変わらぬ愛をあなたにーメイドは御主人様の恋人に最上のチョコレートを届けられるのか?ー
月見里つづり
変わらぬ愛をあなたに
白いエプロンを一旦置いて、とある屋敷でメイドをしている理亜(りあ)は、自分の机に座った。
本日の朝からの仕事は一旦区切りがつき、休憩時間に入っていた。
理亜は、それなりにこの屋敷で勤めが長く、個室をもらうほどの信頼を主人から与えられている。
正確には、個室のほうが、双方好都合……というところもあるのだが。
「バレンタインのチョコも、種類が多すぎるわねぇ」
理亜は呆れたように、ため息をつく。
理亜が見ているのは、一週間後に迫ったバレンタインに向けてのチョコのパンフレットだった。
様々なスイーツショップのバレンタイン特集を見たり、バレンタインフェアをしようとしている百貨店のパンフレット……見比べる量も多いし、どれを選んだらいいのやらと思うほどに、素敵なチョコが揃っている。
「……あの人、良いもの食べてるのは間違いないから……下手なもの贈れないわね」
ぶつぶつと理亜は、パンフレットを吟味する。
そんな理亜の部屋のドアはうっすらと開いており、それに気付かない程度には
彼女は、大事な人に向けてのチョコ探しに夢中になっていた。
「んー……」
彼女が軽く声を上げていると、後ろから声がかかった。
「何を唸ってるんだい? 理亜」
彼女はぎょっとして、そう、それこそ、本当にびっくりとして
持っていたパンフレットを落とした。
迷宮で化け物に遭遇したかと思われるくらい
恐れおののいていた。
彼女は後ろを急いで振り向いた。
「御主人様! どうしてここに?!」
ご主人様と呼ばれた、理亜の雇い主である彼は
彼女の問いに対して、まずはドアを指さした。
「いや、ドアが開いてるから、危ないなって。部屋を覗いてみたら、キミ、なにかに夢中だし」
「いやいや、そんな勝手に見ないでください。困ります!」
彼は理亜の剣幕に、でもさーとのんびりした声で、しかし眼光鋭くなった。
「だって、僕が近づいても気づかないくらい、集中してるんだよ。気になるでしょ」
「そういうのが余計なんです」
理亜は頬を膨らませて抗議する。子供っぽい仕草になってしまうが、彼に対しては、ついそういう行動をとってしまう。彼は自分の目元に手をやって、軽く息をついた。
「キミ、仮にも雇い主に対してもだし、僕ら、恋人関係だよね? これに熱心になってるキミに対して、興味を持っちゃだめなの?」
彼は指で、トントンとパンフレットを叩いた。
でかでかとバレンタインフェアと書かれた、そのパンフレットを。
理亜は赤リンゴに負けないくらい顔が赤くなった。
そして彼が指で叩いたパンフレットを乱暴なくらいの勢いで奪い去る。
主人はまいったなという風に視線をそらし、それから一つ踏ん切りをつけるように
言った。
「⋯⋯バレンタインのチョコ、用意してくれようとしてるんだよね」
んっ!と喉の奥が変な風に鳴る。
主人は、見た目は朗らかな雰囲気を漂わす、人懐っこい猫⋯⋯という風に人物評価されるが、実際は蛇だ。いつのまにか首元に、その胴体を巻き付かせている、ようなタイプ。理亜が主人の言葉に、微動だにしないようにする。それをこのまま話を聞くという風に受け取ったのか、主人は言葉をつづけた。
「もしかして、僕のためのチョコ探し? いいところばっか、探してくれてるんだね」
彼は、瞳に光の煌めきを宿して、理亜を見てくる。急に見せてくる、無邪気さを宿した表情。真っ直ぐさを感じるその顔に、理亜はだんだん耐えられなくなった。
ずるいとすら思う。胸の奥がずきりとする、罪悪感というマシュマロに包まれてしまったようだ。
彼女は彼の目線に合わせられず、照れ隠しの上ずった声を上げた。
「だったら、なんです!? 初めてのバレンタインだから、失敗するわけにいかないんです!」
こんなことを言わなきゃなんて、死ぬほど恥ずかしい。
今すぐ、この場から逃げ出して、穴を掘って隠れてしまいたいくらいだ。
しかし主人である彼は、理亜の言葉に疑問符を浮かべた。
「失敗しないために、既製品のいいのを、探し回ってたってこと?」
