第36話

 それが二週間ほど前のこと。柚希は小さく笑いながら「あのときは不安しかなかったけど」と近づいてくるパピたちを見つめながら言った。時雨は笑う。


「あの二人が息ぴったりっていうのも怖かったもんね」

「時雨は分かってたんだ?」

「まあ、なんとなく」


 そのときパピが「ただいまー」と声を上げながら柚希に何かを手渡した。それは遊園地の公式キャラクターの耳をモチーフにしたカチューシャだ。


「それつけて」

「え、あ、うん」


 言われるがままにカチューシャを着ける柚希。それを満足げに見ながらパピは「シグたちのも買ってきたから」とシグ、水希、知砂とミユにも手渡していく。


「全員がお揃いとか嫌だったんだけど」


 知砂が嫌そうに顔をしかめながらパピを横目で見た。


「この女、意見を曲げるということを知らなくて」

「こういう場所ではグループ一体感が大事でしょ。ほら、知砂もつける。ミユさんにはもう一個」


 パピは袋に残っていた最後の一つをミユに手渡した。ミユは不思議そうに首を傾げる。


「なんで?」

「涼花さんの分。一緒に遊べばよかったのにさー」

「あー、ごめんね。急ぎの仕事が入ったみたいで。でも夕方くらいにはまたこっち来るみたいだから」

「じゃあ夜は一緒に遊べるんだ? 買ってよかった」


 パピは嬉しそうにそう言うと「じゃ、昼の部の集合写真撮るよー」とスマホを取り出した。時雨は思わず苦笑する。


「昼の部って……」

「夜の部は涼花さんが来たときに撮るからね」


 パピはそう言うと全員が画角に収まるように並ばせてから「はい、撮った」といきなり撮影終了の言葉を発した。


「普通、撮るときに言わない?」

「それじゃ面白くないから却下」

「いいね。パピは面白い」

「お? そう? 水希とは良い友達になれそうだね?」


 パピはニヤリと笑って水希と謎の握手をすると二人並んで歩き出した。


「今日のコースはわたしが決めてるからねー。パピちゃんオススメコースに出発!」

「おーっ!」


 軽く拳を突き上げて歩く水希は楽しそうだ。


「パピ、恥ずかしいからもう少し静かに歩いて」


 穏やかな表情で知砂も彼女たちの隣を歩く。


「なんか知砂ちゃんもパピちゃんも変わったよね」

「そうですね」

「きっとシグちゃんのおかげじゃないかな」

「わたしですか」

「うん。パピちゃんはすっかり肩の力が抜けてる感じする。知ってるよ? ときどき二人でどこか遠出してるでしょ」


 ミユがニヤリと笑った。時雨は苦笑する。


「パピさんに聞いたんですか?」

「ううん。ただ二人が投稿する画像の場所が被ってるときあるからさ」

「ああ、あれ。パピさんが匂わせだから投稿しとけって言うから」


 ミユは「なにそれ」と笑う。そして温かな視線を知砂の背中に向けた。


「知砂ちゃんも、なんだかお姉さんになった感じするよね」

「学校でも友達が出来たみたいですし」

「うん。それもきっとシグちゃんのおかげだね」

「わたしは何もしてませんよ。知砂ちゃんは環境が変わったから本当の自分を出せたんじゃないかなって思います」

「でもきっと、以前の知砂ちゃんだったらあのままだったと思うな。シグちゃんと遊ぶようになって知砂ちゃんは変われたんだよ」


 ミユはそう言うと「でも」と視線を柚希に向けた。


「シグちゃんがみんなと関われるきっかけを作ってくれたのはユズちゃんだよね」

「――え」


 急に話を振られて驚いたのだろう。柚希は目を大きく見開いてミユを見た。ミユはそれ以上は何も言わず「ねー、最初は何乗るの?」と声をかけながらパピたちに追いついていった。


