湿地帯の笛吹き少年

karam(からん)

湿地帯の笛吹き少年


 夕方、一人の旅人が湿地帯に立ち寄った。湿地帯は何もない場所だ。広大な土地だが見渡す限り、人も動物もいない。旅人は、静かな湿地帯の傍を淡々と歩く。

彼は、おもむろに足を止めた。きょろきょろと、辺りを見回す。かすかに、笛の音が聞こえた気がしたのだ。旅人は笛の音につられるように、歩いて行く。だんだんと、ゆるやかな笛の音は大きくなっていく。

 しばらく歩くと、湿地帯の端に人がいるのが見えた。旅人は首を傾げる。湿地帯は障害物がないため、見通しは良いはずである。いつの間に人が来ていたのか。自分の見落としだったかもしれない、と旅人はさほど気にすることもなく近づいた。

「なぁ、君」

 その人は笛を吹くのを止め、顔を上げる。そばかす顔の柔和そうな、ドワーフの少年であった。彼は旅人の姿を見て、微笑んだ。

「こんにちは。旅人さん、ですか? 集中していて、気付きませんでした」

「演奏を止めてしまい、申し訳ない。笛の音が聞こえてきたため、つい来てしまった」

 旅人は、首の後ろを掻く。ふふふ、と少年は笑った。

「かまいませんよ。声を掛けていただけて、嬉しいです。一人きりで演奏するのも、寂しいですから」

「そうか。……ここで、いつも演奏しているのか?」

「はい」

 少年は、手に持った笛を旅人に見せた。

「僕が自分で作った笛です。我ながら、良い音が出るんですよ」

「確かに、良い音だった。その音につられて、私はここに来たからな。人を呼び寄せるような、魅了するような、不思議な演奏だったな」

「えぇ、そうでしょう、そうでしょう! はは、嬉しいなぁ」

 少年は、腰に付けたポーチに笛をしまった。

「旅人さんは、お一人ですか?」

 旅人は頷く。どこをどう見ても、自分しかいないはずだが。

「そうですかぁ、僕と同じですね」

 少年は、にこにこしている。

 旅人は彼が、自分の身に着けているペンダントを見ていることに気付いた。

「このペンダントが気になるのか?」

「!」

 少年は、驚いた表情をした。

「よく分かりましたね。あまり見たことのない形だったので、気になってしまいました」

「そうか?」

 旅人は、ペンダントを外して見る。雫型の青い水晶が入った、普通のペンダントである。隣町の骨董屋で気に入って買ったもので、特に深い思い入れがあるわけではない。

「いるか?」

 旅人がペンダントを少年に差し出すと、彼は狼狽した。

「えっ、い、いいんですか? 大事なものだとか……」

「大丈夫だ。気にするな。君の方が、よっほど似合う」

 ありがとうございます、と少年はペンダントを受け取った。嬉しそうにペンダントを見ている。

 旅人は、そろそろ行かなければな、と思った。笛の音の正体が分かったら、すぐに立ち去るつもりであったが、長居しすぎたようだ。

「すまないが、私はここで」

 少年は、弾かれたように顔を上げる。

「あ、待って、まだ駄」

「あぁ、そうだ」

 旅人は、ポケットから袋を出した。

「隣町の奴からもらった菓子だ。私だけじゃ、食べきれそうにない。君が良かったら、もらってくれ」

 少年は言葉を失くしたまま、旅人から袋を受け取った。旅人は少年に背を向け、歩き出す。

「まぁた、来てくださいねぇ。待ってます、心優しい旅人さん!」

 遠くから、少年の声が聞こえた。旅人が振り返ると、そこには誰もいなかった。


 その日の夕方、旅人は街の酒場にいた。目の前には、旧知の友人が座っている。

「お前、ほんと酔わねぇなぁ。ちゃんと飲んでんのかぁ?」

「お前が酒に弱いだけだろ。一緒にすんな」

 友人は、酒で真っ赤になった顔で笑う。呆れたように旅人は返した。コトリ、とテーブルに置いたグラスが鳴る。

「そういや、聞いてほしい話があるんだ」

「お、何だ? お前にも春がき」

「違う」

 話を遮られた友人は、ムッとした顔をする。

「……」

 首を振り、それでどうした、と彼は零した。

「この街の外れに、湿地帯があることは知っているか?」

 友人は、思い出すそぶりを見せる。

「あぁ、あるな。昔は花が咲いた綺麗な場所だったが、今じゃあ廃れてただの沼さ。危険だし、あんなところ誰も行かねぇよ。近頃、やべぇ魔物も出るらしいしな。んで、それがどうした?」

「あぁ、いや。……やべぇ魔物?」

 旅人の問いに、友人は頷く。

「知らねぇのか? 結構、有名な話だぞ?」

「あぁ……。聞いたことないな」

 知らねぇなら教えてやろう、と友人は身を乗り出した。

「湿地帯の近くに出ては、人の物を盗っていく厄介な奴さ。何でも幻術が得意とかで、姿形も変えやがる。まぁ奴に掏られた奴は、ドワーフのチビだったと口を揃えて言っていたがな。ちょっと会話をして別れた後、気が付いたら高価な物、食料なんかが無くなってんだってよ」

 友人は、にやっとする。

「ここからが、面白いところ。盗られたと気付いて慌てて戻ったが、湿地帯には誰もいない。既に手遅れってわけだ。中には、建物があったとか、そもそも湿地帯はなかったとか言う連中もいてな。まぁ、奴の幻覚魔法に踊らされたんだろう」

「それは……厄介だな」

「しかし、ある点に気を付けりゃ、引っかからない」

「ほう」

「その魔物はだな、獲物を誘き寄せるために笛の音を使う。本当に笛を吹いていんのか、笛の音に似たものを出してんのかは知らんがな。あの辺りで笛の音が聞こえたら、音が聞こえなくなるまで離れればいい。簡単なことだろう? まぁ、それでも引っかかる奴は引っかかるんだが……。ん、どうした?」

「……いや」

 湿地帯で出会った、笛吹き少年が旅人の頭をよぎる。。

(話した感じは悪くなかったが、それも罠の可能性があるってことか……)

 旅人はジョッキを掲げ、店員に酒の注文をした。

(だが、面白い奴だったな。笛の音も、綺麗だった)

 友人は話題に飽きたのか、別の話をし始めている。

(また、話してみたいな。あぁ、そうだ。街を出るときに一度戻って、湿地帯に寄ってみようか)

 夜も更け、酒場は更に賑わい始めた。声を張り上げないと、相手の声も自分の声も聞こえにくくなる。旅人は、テーブルに置かれた酒をぐいっとあおった。冷たい液体が、喉を通っていく。何だかいつもより、酒が不味く感じた。


 翌日、旅人は再び湿地帯を訪れた。彼のその後は、誰も知らない。 

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湿地帯の笛吹き少年 karam(からん) @karam920

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