レーゾンデートルの呪い

青井優空

第1話

「あなたが生きる理由はなんですか?」

 いつものように、なにも考えずにつけたテレビがそんな言葉を垂れ流した。目が釘付けになると同時に、心臓が一瞬だけ動きを止める。

 そんなわたしのことなんて知りもしない、カメラに照れたような視線を送る女の人は言った。

「推しですね。推しがいてくれるおかげで、生きていけます。」

 テレビの中の知らない女の人が笑えば笑うほど、わたしの唇は結ばれていく。

 家の中は今日も静かだ。テーブルの上にはラップをかけられたサラダとトーストが置かれている。朝ごはん、と破られたメモに殴り書きで記されていた。わたし以外誰もいない。わたし以外、みんなちゃんとしてるから。

 テレビの音がやけに大きくリビングへと響く。ワイプの中でうざったいほどに知らない芸能人が頷いているところを見て、ソファに放り出したリモコンを手に取り、チャンネルを変える。けれど、平日の昼はおばさん向けのバラエティかワイドショーしかやっていないことを思い出して、結局電源ボタンを押した。

 ため息を吐き出す。なにも返ってこないことはとっくに知っているのに、気が付けば、わざとらしくため息を吐いている。

 ラップを外して、トーストに手を伸ばす。数時間前に焼かれているトーストはすでに硬くなっていて、一口かじるだけで、ボロボロと粕が落ちる。

 それだけで食べる気が失せて、お皿をテーブルに戻す。サラダを冷蔵庫に入れようと思ったけれど、身体が動かない。

 とても疲れていた。みんなと違って、わたしはなにもしていないのに。朝、ベッドから身体を起こして、部屋から出てソファに座っただけなのに、それだけで身体はもう動きたくないと駄々をこねている。いつもと違って、動こうという気力も今日はなくなっている。

 自分への情けなさが、すでに複雑でドロドロになっている感情の中にさらに追加される。鼻の奥がツンと痛くなったけれど、涙は出ない。こんなに遅れていても結局はなんとかなる、と思っているから、泣こうにも泣けない。

 なんて愚かな人間、と自分だけではなく、人間自体の価値も下げていく。それでも、わたしがあることの意味の無さは明らかだった。

 生きる理由、なんてなにもない。惰性で生きている、と言ったら、お母さんは呆れるだろうか。すでに呆れているというのに、さらに呆れるだろうか。起きてこないと分かっている娘のために、サラダを分けることも食パンを焼くこともしなくなるだろうか。

 それは悲しい、とワガママを思う。なにがあってもお母さんには怒られたくないし、お母さんを怒らせたくない、と怒ったことがないお母さんに対してそんなことを並べている。

 けれど、わたしに生きる理由はなにもないのだ。打ち込めるものもないし、やるべきこともない。いや、本当はあるけれど、たくさん山積みだけど、今はまだ目を逸らすことができる。それでも目を逸らした先に、苦しむ未来の自分がいる。そんなわたしを想像すると、死んでしまおうかと思う。けれど、死なない。思考だけは立派で、行動はなにもしない。馬鹿みたいな人間。存在意義も存在理由もない。わたしがいてもいなくても、世界は変わらない。なら、死んでしまおうか。

 ため息を吐く。わたしが吐き出したこの息は、ちゃんと空気に溶け込めているのだろうか。馬鹿な頭では辿りつかない答えを、疑問だけ浮かべておいて探す気すらないのだから、もうわたしは末期だと思う。

 生きている意味もないし、わたしが生きていることで救われる人がいるわけもない。そんなわたしでも生きていけるこの世界はやさしいんだな、と何度も憎んだこの世界をおだててみても、なにも変わらない。

 腕にはできない、とそんな理由で太ももにできた傷は、あまりにも鮮明で、わたしの気持ちを表してくれているような、そんな気がした。結局、そんなことはないのだけれど。

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