【第4話】 白さん その2



 はい? ……むこ?

 ムコ? MUKO? むこって、なに?


 要領を得ないわたしに祖父は追い打ちをかける。


「瑠樹の夫だよ」


 一瞬の間に頭の中をいろいろな『おっと』がぐるぐると廻った。同時に『おっと』の意味についても考える。そもそも『おっと』にそんなにたくさんの意味があるとは思えない。そうなると必然的に……。

 ……むこって、まさかの婿ってこと?

 

 最初に浮かんできたことは「おじいちゃんがボケた」。これだけだった。

 だっていきなりなにを言い出しちゃってるのだ。


『……おじいちゃん、大丈夫?』


 心配と訳のわからなさに混乱して茫然としたわたしの目の前で、白さんはにやりと笑った。

 細い目がさらに爪月のように細く弧を描く。


『気に入ったぞ。もらい受ける』


 おじいちゃんのへんな冗談に、気を遣って話にのってくれているのかもしれないが……。


『いや、あの、すみません、祖父がなんかおかしなことを言って……ねぇ? 困っちゃいますよね。あの、なんか本当にすみません』


 微妙になった空気に気まずさを感じて、はははははと愛想笑いをして頭を下げる。それなのに白さんは続けた。


『るき、と言ったか。今宵からそなたはワシの嫁御だ』


 いや、それはもう笑えないです。


『瑠樹は自慢の孫娘です。どうか、どうか末永くよろしくお願いいたします』


 祖父はわたしの後頭部に手をおくと、さっきと同じようにもう一度ぐいっと頭を下げさせる。


『うむ。まかされよう』


 満足そうに肯いている白さん。


『瑠樹、幸せになるんだぞ』 


 祖父の目は潤んでいた。 


 一体全体なんの話をしているのだろう。

 わたしを完全においてけぼりにしている。

 おじいちゃんもこの白さんなる人も。

 日本語を話しているはずなのに、二人がなにを話しているのか意味がわからない。


『おじいちゃん、婿とか嫁とか。もうへんな冗談はやめて』


 白さんはきょとんとした表情でわたしと祖父を見比べた。

 

『なんじゃ、祖父江堂。話していないのか?』


 祖父は薄くなってきた頭を撫でた。昔からの困ったときの祖父の癖だ。


『いや、まあ、なんといいますか。この子の性格だとこうでもしないと……』


『ふむ。……まあ、ワシが気に入ったのでな。問題はない。るきはワシの嫁御だ』


 白さんは流れるような所作で腕を組む。


 埒のあかないしつこい状況に若干いらっとしていたが、取り敢えず白さんは祖父江堂のお客様だ。語気は強くならないように気をつけた。

 

『いえいえいえ。普通に考えたら問題だらけですよね? っていうか、そもそもわたしたちは初対面なのに、こんな冗談はおかしいですよ。へんな話はもうおしまいにしましょうよ』 


 こういったたちの悪い冗談は趣味が悪い。冗談でもわたしの意思が介在していないし、物のように扱われることはかなり不快だ。祖父も祖父だが、この男もこの男だ。


『おじいちゃん! 早く帰ろう?』


 白さんは紅い唇の両端を愉快そうにくっと上げた。細い目はさらに細く、糸のような弧を描く。もはや極細のボールペンで引かれた線のようだった。


『祖父江堂……るきに説明してやれ』


 白さんの声は柔らかかったが、なぜか有無を云わせない圧を感じる。


 祖父は残り少なくなった髪が鎮座する後頭部をさすると、問い詰めるようにじっとりと見つめるわたしからは視線をさりげなくそらした。

 そして語りはじめたことは──



 ──『祖父江堂』は書店である。配達も請け負っている。


 近隣に大型書店が進出してきても、なんとか糊口をしのいでいけたのは、地域密着型の経営をしていたからだ。


 配達の仕事は書籍だけとは限らない。


 西に書店まで足を運べないというお客様がいれば自転車で配達し、東に買い物難民がいれば注文された食料を届ける。


 南に切れた電球を取り替えられないという人があれば家まで出向いて替えてやり、北に目が遠くなり、本の文字が読めないという人があれば行って読み聞かせてやる。


 この土地に残っているものは祖父と同年代か、それよりも上の世代が圧倒的に多い。子どもや孫世代は高校を卒業すると次々と街へと出ていく。


 介護ヘルパーさんにお世話になっている家庭も多いなか、取りこぼされた隙間を拭うようにして、『祖父江堂』の仕事は必然的にそういうことが多くなった。


 そして古い土地柄だけに──お客様も


 春の宵に『祖父江堂』に桜の花びらと一緒に、『白さん』からの依頼があった。


 『白さん』は『嫁御寮』を望んでいた。

 そこで、祖父はわたしに白羽の矢を立てた──



『ここはそういう土地だ。人間の常識だけでは通じない。そういうこともある。……結果的には騙したようになって悪かったと思う。でもな、ピンときたんだよ。おじいちゃんのシックスセンスがな。瑠樹しかいないって』


 どうだ、その通りだろうとばかりに、ドヤ顔で笑う祖父に呆れながらも、いらっとした。

 ……なにがシックスセンスだ。日本人らしく第六感と言って。

 そんな日本昔話みたいなことを聞かされても、はい、そうですかと信じるわけにはいかない。わたしは人類が宇宙に進出する現代に生きているのだ。


『さすが、祖父江堂。目が高いな』


 合いの手を入れる白さんに冷ややかな視線を向ける。


 ……いや、ちょっと落ち着こう、わたし。それと断るものはさっさと先に断っておこう。


 白さんの細い目を見据えた。

 たった今、顔を合わせただけの見ず知らずの男に、それもおじいちゃんの話によれば人間でもない男(?)に、可愛い孫娘を嫁がせるなんてどうしていえるのだろう。ボケたとしか思えない。とてもじゃないが正気とは思えない。 

 それに瑠樹しかいないってどういうこと? 手近なところで相手を間に合わせようとしただけでしょ? 