「そうですよ、手作りだったら危ないでしょ⋯⋯というか、既製品の抜群においしいですし」
「でも、キミ、そんなに料理が下手でもないでしょ。お菓子作りだって⋯⋯」
彼の中では当然の疑問だろうと思った。
この人はーと理亜は思う。自分と理亜が同じ立場の人間だと思っているのか。
その鈍感さが育ちのいい育ちだと思うし、ヤキモキする自分が情けなくなった。
飲もうとした水をこぼして、床を汚したとき起こる、やってしまったという落ち込み感とよく似ている。
彼女は深く目を伏せ、彼の顔を見ないまま、言った。
「何を言ってるんですか、あなたみたいな、育ちもよくて、身分もある方に、手作りなんて渡せるわけ無いでしょう」
理亜の声は尻切れトンボになっていく⋯⋯。
「大体、付き合ってること自体、すごい奇跡というか」
ここまで関係が進展するとは、片思いをしていたときには、あまりに想定してないことだった。だから彼のために、精一杯できることをしよう。彼に自分を彼女にして、失敗したな、恥かもしれないと思わせないようにと願っていた。
しかしそんな想いを口にするほど、メイドは主人に素直になれない。
主人はしばらく、彼女の言葉を聞き入ったが、やがてポツリと言った。
「まあ、既製品でも愛情を感じないとは言わないよ⋯⋯でも、これも言っちゃうけど、僕いろいろなチョコを食べてる自覚はあるからね」
彼はどこか仰々しく、そう言うと、理亜の肩を軽く叩いた。
「キミの愛を感じられれば、十分なところあるけど。まあ、キミがどんな愛を、どんなチョコを出すことで、表現しようとするのか⋯⋯それは楽しみにしてるね」
そろそろ自室に戻らないと、と主人は理亜の言葉を待たずに、部屋を出ていった。
「⋯⋯なに、あれ」
しばらくして、低い声で理亜は呟いた。
あれは、完全に理亜を試そうとしている。それが伝わる口調だった。
自分の愛情を伝えるチョコレートを出せるのか⋯⋯。
仮に、出来ないとか、難しいとか思っているとしたら腹立たしい。
負けるものか⋯⋯彼が理亜の愛情が分かるチョコレートを見つけ出す。
理亜は気合を入れるように、ほっぺを両手で挟む。そして心に誓った。
絶対に、彼のために最高のチョコレートを見つけ出そうと。
数日後の昼下がり。
ちょっとーと、仕事の同僚が心配をかくせない顔で、理亜を見た。
「あんた、だいぶ調子悪いんじゃない? 目の下真っ黒じゃん、ちゃんと寝てる?」
その言葉に、理亜は心が過剰に反応した。
やばいと心のなかで叫んでしまうくらいだったし、背筋を伸ばした。
「いや、気のせいじゃない? 一応寝てるし」
「そ、そう? 理亜って無茶する時無茶するって感じだしなぁ」
「ははっ⋯⋯ありがとね。さー、それより、掃除頑張らないとねー! モップがけとか!!」
無理くり気合を入れた声を出して、理亜は両腕を上げた。
「そ、そう? なら、いいんだけど」
小首をかしげながらも同僚が洗濯作業に行くと行って、やがて離れた。
その去りゆく背中を見て、理亜はほっと胸をなでおろす。
ぎりぎりバレてなくて、よかったと、膝から力が抜けてしまいそうだ。
確かに理亜は、同僚の指摘どおり、ここ最近あまり寝てなかった。
主人に贈るチョコレートを厳選して調べていたから、毎日パソコンで調べものをして、パンフレットも読み尽くして、何度もリストアップした。
何とか昨晩で候補を三つまで絞り、発注の仕方も分かったところで、朝を迎えた。
「眠すぎると、逆にテンションがおかしくなるのね⋯⋯」
そう、正直眠すぎるはずなのに、妙に元気が良すぎて、怖いくらいだ。
さすがに今夜はちゃんと寝ておこうと思っているところで、後ろから声をかけられた。
「りーあ」
その聞き覚えのある声に、俊敏なくらいの動作で、理亜は振り向く。
そして口角が引きつるのを感じながら、相手のことを呼んだ。
「ど、どうしました、御主人様」
主人の部屋にて、整理されてなかった書類が棚の奥から発見された。
その整理を手伝うこと⋯⋯一気に仕上げたいので、夕方遅くまでかかるだろう。
周囲のメイドも、フットマンも二人が整理に勤しんでいると信じているはずだ。
