第39話 君と『未来』を歩む

「望月君!?」


 光に包まれる屋上。

 その一番奥にいる古村さんは、自分に向けて駆ける俺を見て固まった。


 儀式そのものを止めることはできない。必要となる言葉の詠唱は既に終わった。前にキャンセルした時のように配置されたアイテムの方をなんとかしようにも、見える範囲にそれらしき物はない。探す時間はもちろん無い。


 だからこれが目的までの最短距離だ。


 間に合ってくれ!


 視界が白く染まる。

 ここからはもう何秒もない。


「なにしてるの!? 早くここから逃げて――」


 光で前が見えない。

 だからその声を頼りに必死に手を伸ばす。何かに触れる。古村さんだ。左手で古村さんを抱え、屋上を囲う金網を残る右手と全身を駆使してなんとか乗り越える。ここは四階建て校舎の屋上。これ以上進めば十メートル以上の高さから真っ逆さまなんだろうが視界も白一色で何も見えない。眩しすぎる光は、もはや闇と変わらない。


 だとすれば、この先に必要とされるのはただ闇の中で一歩を踏み出すための死ぬ気の根性だけ。


 だから――思いっきり飛んだ。


「ごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

「えっ、えっ、ええええええええええええええええ」


 召喚の儀式が及ぶ範囲から逃れるために。


 光に満たされた屋上から飛び降りた。


 光を抜けると一気に視界が広がる。それも一瞬のことで、目に映る世界は馬鹿デカい木に覆われた。というか反射的にそこに向かって飛んだ。迫る大木の緑。葉や枝に全身を打ちつけられ、それでも勢いは止まることもなく落下する感覚に縛りつけられる。もはや自分がどうなっているのかもわからない。ただ胸にある古村さんの感触だけを頼りにする。必死に抱き寄せ、なんとか自分の体を古村さんの下に滑り込ませるようにしたところで背中から全身に衝撃が突き抜けた。


「ぐがあっ!」


 視界が静止する。

 どうやら落下は終わった。


 そして意識がある程度には――俺も無事らしいな。


「望月君……!」


 仰向けに天を仰ぐ俺。

 古村さんはそんな俺を組み伏せるような形で見下ろしていた。地面に落ちる寸前で上手い具合に庇うことができたらしい。良かった。古村さんが無事で本当に良かった。ただなんというか、いくら小柄な女子とはいえ人一人に乗っかられるとさすがにちょっと重いな……ぐえええ。


 けど、あともう少しだ。

 俺は改めて古村さんの細い体に両手を回した。


「もう逃がさないからな。今度こそ、俺の言葉を聞いてもらう」

「あ…………」


 古村さんは俺に想いを告げてくれた。

 記憶喪失の俺にとっては唐突でも、古村さんにとってはそうじゃない。

 俺と出会ってからの色々な積み重ねがあったんだろう。


 それでも記憶喪失の俺には古村さんの考えがわからない。

 たとえ記憶喪失じゃなかったとしても、古村さんの気持ちまではわからないのかもしれない。


「やめて……いやだ……望月君……」


 俺の腕の中で古村さんが震えている。



「私のこと、嫌いにならないで…………っ!」



 古村さんの瞳に涙が浮かび、雫となって俺の頬に落ちる。

 俺は初めて古村さんの本当の言葉を聞いた気がした。


 それでも。



「友達から始めよう」



「あ…………」


 やっぱり記憶のない俺が、古村さんのことを受け入れるわけにはいかないんだ。


「う……あああ……」


 耳元で告げられた俺の言葉に、古村さんが嗚咽を漏らす。

 そして枯れた花みたいにしゅんと顔をうつむかせた。

 まるで俺から改めて拒絶されたことを、深く深く噛みしめるかのように。


 全く――なんでこうなるんだろうな。

 この言葉が告白を断る際の決まり文句だと、一体誰が決めたというんだ?


