燃え殻と恋情(上)
冷めたポテトが嫌いだ。どうにも、おれにはそれがべちゃりとして口の中が気持ち悪くなる。だから、嫌いだ。そういうと、友人たちは繊細ぶりやがってとおれを笑う。
どいつも、こいつも嫌いだ。お前らにおれの何がわかるってんだよ。などと、言えたらよかったのだが、おれは内心ばかりが始終うるさい。口にするのは躊躇われる。何せ喉を震わせ声に乗せた瞬間それは真実となる。おれはおれの言葉を持ってして他人を傷つける。
意図的であれ無意識であれ、その事実に酷く耐えがたくなる。おれはそういう奴らを心底憎んでいるが、自分がまたその凡俗になりさがることを望んでいた。絶え間なく他人を憎み、悪意を曝け出し世を儚んで生きるというのはある種の憧れだった。例えばハードボイルド小説の無頼漢たちのように、皮肉に塗れ他人を遠ざけて、なお皆に求められるような。そういう人間になってみたかった。傷付けるが、傷つけられはしない。そういう存在になりたかった。
しかし実際、おれがそういった振る舞いをしてみると人から嫌われて遠ざけられた。透明人間のように扱われ、空気のように部屋の隅で暮らした。二人組を作れなどと言われようものなら、即座に先生と組まされるような存在だったし、修学旅行ではほとんど誰とも話さず過ごした。どうやら、おれにはてんで何かが足りないようだった。
例えば、体の大きさや、顔の造形、力の強さ、頭の回転だとかそういう部類の魅力。身体を鍛えてみても、ちっとも筋肉はつかないし、体の大きさは平均のそれだった。顔の造形は、よくわからない。ただ、いわゆる男らしい男、というものからは程遠いようだった。
おれの顔は、母によく似ていたし、父は俺の顔を見るたび嫌な顔をした。
「あいつそっくりだ」と吐き捨てるように言う。きまって、おれが失敗するとそう言うのだ。まるで全部母親のせいとでも言いたげに、恨めしげな顔をする。半分はおまえの血も入っているのに、嫌な親父だ。おれたちはずいぶん衝突もしたし、今でもおれはあいつを許すことはできない。育ててもらった恩はあれど、多分それだけだ。
冗談と皮肉のちょうど良い塩梅を探すのに、随分と時間がかかった。俺に許される振る舞いを見つけたけれど、おれはやっぱりそれが少し不満だった。俗物どもめ。おれのほんとうに気づきもしないで、笑っていやがる愚鈍なる蒙昧どもめ。お前らには決して、おれのほんとうなど見せたりはしない。おれは、この世界をうまく生き抜いてやるのだ。それがおれを許さなかったお前たちへの復讐だ。
愛美に出会ったのはおれがそういう何もかもに絶望していたときだった。おれは青い時代の失敗を絶対に無駄にするまいと固く決心し、大学生になった。おれは自分の振る舞いというものを見直すことに腐心した。確かにおれは物語に出てくるようなニヒルで厭世的な男になりたかったが、何もそれは他者に嫌われたいということではない。おれがおれを偽る事に執心しているとき、彼女はその全く反対を生きていた。
大学にいた奴らはみな自分の哲学や様式を持っていた。他者にどう見られたいか、どう関係性を築きたいか、どうすれば良いのかを探り合い腹の中を決して見せず、嘘と虚栄を糊塗してごてごてに着飾り、外面に身動きも取れなくなっていた。それは、おれもまたそうであるということを意味した。被った仮面が癒着して剥がれなくなると、おれたちは自分の顔を忘れてしまう。
対して、彼女は。どう形容するべきか迷うが、さながら丸出しだった。頓着しない、というか人からどう思われようとどうでも良いというような、さりとて破れかぶれというわけでもない絶妙な塩梅の振る舞いをしていた。他人を傷つけるつもりがなく、偽るつもりもなく、ただ真っ直ぐ信念を曲げないで生きる柳のようなひとだった。おれは、彼女のそういう頑なとも取れる真っ直ぐさに惹かれた。 彼女はおれの偽りを暴きもしなかったし、赦しもしなかった。偽りを溶かして、それがおれの傲慢と驕りであると示した。いてもいなくても変わらないようなおれは彼女にだけはしっかりと映っているようだった。
おれが、彼女をめぐちゃんと呼び始めるのにそう時間はかからなかった。彼女は変な呼び方と言ったが、別に嫌とは言わなかった。 だからおれは、別れても彼女をめぐちゃんと呼んだ。それだけが俺たちに残されていた。
おれと彼女が結婚をしたのは大学を卒業して二年が過ぎた頃だった。おれも彼女も、ちょうど仕事が軌道に乗り始める頃合いで、だから今のうちに彼女を繋ぎ止めておかなければいけないと思った。そうでなくては、おれのようなろくでなしはすぐに捨てられてしまう。
おれは、彼女となら良い家庭が作れると思った。そのためなら、たくさん働いてもよかったし、へらへらと馬鹿みたいに笑う鼻垂れ小僧のようなじじいにも無心で頭を下げられた。浅慮な馬鹿どもと一緒に働くなんて死んでも嫌だったけれど、それでも彼女と一緒にいられるならと己を奮い立たせた。がむしゃらに働いた、深夜をとうにすぎ早朝に帰宅し、そのまま仕事に向かうような日々が続いた。彼女に心配をかけたくはなかったし、なにより生まれてくる子供のためにできるだけたくさんお金が欲しかった。
子供が欲しかった。彼女との間に生まれた、おれと彼女の血をちょうど半分分け合った、おれじゃなくて彼女にそっくりな子がいい。おれに似ているのなら、愛せないかもしれない。だってきっと碌なもんじゃないから。
証が欲しかった、おれだけの家族。おれだけの揺るがないものや、居場所が欲しかった。それが彼女のいる部屋ならいいと思っていた。おれたちは式を上げなかった、ただ籍だけを入れた。おれは親父を式に呼びたくはなかったし、親戚への体面や見栄のために彼女を見世物にする事に耐えられなかった。
彼女はどちらでも良いと言ったから、おれは式をあげなかった。かわりに、彼女に一つだけお願いをした。一日の終わり、全てを吹き消すみたいにタバコの煙をくゆらせる彼女の横顔が好きだった。でも、子供を持つならそれはやめてもらわないといけなかった。 おれが彼女から奪ったもの。たくさんの時間と、尊厳や、人生の一部。戸籍につけたバツ。めぐちゃんの人生に、おれという傷が付く。それが少し嬉しいと思うのは、多分おれのひねくれた性ゆえだった。
おれたちは、少しずつそうやって消耗して、形を変えた。おれは、おれの穴に寄り添うようにまるまるめぐちゃんが好きだった。でも結果として、おれたちは子供を授からなかったし、めぐちゃんはおれを捨てた。いいや、おれがめぐちゃんを捨てた。どっちも同じだ。おれたちの愛や、身を焦がすような熱情は燃え尽きてしまって燃え殻になった。あるいは、めぐちゃんは最初から一つも損なわれはしないのかもしれない。おればかりが、彼女に腐心している。
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