『そんなお話は全然まったくなにも聞いていなかったし、信じることもできません。あの、おじいちゃんがなんて言ってお引き受けした仕事なのかはわからないですけど、申し訳ありませんが依頼はお断りさせていただきます』


『ふむ……。るきはワシが気にいらないのか? いけずだな』


 白さんは着物の裾で口元を隠した。茶化しているような言い方だった。それをあっさりと無視して、祖父の目の前に指を二本立てた。その指を振ってみる。


『おじいちゃん、これ何本に見える?』


『……二本だ。瑠樹』


 祖父はわたしの指を軽く払った。


『おじいちゃんは正気だよ。古い土地にはその土地のことわりがある。人間だけの土地ではないんだ。信じられないかもしれないが、これからは徐々に慣れてくる。それに嫁入りは断れないよ』


『は!? なにそれ!?』


 思わず大きな声を上げた。


 人類が宇宙に行く現代。ISS(国際宇宙ステーション)だって軌道上に浮かんでいる。人類を月に再び送り込むアルテミス計画だって進んでいる世の中だ。おじいちゃんの話を鵜呑みにするのなら、じゃあなんだ? 月には本当にウサギがいて、お餅をついているっていうの?


 そんなことがあってたまるか。わたしはそんなもの……お化けだとか、妖怪だとか、幽霊だとか見たこともないし、信じない。それらは人間が産み出した空想の産物だ。

 今、私が夢を見ているのではないのなら、祖父は到底正気だとは思えない。それに大前提として、当事者である本人が嫁入りを断っているのに、断れないとはどういうこと? わたしの人権はどこにいっちゃった!? 

 ねえ? おじいちゃんは知ってる? 日本国憲法でも人権にかんしては世界人権宣言とほぼ同じ内容を定めているんだよ? すなわち、嫌がっている者を無理やり結婚とかさせられないんだよ?


 すべてに突っ込みたいが、もはやどこから突っ込んでいいのかすらわからない。


『るき、これは決定事項だ』


 白さんが細い目を開いた……ように見えた。


『待ってください。祖父も祖父ですがあなたもあなたです。お互いになにも知らない相手です。あなたにだってリスクがあるでしょ? わたしが常識もないとんでもない女だったらどうするんですか?』


 正攻方で通じないなら変化球を投げてみる。


『るきはそんな女子おなごではないだろう?』


『うっ、いや、そういうことではなくて……』

『名前を知っているぞ』


『名前だけじゃ……』

『それで十分だ。人間には見合い……とかいう文化もあるそうだな。これから先にお互いを知る時間は十分にある』


 反論の言葉は即座に遮られていく。


『そんな横暴な』

『ワシは優しいぞ』


 白さんは首をかしげてしなを作る。


『それに……祖父江堂はワシと契約をしたのだ。決して契約を破ることはできない』


 白さんは細い目をかっと見開く。

 その瞳は金色に光っていた。瞳孔は縦に細く長い。


 冷凍庫を開けたら冷気がこぼれ出てくるように、周囲の気温はさらにさあっと冷えてゆく。白さんから滲み出す威圧のようなオーラがハンパない。冷気とオーラのせいで背中に悪寒が走ると、一気に全身に鳥肌が立った。


 え……。

 カラーコンタクト……のようには見えない。だって、光ってるよ?

 この人……本当に人間じゃない……の?


『瑠樹、幸せにな』


 祖父の言葉に、ごくりと唾を飲み込むことしかできなかった。




 

 ✻



 そして今。


 わたしと白さんの関係はややこしいので、ご近所さんには「夫婦です」と説明をしていた。

 引退をした祖父の代わりに、祖父江堂を継いだ孫夫婦でとおっている。


 もちろん寝室は別だ。わたしは洋室のベッドを使っているが、白さんは和室の押し入れを寝床にしている。身長はそれなりにあるのに、器用に丸まっている。狭いところが好きらしい。


 都会暮らしでそれなりに揉まれてきた。会社の倒産や恋人との別れを経験して、一寸先は闇という目に遭った。人生なにが起こるかわからない、とまでは達観していなかったものの、まさかこんな事態が自分の身に起きようとは露ほどにも思ってはいなかった。


 私は今、白い蛇と一緒に暮らしている。


 白さんが自分で言っていたように、白さんは優しかった。優しい……というか、最初はそれこそ赤の他人以上に得体の知れない相手だった。だって人間ですらない。蛇だ。


 出会いは最悪だった。

 それがおっかなびっくり、仕方なしにルームシェアのごとくに一緒に暮らすうちに、もののみごとにほだされてしまった。


 共に生活をしてみると、白さんの態度や仕草、返答などにもまったく不快にも不安にもならなかった。とんでもなく意外なことだったが、さりげない気配りや、なんてことはない日常会話の受け答えなど、そんなことがいちいちとしっくりとくるのだ。イラっとすることなどはまったくなかった。むしろ会話が心地好い。

 時間だけは長く一緒に過ごした元の恋人といたときにも、感じることはない空気感だった。


 伴侶……とは言えないが、善き相棒のようなもの。

 ちょっと悔しい気もするが、結果的には祖父のシックスセンスとやらは正しかった。わたしにとっては、それが白さんだったらしい。


 白さんはそれに『祖父江堂』の仕事でも頼りになった。





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