七海は二人に手を振り返した。


 二人は手をつないで白いゲートに入っていった。

 二人を受け入れると、ゲートは消えた。




 深夜、人気のない廃校の一角に巫女姿の老婆が座っていた。

 その周囲には注連縄が張り巡らされ、結界を構築している。

 あの事件をきっかけに学校は廃校になった。死んだ少女達の声が聞こえるなどの噂も立って、訪れる者もいない打ち棄てられた場所になっていた。


「ふぅ、霊力を使い切っちゃったよ」


 ほっと息をつくと、老婆は持っていた祓串を膝に置いた。


「それにしても二人に会うまで随分と長くかかってしまったもんだ。まったく、約束を果たすのも大変だよ。優花ちゃん、思い込みが激しかったからねえ。さくらちゃんも付き合いがいいったらありゃしない」


 老婆は懐かしそうに目を細めると、ひゃっ、ひゃっ、ひゃっと笑った。


「ま、私が生きているうちに何とかできてよかったよ。私ももうすぐかね。立ち上がるのも一苦労だ」


 廃墟と化した学校を出ると、老婆は夜の闇に消えた。

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とある学校の片隅で 津村マウフ @sumio1234

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