「……わたし、何もしてないのに」


 柚希が呟く。時雨は「そんなことないよ」と笑った。


「ミユさんの言う通り、わたしがみんなと関わるきっかけは間違いなくユズだからね」

「そうなの?」

「そう。ユズが音信不通になったからみんなと話をしようって思えたんだと思う」

「どうして……?」

「ユズのことを知りたくて。みんなはきっとわたしの知らないユズのこと知ってるって思ったから」

「それでみんなと話をしたの?」

「んー、半分は成り行きかも。だけどおかげでユズのことも、みんなのこともわかった気がする」


 柚希は前を歩く四人に視線を向ける。


「それは、時雨がみんなと友達になれたってこと?」

「うん」


 迷うことなく時雨は頷いた。柚希は少し寂しそうに「そっか」と微笑む。


「ユズはすごい子だったんだね」

「ユズは柚希だよ」

「でも――」

「少なくとも知砂ちゃんとパピさんがここを選んだ理由は柚希だからね」

「わたし……?」


 柚希は考えるように呟いた。しかし思い当たることはなかったのだろう。彼女は息を吐く。


「わたし、何をしたのかな」

「何も」


 時雨の答えに柚希は怪訝そうに首を傾げた。


「何もしてないの?」

「うん。特別なことは何も。ただ一緒に遊んだり、どこか遠くに行ったり。それだけ」

「……それでなんでここに?」

「そうすれば友達になれるってことらしいよ」

「友達?」


 時雨は頷き、そして笑う。


「知砂ちゃんから聞いたんだけど、前に柚希が言ったんだって。一緒に遊べば友達じゃんって」

「……だから遊びに?」

「そう。柚希とみんなで、ね」


 時雨の言葉に柚希はハッとした表情を浮かべた。


「パピさんもモヤモヤしてるときはパーッと何も考えずに遊ぶのがいいって柚希から教えてもらったんだと思う。柚希、たぶん行き先を教えると自分も何かしなくちゃって考えちゃうでしょ?」

「だからどこに行くのかは秘密に……」

「だと思う。まさかあの短い時間で二人がそこまで意思疎通ができてたなんて思わなかったけど」


 時雨は軽く笑う。そっか、と柚希は微笑みながらパピたちの背中に視線を向けた。


「みんな、変わったんだね」

「そうだね……。みんな変わった」

「時雨も変わった?」

「うん」


 時雨は頷く。すると柚希が浅く息を吐いた。見ると彼女は寂しそうに微笑みながら俯いていた。


「いいな。わたしは何も変わってない。止まったままなのに」


 その言葉を聞いて蘇ってくるのは、みんなから置いて行かれたような気がして寂しくなっていた自分のこと。

 やはり彼女は自分とよく似ている。

 先に動き出したのは彼女の方だった。彼女のおかげで自分は変わるきっかけを得られた。だが彼女の時間は戻ってしまった。変わろうとしていた自分を忘れてしまった。


 ――だったら、また変わればいい。


「次は柚希の番だよ」


 時雨は言いながら柚希の手を握る。彼女は顔を上げた。


「変われるかな」

「変われるよ。ていうか変わってるかも」


 柚希は不思議そうに首を傾げる。


「一緒に遊んだら友達、なんだよ」


 時雨は笑う。柚希は「そっか」と少し安心したように頷いた。


「友達がいるんだね、わたしには」

「そう。お互いのことはほとんど何も知らない友達がね」

「たしかにプライベートなことは何も知らないかも」

「いいんじゃないかな。過去より今だよ。今、この瞬間の時間を共有してる。一緒にいれば共通の思い出がたくさんできる。それって十分友達ってことだと思う」

「うん。わたしもそう思う」


 柚希は笑う。そして立ち止まると時雨に身体を向けた。時雨も立ち止まって彼女と向かい合うと、もう片方の手も自然と繋ぎ合った。


「ありがとう、時雨。わたしのことを忘れないでいてくれて」

「こちらこそありがとう、柚希。わたしのことを見つけ出してくれて」


 柚希が見つけ出してフォローしてくれなかったら、きっとこんな気持ちなんて知らないままだったろう。こんなに誰かに必要とされたいと思うことはなかっただろう。こんなに誰かを必要だと思うことも……。


 ――全部、柚希がわたしを見つけてくれたから。


「好きだよ、柚希」


 気づけばそんな言葉が口から漏れ出ていた。柚希は少し恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに「うん」と笑う。


「わたしも時雨が好きだよ。こんなわたしを必要としてくれる時雨が好き」


 柚希の言葉が胸に入ってくる。温かな気持ちと同時に彼女の笑顔に切なさを覚えて時雨は微笑んで眉を首を傾げる。


「こんなじゃない。わたしは柚希が必要なんだからね?」


 柚希は「そっか。うん、そうだね」とさらに嬉しそうに笑みを深めた。そのときパピと知砂が時雨たちを呼ぶ声が聞こえた。随分先に行ってしまっている。時雨と柚希はお互いに笑い合うと「行こう」と手を繋いだまま歩き出す。


「これから色んな所に行こうね。柚希」

「うん。みんなと一緒に色んなところに行こう」

「みんなともいいけど、たまには二人がいいな」


 時雨が言うと柚希は笑う。楽しそうに。それはユズではない本当の彼女の笑顔。彼女はようやく一歩足を踏み出せたのだろう。ユズと柚希の境界から。そんな彼女と共に時雨もまた自分の境界から足を踏み出せた気がする。


「二人とも遅いって! 早く!」

「ごめんって。ちょっと待って!」


 パピの声に返事をしながら時雨は柚希と駆け出す。大切な人と、大切な友達の笑顔の元へ。

 走りながら見上げた空は優しい青色を広げ、まるで前へ進み始めた時雨たちを温かく包み込んでくれているようだった。

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