第4話 イオは精霊と話せない
朝起きて、リリアはふと人の気配を感じた。寝室から出て工房に向かって、気配を探す。机の下に、男の子が隠れていた。
白い髪を泥まみれにした男の子は震えてリリアを見上げた。
そういえば、夜、戸に鍵をかけ忘れた気がする。最強の魔女リリアを襲うような人間はいないので、しょっちゅう閉めるのを忘れるのだ。夜中にこの家にたどり着き、隠れていたのだろう。
「きみ、誰?」
「…………」
「無視かい。家主に対して無視はないんじゃないかな?
そこでノックの音がした。嫌な予感がして、リリアは白いとんがり帽をかぶった。それで一目で魔女とわかる。ただのひとり暮らしの女だと思われるとやっかいな気がした。
現れたのは壮年の男である。土と泥に汚れている。しかし、少年と違うのは、頬を赤く染め高揚していたことだ。剣を下げているが、暴力慣れしているようには見えない。衣服はそのあたりの農民と変わらない。
とんがり帽をかぶる魔女であるリリアに少し怯んだようだが、虚勢を張って男は言った。
「これは、魔女殿。このあたりに逃げ込んだ少年を見なかったでしょうか?」
「知らないよ。きみたちが何をしてるのかも知らないし」
「あの村は破壊されねばならなかったのです。邪教を信じていましたから」
「きな臭くなってきたねえ」
「魔女殿。宗教的統一性というものはこれからの国に必要なのです」
「きみたちは、ぼくたちも殺すのかな」
「いいえ、我々は、魔女には敬意を払っています」
「どういうこと?」
「これからは魔術が学問となり、世界を変えるのです。魔女の力は素晴らしい」
「うーん、よくわかんないや。とにかく、その男の子っていうのはいないよ」
リリアはわざと愚かなふりをして、男を追い払った。彼が少年を追ってきたのだろうことはわかっていた。
男が去ったあと、リリアはまた机の下をのぞいた。さっきの会話は少年にも聞こえていた。
「きみは邪教の子なのかい?」
少年はおずおずと答える。
「わかんない。ただ、俺は親から教わった形で神様に祈ってただけだ。あいつらが言う生贄や人柱なんてなかったんだ」
「かわいそうにね」
「哀れられたいわけじゃないて……ただ悔しいんだ」
「そっか。ぼくにきみの気持ちはよくわからないけど。ぼくは今の神様の信仰が広まる前を知っているからね。きみの言うことはわかるよ」
リリアはひとつ背伸びをした。嫌な話を聞いたから、気分転換だ。
「虐殺が起こるなんて、この辺りはあまりよろしくない。逃げようかな」
少年は怪訝な目でリリアを見上げる。
「この家、馬やろばはいないよね。歩きで?」
「ううん、家ごと転移魔法だよ」
「は?」
リリアは人差し指で空中に魔法陣を描いた。人差し指の軌跡は青白く光った。ぎゅんとおかしな音がして、世界が大きく揺れる。
時空を操る魔法は対象者の脳みそを揺さぶる。少年は胃のあたりを押さえて言った。
「よ、酔った」
「大丈夫?」
「ぐるぐるする、きもちわる……」
リリアが窓の外を見ると、景色が変わっていた。まだ少年は立ち上がれない。
「魔法慣れしてない子の前でやる魔法じゃなかったな。ぼくそういうの気が利かなくて」
「きみ、名前は?」
「イオ」
「ふうん、いい名前だね」
「そうかな?」
「神様と人間の境界が曖昧だったとき、かけっこで神様に勝った人間の名前だよ」
「知らない」
「もうその神話も語られなくなってるのかな」
リリアは少年を追い出さず、彼が家の食料を漁るのも放っておいた。
しかし五日経ったとき、リリアは聞いた。
「きみはどうするのかな」
「どう、って」
「人間の子をいつまでもここには置いてはおけないよ。ぼくも人さらいの疑惑は持たれたくないからね。人間がこんなところで暮らすべきじゃないんだ」
イオは眉毛を寄せてつらそうな顔をした。リリアに追い出されるのが嫌だったのだろう。イオはリリアを見上げる。
「なら、俺を弟子にしてくれ」
「困ったなあ……きみ、精霊が見えていないだろう?」
「精霊?」
イオはきょろきょろあたりを見る。雑然としたリリアの工房しかない。
「ほら、そういうところ」
「精霊って何?」
「この世界の理。たとえば朝日が昇るのも、人が誰かを好きになるのも、精霊の御業なんだ。きみの村が奉じていたのも、精霊のひとつかもしれないね」
規模の大きい話に、イオは目を瞬かせた。想像してみようとしてもできない。
「神様ってこと?」
「それに近いけど、魔法使いの解釈は少し違う……でも勉強しないとこのことはわからないかな」
「たとえば今、この部屋にも精霊の力は満ちている。きみはそれを感じていないだろう?」
「……わかる」
「嘘はいけないね」
リリアはふうと息を吐いた。とんがり帽子のつばを少し回す。
「精霊が見えなくても、魔法が使えないわけではないけど、どんなに頑張っても他の魔法使いからは遅れてしまうよ。ぼくは精霊に気に入られてね。こんなに長生きしてしまった」
「それでもいいよ。俺はどこにも行くところがないんだからさ」
リリアは首をぐるりと動かす。困ったような笑みを浮かべ、言う。
「それに、魔法使いはひとりだよ」
「独り? 俺はあんたとこうして話しているのに?」
「それでも、だよ。ぼくたちはこうして話していても、独りと独りなんだ。それに耐えられるかい?」
イオは首を振った。その言葉には強い諦念が込められている。
「あんたの言う『普通の人間』の世界に戻ったって、それでどうしろと言うんだよ。俺はもう、人間に優しくされても、人間のことを信じられない気がするから、どこにいたって独りだよ」
そして現代、リリアは襲ってきたイオを返り討ちにしている。
「あのときちゃんと断っていたら、きみはこんなに苦しまなかったのかな?」
リリアは気絶したイオの顔をぺちぺち叩く。
「きみは独りに耐えられるほど強くなかったね」
宮廷魔術師はいかにして伝説となったか かずラ @kazura1128
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