第3話

「恋バナって、なんでこの私が今さらそんな生産性の欠片もない、無能な人間の暇つぶしに時間をついやさないといけないのよ。もっとホウガクを学んで、人助けのスキルを身に着けないと、役に立つ人間になれないじゃない」

「すまない、麻衣。お父さんが間違えていた。無能でもいいんだ。心さえきれいなら、人間は無能でもいいんだよ」

「私は無能なお父さんなんて認めないよ。有斐閣がなかったら、父さんは父さんじゃないもん」

「麻衣、このわからずや」

 お父さんは怒って、私からすべての有斐閣を取り上げた。書斎の扉には鍵がかけられるようになった。結局、私はホウガクを全然理解できないまま放り出されてしまった。


 途方に暮れて公園を無為に歩いた。

 私は今や、助けられるしか能のない、ただの村人にすぎないのだ。

「そんなのやだよ。村人なんてダサくて耐えられん」

 半ベソでベンチに座っていると、前に助けそこねた杖をついた老人が通りかかった。

「おや牛乳の娘さんじゃないか。そんなに泣いて、何か困ったことでもあったのかの」

「泣いてないもん」

「おやおやそうじゃったか。ごめんな、爺さん目がかすんどるもんで」

 老人は、よっこらせと、ベンチの脇に腰掛けた。

「わしはこの公園が好きでのう。毎朝欠かさず散歩しとるんじゃ。家にこもっていると、気持ちがくさくさするからの。朝の澄んだ空気を吸って、鳥の鳴き声を聞きながら、ゆったりと歩くのが気持ちいいんじゃよ」

「そんなことしたって何の役にも立たないじゃん」

「ところがそうでもないんじゃよ」

 老人はポケットから何かを取り出した。それはポケットサイズの有斐閣だった。

「この前ベンチに忘れて帰っとったじゃろ。今度あったときに渡してやろうと思ったんじゃ」

 私はしてやられたと思った。なんだか悔しくて涙が出てきた。

「いらねー。私、そんなのいらねー」

「大事そうに読んどったじゃないか」

「どうせ意味わからないもん。私はホウガクを身に着けることはできないんだ。憐れみを乞いながら生きていくしかねーんだ。私は村人なんだ。うわーん!」

 気づいた時には号泣していた。

「憐れみなんていらねー。ひっく。生意気なんだよ。村人じじいのくせに私を助けようとするなんて。ひっく。ふざけんなよ。そんなのいらねーよ。憐れんでんじゃねーよ」

 老人は怒るよりもむしろ笑いだした。

「気の強い娘さんじゃのー。いいから、この爺さんを助けると思って受け取っておきなさい」

 老人は私の手に無理やり有斐閣を持たせて言った。

「おまえさんはまだこどもなんじゃから、人に助けられて当たり前なんじゃ。いっぱい助けてもらって、いつか大人になったら他の人を助けてやったらいいんじゃ。そうやって世の中はまわっていくもんじゃぞ」

「でも、私、有斐閣わかんないもん。無能だもん」

「いや、娘さんまだ小学生じゃろ。そんな年ごろで、こんな難しい本読むなんて感心じゃけど、背伸びしすぎじゃろ。大人になったらいずれわかるようになるよ」

 そういって老人は私の頭をなでるのだった。

 不覚にも涙がとまらなかった。でも、嫌な気持ちじゃなかった。いつの間にか心にこびりついていた王族マインドが涙とともに溶けて流れていくようだった。


 そんなこんなで、助けたり助けられたりして世の中は成り立つものだってことを私は理解した。それからは人の助けを請うようになった。困っているので助けてくださいと素直にいうと、たいていの人は笑顔で助けてくれた。

 すると、自然と頭がすっきりして、有斐閣の内容もわかるようになってきた。それが古代文明じゃないってことも理解した。ちょっと寂しかった。自分が特別でないということを認めることでもあったから。

 でも、まあいいや。

 王族だけが村人を助ける世界より、村人みんなが助け合える世界の方が素晴らしいって思えるから。

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有斐閣ばっか読んでるとバカになる モーリア・シエラ・トンホ @robertmusil

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