【第5話】 見沼一族の依頼



 その依頼が舞い込んだのは秋の初めだった。




 祖父江堂の開店は午前十時。

 配達されたお客さんの注文で取り寄せた品物や新刊のコミックや雑誌、発売日よりも遅れて入ってきた書籍などの荷物を広げたあとに、入り口のシャッターをガラガラと上げる。すると、スニーカーの爪先にコツンとなにかが当たった。足元を見るとコンクリート敷きのポーチの上に、付きの栗が一枝だけ無造作に置かれている。


「依頼だな」


 いつの間にやら後ろに立っていて、わたしの代わりに途中からシャッターを上げきってくれた白さん。いつもながら足音と気配が薄い。


「誰から?」


 栗の枝を手に持った白さんは細い目を瞑って、込められた念を読み取っている。


「……これは見沼山みぬまやまの古狸だな」


 狸さん……依頼は初めてだ。


「今夜、祠に来るそうだ」


「じゃあ暖かくして行かなきゃね」


 近年は夏が長くて秋が短い。とはいえこの季節になると夜はそれなりに冷える。厚手のパーカーはもう押し入れから出してあったかしら? などと考えて、白さんがサンダルを履いた足で器用に剥いてくれた栗のを、指に刺さないように気を付けながら中の栗を取り出した。栗は大粒で艶々しい茶色だ。スーパーで買ったなら、かなりのいいお値段になるだろう。


 明日は栗ご飯……なんていいかもしれない。





 ✻



 祠の前で白さんと待っていると、さっきまでうるさいほどに賑やかだった秋の虫のがぴたりとやんだ。

 ぽぽんとつづみのような音が鳴る。一瞬、空間がずれたように感じる。


 目の前に突如として大きな人影が現れた。


「お初にお目にかかります。わたくしは見沼山一体を棲処すみかとしている見沼一族の長、草稲城くさいなぎコワミでございます」


 そう名乗った着物を着た大柄な女性は、腰を深く折って頭を下げた。結った日本髪に飾られたかんざしのつまみ細工が揺れる。

 身体と同じく大きな顔。真ん丸の目も大きく、目尻が滑り台のように垂れていた。大きな口の周りにはぴんと張ったひげが左右に三本づつ生えている。

 両隣には幼い子どもが立っていて、草稲城さんの着物の裾をしっかりと掴んでいた。草稲城さんの大きな身体の後ろに隠れるようにしている。


「はじめまして。わたしは祖父江堂の二代目の神田瑠樹です」


 ぺこりと頭を下げて挨拶をする。

 こういった依頼もだいぶ慣れてきた。

 隣の白さんは腕を組んだままだった。もとから細い目をさらに細めている。


「祖父江堂のお噂は仲間内からかねがねうかがっておりました。この度はぜひともお力を貸していただきたく……」


「つまらぬ口上はいいから早う要件を言え。こんなところは寒くてたまらん」


「ちょっと白さん」


 白蛇の化生なだけあり、白さんは寒い場所は苦手だ。それでも話を遮っては失礼でしょうと窘めるも、どこ吹く風という表情で知らん顔をしている。

 まったくもう。


「連れがたいへん失礼をしました」


 慌てて草稲城さんに頭を下げて謝る。


「ほっほっほっ。よいのですよ。……たしかに蛇にはお寒い季節になりましたものなぁ。お気の毒じゃて」


 着物の裾で大きな口を隠した草稲城さんの大きなまん丸の目は、大きな顔の中央で憐れんだように横に伸びた。


「狸に同情してもらわんでも結構。はよう要件を言え」


「白さんっ」


「瑠樹殿、よいのですよ。元気な蛇じゃのう……。私たちは蛇とは違って温厚な一族じゃて」


 含みのあるその言葉に、両隣の幼子ふたりもこくこくと頷く。


「ではさっそくですじゃが、本題を……。瑠樹殿にお頼みしたいことは……じつは娘のまみこを連れもどしてほしいのですじゃ」


「連れもどす?」


「はいな。まみこは幼いころから困ったことに人間に興味がありましてなぁ。昔からお山を抜け出しては人里に遊びに降りておりました。危険だからと止めても聞かずに、見張りの目をかいくぐっては人里へ降りる始末じゃて。そしてとうとうある日……運命の相手と出逢ったとの書き置きを残してお山にはもどらなかったのでございます」


