白花黒甘譚 -バレンタインは瘴気色-

浅里絋太

本編

 冬空の下、白ノ宮の境内には白木の建物が連なっている。


 森に囲まれたその神域には、多くの巫女たちが暮らし、守護の兵たちが詰めている。


 そんな一画に、巫女たちが寝起きする宿舎があった。これも白木造りの端正な建築なのだが、その土間で、一人の巫女が汗を流していた。


 ――三位巫女の、白い小袖に緋袴の沙耶さや。その横には、暗緑色の着物に白襷しろたすきをかけた少女、縫衣ぬいがいた。


 かまどの鍋には、並々と黒い液体が満ち、ぐつぐつと泡が立っている。


「さ、沙耶様。これは、どれほど煮立てるのですかっ?」


 縫衣は額に汗し隣を見ると、沙耶は答えた。


「わかりませぬが。もう少し、様子を見てみましょう……」

「え? は、はい。――それにしても、この著固ちょことは、本当に、呪力が、あるのですか?」


 沙耶は細い眉を寄せて、じっと暗黒の坩堝るつぼ――その鍋を見る。何か狭世の、得体の知れぬ魔性の腕か首でも飛び出てきそうだ。



 縫衣は昨夜のことを思い出していた。――夕餉の後、風呂場で一緒になったときのこと。


 湯気が満ちた湯船に浸かっていると、裸身の沙耶が立ち現れたのだ。


「失礼をします」と沙耶は湯船に入ってきた。ふう、と息をついて、

「そう云えば、縫衣さん。著固というものを、聞いたことはありましょうか……」

「え?」

「遥か南の、鳳苓国ほうれいこくに古来から伝わる、呪力をもたらす菓子……それが、著固。何でも、想いを込めて甘く煮詰めることで、相手を惚れさせることができる、というのです」

「え、惚れさせる?」

「左様です。――その著固の素材となる、呪われし実……香禍尾かかおが、視察団から持ち込まれたのです」

「香禍尾……!」と縫衣は目を広げる。


 どうやら沙耶の話では、香禍尾とは砂漠地方で採れる希少な実で、一帯に満ちた瘴気の作用で呪力を持つという。


 馬連吒院ばれんたいんという道士がこれに目を付け、精錬し菓子としたのが起源だというのだ。


 沙耶は続ける。


「研究のためにも、実際に試してみたいと、思っております。――そこで縫衣さん。あなたに、もし想い人がいれば、いかがかと思ったのです」


 縫衣は頬を赤らめ、


「え? ――でも、だったら、沙耶様が」

「いえ。巫女の身でありながら、そのようなことはできませぬ。これでも、三位巫女として、けじめを示さねばならぬゆえ……」


 縫衣は俯いて、湯船に顔を向ける。湯の中に胸や体が透けて見える。沙耶と大差がない体格だが、肉付きはいくらか沙耶の方が勝っているようで、不安になる。


「わたしは、べ、別に……」


 すると、沙耶の声がした。


「そう云えば、蓮二さんは、意外と甘いものが好きかも知れませぬ」

「な、何で……? おじさんのことなんて……」

「ふふ。明日、さっそく調理してみるつもりです。よろしければ……」




 ◇



 白ノ宮の境内に、蓬髪に黒衣の浪人じみた男が歩いていた。左腰には太刀を提げ、悠々と闊歩している。


 その男――蓮二は右手の指を鼻の穴に突っ込んで、ごそりと鼻毛を抜いた。


「ぶえっくしょ!」


 くしゃみをして鼻毛を地面に散らすと、また歩きはじめた。


 そのとき、背中から声がした。


「おじさん」


 振り向くと、暗緑色の着物――縫衣が立っていた。そこに差し出された両手には、木皿に載った黒い塊があった。


 その塊は握り飯くらいの大きさで、ぼそぼそと毛羽だっていた。黒い――どこまでも黒い不吉な気配を帯びていた。


「な、何だァ! 何だ、こいつは……」


 縫衣は頬を染め、ためらう様子で、


「あの。これ、さ。おじさんに…………」


 蓮二は顔をしかめて、


「何だと? こいつァ瘴魔のふんか? どこで拾ったんだ? やべェ瘴気が視えるぜ……」


 そうして蓮二は驚きのあまり口を開け、後ずさる。すると、縫衣は何を思ったか、右手に黒い塊を掴むと、迫ってきた。


「おじさんの馬鹿! もう知らないよ!」


 蓮二の口に、その黒い塊が突っ込まれた。


「馬鹿ァ! せっかく作ったのに!」と縫衣は背中を見せて駆けてゆく。


 蓮二は口の中に、甘苦い味が広がるのを感じていた。


「何だァ。どうなってやがる……。しかし、甘ェ……。甘ェ糞だぜ。いや、作った……だと? 喰いもんか……」




 ◇



 西に沈んでゆく夕日を見ながら、白木の渡された縁側に座り、縫衣はため息をついた。


(はあ、何でこうなっちゃうんだろ……)


 そんなとき、黒い影が斜め後ろから近づいてきた。振り向くと蓮二がいた。


「よォ。ここにいたか……」

「な、何よ」


 すると、蓮二は右手の、薄茶色の巾着袋を持ち上げた。恥ずかしそうに目線をそらして、


「さっきは、驚いちまってよォ。何だァ、詫びに……。白花糖を、客間から見つけてきたぜ」


 隣に座った蓮二は、その手に巾着袋を傾けた。白い小粒の干菓子――白花糖が二つ、転がり落ちた。


 白花紋という、花の形をかたどった、思い出の菓子。蓮二は云った。


「ほらよ、喰えよ」


 縫衣は手を伸ばして、白花糖を一つ取った。


「あ、ありがと……」

「気にすんな。――それより、きれいだなァ」


 どきりとして、縫衣は顔を上げた。蓮二は手のひらの白花糖を見つめて、


「真っ白で、きれいなもんだぜ。なァ」


 白花糖は夕日を浴びて、仄紅く輝いた。



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白花黒甘譚 -バレンタインは瘴気色- 浅里絋太 @kou_sh

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