もともと、理亜は実務より、秘書的な作業が得意と、知れ渡っていたし、その真面目な人柄も、疑問も持たれないほどに信じられていたからだ。
ああ、そうだ、その信頼を持たれているのに⋯⋯。
理亜は・眉間にしわが寄るほど、目を強く瞑った。
穏やかな吐息を耳元に感じながら、口をあける。
「御主人様、これはどういうことですか」
「どういうことって?」
主人はのんびりとした声で言う。それが理亜の何かに着火した。
理亜は小さいながらもしっかりと怒った声で⋯⋯
「なぜ、私は抱き枕にされてるんですかっ」と言った。
「キミを補充したくなったとか言ったらだめなの」
彼はあっけらかんとした声で言った。
その言葉は、心から言ったと言わんばかりに、さらに理亜を抱き寄せる。
これは何を言っても、無駄だと、理亜は正直に思った。
いつもなら何倍も抵抗するのだろうが、体力が限度になっているせいか、力が抜けた。
「最近、仕事が忙しくてね⋯⋯それはそれでありがたいけど。すっごい、元気なくなるんだよ」
「元気が? 疲れがとれないってことですか?」
理亜の言葉に、ゆるゆると主人は頭を横にふる。
「ちがーう、キミと話せなかったり、関われなかったり、こうして触れられなかったり」
少し物憂げな顔で、主人は理亜を見つめてくる。
薄曇りの晴れがいつくるのかわからない空を見るような
漠然とした不安を感じる目だった。
「キミが足りないんだ、わかる?」
さすがに理亜でも分かる。今、主人には自分が必要なのだと。
人は生きるうえで、水分が必須と言われている。体が維持できなくなってしまうからだ。いわば、主人にとって、理亜はその立ち位置にある。
枯れた心を潤すのは、理亜だけなのか。
そう、一瞬思ってしまって、あまりにそれは過ぎた幸せでないか、と思った。
大好きなチョコレートのお菓子をもらう歓びに近いものを感じつつも、それを受け取っていいのかと迷ってしまう。
けれども、自分を求めてくれるのならと、理亜は、主人の柔らかな髪の毛を撫でた。
子供の頭を優しく撫でる、近所のお姉さんのように、優しく優しく⋯⋯。
主人は彼女から腕を離したので、そのまま頭を抱きかかえた。
「私も、その⋯⋯あなたに触られたら、離れられなくなりました」
実際、腕を離したので、逃げようと思えばいつだって逃げる。
本来のメイドの仕事に戻ると言えるだろう。だけど、彼女は離れなかった。
離れられなかった。
「なんだ、お互い、求め合ってたんじゃないか」
彼と指を絡める。その力強さに、胸に強いときめきを覚える。
心臓の鼓動が、脈打つ音が、全身に響き渡る。
ああ、私はやっぱり⋯⋯と理亜は思った。
「そういう、ことですかね⋯⋯」
理亜はか細く呟いた。彼の存在を深く感じ、疲れもなにもかもが
ほどかれていくのを感じた。
いつのまにか夕暮れになっていた。夕日の紅い光が窓から差し込んできている。
だいぶ深く、ゆっくり休んでしまった気がする。
頭がぼんやりとして、ゆっくりと呼吸している理亜の体を、ゆるく抱き寄せながら、
主人は言った。
「うちって、両親もいそがしかったから⋯⋯いつも家にいなかったんだよね。人としては立派だし、僕にも愛情があったのは分かっていたけど⋯⋯」
「なにか、ご両親に対して、思うことがあったんですか?」
理亜は主人の言葉に、優しく質問する。
こんな風に、何かを語りだす主人は、正直珍しい。
だからこそ、その言葉をしっかりと聞こうとした。
「別に咎めるつもりはないんだけど、そばにいてくれたらとか⋯⋯考えるね」
少し彼の指先に力がこもる。
その意味に、何も気づかないわけがなかった。理亜は彼の指先にそっと触れる。
それから、深く息を吐いた。
「なるほど⋯⋯」
彼の言葉を聞いて、理亜の中で、大きく考えが動く。
この人の、過去から引きずっているであろう感情を、どうにかしたかった。
……バレンタイン当日。
勤務後、理亜は、主人に呼び出されていた。
何のために呼び出されたのか、理由は説明されなかったが。
バレンタインの日であることが関係ないとは全く思えない。
