第十七話:嘆き
「いい加減にしてよ。
二人の漬物石みたいな価値観押し付けられんのは、もううんざり。」
いつの間にか黒石は、私の手を離していた。
テーブルを飛び越えそうな勢いで、ご両親に向かって身を乗り出していた。
あの、黒石が。
いつもどんな時も、品があって落ち着いていて、私の名前を呼び捨てにさえしない黒石が。
怒っている。
憎しみを感じさせるまでに激しく、怒っている。
黒石のこんな姿を、私は一度でも見たことがあっただろうか。
「な───、ん、なのよ急に!?
親に向かって、なんて口を利くの!!」
「親?なにが親よ。
今まで家族らしいこと何もしてくれなかったくせに、偉そうなこと言わないで。」
「……ッあんた!いい学校通わせてやった恩を忘れたの!?
さんざん世話になったんだから、そのぶん親孝行するのが子供の役目ってもんでしょう!!」
先程以上の金切り声で騒ぐお母さん。
床に落ちた焼き菓子を黙々と拾い上げていくお父さん。
対極の反応を示す二人に、黒石は鼻で笑って返した。
「いい学校に通わせることが親の務めだって、本気で思ってるわけ?笑わせないでよ。」
「ま─────」
「親っていうのは何より、子供のためを思ってくれるものでしょう?子供の味方をしてくれるものでしょう?
今まで一度だって、わたしの我が儘を聴いてくれたことがあった?わたしに何かを選ばせてくれたことがあった?
いつもいつも、わたしを一人にして、わたしの好きな映画も知らないくせに、なにが親孝行よ子供の役目よ。
熱出して寝込んだ我が子を二日も放置するような親に、そんなこと言う資格はこれっぽっちもないんだよ!!」
黒石は、自分語りは滅多にしない。
私の辛い話には、代わりに泣いてくれるほどなのに。
自分の辛かった話には、もう過ぎたことだと笑ったりする。
学校ではクラスメイトに苛められて、家では血の繋がった両親に蔑まれて。
行き場のない孤独と、終わりの知れない苦難に晒されて尚、私の前では笑顔でいたんだ。
そんなの、あんたの方がよっぽど、ヒーローじゃんかよ。
「真咲、冷静になりなさい。お客さんの前だぞ。」
「お客さん?そのお客さんに凄んでたのは誰よ。
よくも尾田さんに無礼を働いてくれたわね。これ以上彼女を貶めることを言ったら許さないわ。」
言い負かされたお母さんと交代で、今度はお父さんが黒石と対峙する。
黒石が怯む気配は、もうない。
むしろ強気に食ってかかり、主導権を奪い返そうとしている。
「お前、誰に楯突いているか、分かってるのか。
俺は一家の大黒柱だぞ。」
「ほら出た。都合が悪くなると、そうやって立場を強調する。
力づくで黙らせようとするほど、却って自分の浅ましさを証明することになるんだって、お父さんこそまだ分からない?」
お父さんと黒石がいがみ合う傍ら、お母さんがしくしくと泣き始めた。
黒石いわく反抗期はなかったそうなので、娘に怒られたのがショックだったのだろう。
「はあ……。真咲。お前は反抗をしたいだけだ。
私や母さんに文句を言いたい気持ちばかりが先走って、我を見失っている。」
「そうね。確かに今は、ありったけ文句を言ってやりたい気分だわ。
それで?父さんにとってのわたしは、我を見失っていない時のわたしは、こんな時なんて言うのかしら?」
「……少なくとも、以前までのお前であれば、そんな
忘れたわけじゃないだろう。お前の将来のためにと高い習い事に通わせ、大学の学費だって全額負担してやった。
それはお前一人の力では決して叶わなかったことだ。」
「ええそうね。金銭面では感謝してるわ。
けど、だからってその恩返しに、好きでもない男と結婚なんか出来ない。
どうしても返せと言うなら、一生かけて返済するわよ。金銭面でね。」
真咲の見事な意趣返し。
理屈っぽいお父さんのことだから、更に意趣返しを重ねてくるかと思いきや。
「───ッ生意気を言うのも大概にしろ!!
自分がいかに愚かな道を進もうとしているかが分からんのか!!」
腹の底から叫んだお父さんは、せっかく器に盛り直した焼き菓子を、自分の手でぶち撒けた。
凄まじい剣幕だ。
眉の吊り上がり方も、声のボリュームもボルテージも、お母さんの比ではない。
「ひ─────」
さすがの黒石も、これには怯んだらしい。
悲鳴に近い声を漏らすなり、口をつぐんでしまった。
「お前は女だ。女は男に三つ指をついて奉公するのが一番の幸せなんだ。
それを教えてやろうという俺の真心をなぜ否定する。」
矢継ぎ早に捲し立てながら、お父さんがソファーから立ち上がる。
「女なんてな、どう足掻いたところで、男の力には及ばないんだよ!!」
とうとう本性が出た、と思った。
"黒石に人並みの幸せを経験させてやりたい"。
聞こえのいい甘言も、元は本意だったのかもしれないけれど。
今の発言で、確信した。
この人の心が訴えたいのは、こっちだ。
女なんて。
強烈な女性蔑視が、この人の核に根を張っている。
先程まで同調していたお母さんでさえ、今では信じられないものを見る目つきで、お父さんの顔を見上げている。
そしてそれは、黒石も。
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