「お前、さっき何をしようとしたんだよ」

「え……?」

「俺の前から……いなくならないでくれよ……!」


 明日からの日常を君と共に歩みたい。

 そんな未来への希望に溢れた言葉のはずだろう。


「…………、」


 瞳を涙で濡らした古村さんは今にも壊れてしまいそうなくらいに儚げで。

 今は心から愛おしいと思えた。


 言葉を濁すような真似はしたくない。

 だから俺も素直な気持ちを打ち明ける。


「俺さ。気付いたら古村さんのこと、まだあんまり知らないんだ」


 俺が記憶喪失であることは、多分あまり関係が無い。

 お互い、本当の部分はほとんど何も知らなかった。


「俺は何度もお見舞いに行ったけど……人類を滅ぼそうとか、そういう話ばっかりで。古村さんの得意な教科とか、好きな食べ物は何なのかとか、休み時間はどんなことをして過ごすのかとか……例えば学校での古村さんがどんな奴なのか、わかってなかったんだと思う」


 俺がちょっと話を合わせただけで、古村さんに記憶喪失だと悟られないくらいに。

 それほどまでに古村さんも、俺になにかしらの幻想を抱いていただけなんだ。


「全校生徒を生贄になんてさせねえよ」


 だから改めて、真正面から言ってやる。

 これが俺だと。

 これが俺の望むことなんだと。


「俺は学校に行きたい! そこには古村さんもいてほしいんだよ!」


 俺は決めたんだ。

 過去が無いのなら、未来を精一杯生きてやると。


「毎日朝の挨拶をして一緒に授業を受けて、たまに中庭あたりで一緒に昼食したり、テスト前には一緒に勉強したりして! 運動会でお互いが出てる種目のことを気にかけたり、文化祭も一緒に準備したり空き時間には一緒に回ったり! もうすぐ冬休みだけど何しようとか、卒業が近くなるとしんみりし始めて、そんな寂しい想いすらも共有したりなんかして……そんなありふれた普通の日常を古村さんとも一緒に歩みたいんだよ!」


 これから出会った全てを全力で大切にしていくんだと。


「これからの俺は、そんな古村さんとの時間の一つ一つを大切にしてみせるから」


 俺が思い描いてきた小説みたいな高校生活は――幻想で終わらせたりはしない。



「だから……これからも俺の未来を一緒に歩んでくれないか?」


 これが今の俺にできる、古村さんへの精一杯の答えだった。



 物理的に拘束されているせいでそんな俺の言葉から逃れることもできず。

 ただ俺の想いを超至近距離から一方的にぶつけられた古村さんは。



「別に……いいけど……」



 消え入るような声で、そう言ったのだった。


「…………いいの?」

「…………うん」


 古村さんは全身を真っ赤にして頭を垂れている。

 しまった。なんというか、今度はちょっと台詞がクサ過ぎたか。


「そっか……」

「う、うん……」

「…………」

「…………」


 ――――――――――よし!


 とにかく今度こそ説得は上手くいったみたいだ。

 なんか最後は無理やり言わせたみたいになった気がしないでもないけど、これで良かったんだよな?


 俺は俺なりに偽りのない気持ちをぶつけた。


 これから俺と古村さんが時間を重ねて、もしも古村さんが俺がどんな奴かを本当に知った上で、また同じ言葉をくれたのなら。


 今度こそ向き合わないといけないんだろう。

 その時の俺なりに。本気で。


「……望月君。あの」

「え……あ。わわわっ! ご、ごめん!」


 俺は古村さんにまだ抱きついたままだったことに気付く。

 なんだよこのベタなラブコメ小説みたいなシチュエーション。あれが許されるのはフィクションの世界だけだからな?


 慌てて手をはなす俺。

 うつ伏せのまま体を震わせる古村さん。


「えっと……」

「…………」


 き、気まずい!


 ゴーン、ゴーン、ゴーーーーーーン……!


 ちょうどそこでチャイムが鳴る。あ、多分これ全校朝会が終わる合図だな。

 チャンスとばかりに俺は体を起こした。


「さて……俺は不法侵入中だし。とりあえず病院に戻るよ」

「えっ……あ、はい……」


 やばい。今さらながら身体中が死ぬほど痛い。

 深夜のテンションで病院抜け出したはいいものの、屋上から飛び降りるのは正直やりすぎだ。入院中に何をしてるんだ、俺。余計に死にかけてるじゃん。


 四つん這いでコソコソ動く俺を、古村さんはおそらく微妙な目で見送ってる。

 だから振り返り、一応最後に言っておく。


「また、学校でな」

「……うんっ!」


 古村さんは笑った。

 その瞬間――過去を失ってから今までの時間に、初めて意味が与えられたような気がした。

 運命に翻弄され続けた苦難の日々も、この笑顔を見るためにあった。

 そう思えるくらいの、とびっきりの笑顔だったから。

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