「運命の相手……というのは」


「はい。人間の男でございますじゃ」


 つまりはまみこさんは、お山を抜け出して降りた人里で恋をして、その男性と手に手をとって駆け落ちをしたということだろうか。


「駆け落ち……とは、ちと違うのでございますじゃて。まみこが勝手に追いかけたというほうが……」


「して、そこまでわかっておるのならもう居場所も突き止めているはすだ。なぜ自分たちで迎えに行かない?」


 今まで黙って聴いていた白さんが口をはさんだ。


「……いけずな蛇よのぅ。身内の私たちが何度も連れ戻しに行っても、まみこはまったく耳をかさなんだ。所詮は人間と化生の身。想いが通じるはずもないのにのぅ……」


 着物の袖に顔を隠して、よよよと泣いた草稲城さんはちらりと白さんとわたしを見た。


 わたしはつつっと目を逸らす。


 そのへんは……人間のわたしからはなんとも言えないところだ。相手の男性の人柄にもよるだろうし、絆され具合にもよるだろうし……。


「そこで、人間の瑠樹殿にまみこを説得して連れもどしてほしいのですじゃ。御礼ははずみますぞ」


「はずまれますぞ」


 またもや両隣の幼子が揃って高い声を上げた。





 姿を現したときと同じくぽぽんと鼓のような音が鳴る。草稲城さんと両隣の幼子の姿は深くお辞儀をしたまま、風景に溶けるようにかき消えた。

 裏山の祠の前にはわたしと白さんだけが立っている。秋の虫の音がもどっていた。


「……帰ろうか」


 両腕を組んで震えている白さんに手を差し出す。


「なんだ?」


「寒そうだから手を繋いであげる」


「……今日は優しいな」


「今日だけじゃないでしょ」


 きゅっと握った白さんの手は冷たかった。そのまま白さんのダウンジャケットのポケットに繋いだ手を入れる。


「……瑠樹の手は温かい」


 そういえばもうそろそろカイロが必要な時期になる。今年も買ってあげなきゃね。



 

「必要な情報はのちほどお届けしますじゃ」

 

 そう言っていた草稲城さん。


 その言葉のとおりに翌日の店の前に、また沢山の栗のが付いた枝が置かれていた。中身にも大きな栗がびっしりと詰まっている。


 白さんに枝を渡して中身に込められた情報を読んでもらう。まみこさんは三つ隣の下林しもばやし市に住んでいるようだ。距離としてはここから車で一時間ほどかかる。


「草稲城さんたちはどうやってまみこさんに会いに行ってるんだろう。車はないだろうし。歩いて行くとしても大変だよね。昨日みたいになんかの術でも使うの?」。そんなことを白さんに話すと「ワシらはもののけ道を使うから、歩いてもそんなに時間はかからんよ」と返ってきた。


「もののけ道?」 


 白さんや草稲城さんたちのような存在は、普段は人間とは少しだけずれた空間に存在をしているらしい。もののけ道は、そのずれた空間をつなぎ合わせてつくる道だそう。


「昔、寺の和尚がそう言ってた」


 この辺りにある古い寺院といえば仁和寺だ。白さんのいう昔とはどれくらいの昔なのか。


 車を使わないならガソリンも使う必要もない。ガソリン代もバカにならないこのご時世。節約にもなる。よく解らないが、ワープみたいな「もののけ道」とやらはなかなかに便利そうだ。



 祖父江堂は月曜日を定休日としている。次の月曜日に下林市へまみこさんに会いに行くことにした。






 

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