理亜は深く息をつき、それから丁寧に包装した包みを持って、彼の部屋に向かった。
主人の部屋をノックして入ると、主人はネクタイを締めていた。
おしゃれ着ではあるんだが、フォーマルな感じもする。
彼なりの気合を感じてしまうのは何故だろうと、理亜は苦笑した。
主人は部屋のゆったりとしたソファに座り、彼の手招きで
理亜もおずおずと隣に座る。彼は満面の笑みで、理亜に話しかけた。
「で、理亜。キミはどんなチョコを用意したんだい?」
純粋な興味と、試すような声色。
よほど、彼は自分のチョコを楽しみにしていたんだなと思う。
そんな口の肥えた彼に、これから渡すものがどう思うものなのか……。
いや、迷ってはいけない。
これでも、一生懸命出した答えなのだから。
理亜はおずおずとソレを差し出した。
柔らかな淡い黄色の包装紙に包まれて、開封口は落ち着いたピンクでひとまとめにされている。そこにワンポイントの造花の花があしらわれていた。
彼はそこにまず目線がいったようだ。
「なんか、こういうときにつけられる花って、勝手に薔薇ってイメージだったっけど、違うんだね」
「そうですね、あなたはきっと薔薇を見慣れてるでしょうしとは思いました。今回はマリーゴールドをあしらってますよ」
「……きっと、その花にも、なにか素敵な意味があるんだろうね」
主人の言葉に理亜は、どうですかねと言いつつ、自分の首筋を撫でる。
視線が少し天井の方を向いてしまった。
「とにかく開けてください。大事なのは、包装じゃなくて中身でしょう」
彼女のつっけんどんな物言いに、彼は鷹揚に頷く。
確かにそのとおりだと、軽やかに笑い声を上げた。
箱の中身をあける。するとそこには、チョコのカップケーキが二つ並んでいた。
彼はパッと目を見開く。
「これって、もしかして……」
彼女は顔を伏せながら、もじもじと自分の両手をすり合わせて、彼の言葉に応える。
ああ、本当に……今、自分はパンジージャンプをするよりも心を試されるようなことをしているのではと思った。
「手作りのチョコのカップケーキです、私の母のレシピを使っています……」
「え、これ、理亜の家の味ってこと?!」
彼は予想外な方向のプレゼントだと思ったのか、言葉が跳ねた。
彼のわくわくを感じて、理亜の体熱感があがっていく。
彼女は、主人の言葉にコクリと頷いた。
「はい、私の家でのバレンタインの定番はこれでした。母は毎年これを、私や父に渡してました。私達も母に、思い思いのものを渡してて……」
理亜は目が潤むのを感じた。彼への思いが自分の中でほとばしって、強く強くこみあげてくる。
「私は、これをもらう度に、両親からの変わらない愛を。そばにいてくれるぬくもりを感じてました」
彼は、理亜の言葉に、真剣に耳を傾けていた。
一声たりとも漏らしたくないと、表情で語っていた。
「だから、私の思いをこれに込めます……私は、あなたのそばにいますからね」
ずっと、これからも、そばにいていいなら……
理亜は主人の手のひらを、しっかりと握った。
主人はカップケーキに口をつける。
ゆっくりと噛みしめるように食べた後、彼は口元に感情を滲ませた。
一言で言い切れない、でも胸いっぱいになっているような表情だった。
「美味しいよ、理亜の気持ちが伝わってくる⋯⋯胸の奥の、ずっと深いところまで」
彼は理亜に改めて向き合った。
「まったく、キミにはかなわないよ」
主人は、理亜の手のひらを握り返す。
そしてふわりと優しい笑みを浮かべた。
力の抜けた、本当の彼を感じさせる笑みだった。
「こっちこそ、絶対手放さないから」
彼はそう言って、理亜の頬にそっとキスをした。
柔らかな、しかし熱のこもった感触に、理亜はくすぐったくなる。
「信じてますよ、あなた」
微笑む彼女の笑顔は、まるでマリーゴールドのような温かさがあった。
変わらぬ愛をあなたにーメイドは御主人様の恋人に最上のチョコレートを届けられるのか?ー 月見里つづり @hujiiroame
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