第32話 追想(渇望)
目を覚ますと、そこは病院だった。
俺がベッドに横たわって天井を見上げている――今度こそ現実らしい。
意識を失う前の記憶がじわじわと戻ってくる。俺は天城さんに誘われ、古村さんとも一緒に学校へ行こうとして。
その登校中になんというか、まあ、色々あった末に俺は階段を転げ落ちたのだ。
「いててて……」
全身が痛む。
まだ意識も朦朧としてるけど、一つ確かなことがある。どうやら『神隠し』の日に階段から転げ落ちたことで失われた記憶がまた階段から転げ落ちることで戻る、なんて都合のいい話にはならなかったらしい。
夏休みに入る前の記憶は、今の意識と一緒で靄がかかったように何も見えてこないままだ。
たださっきの夢は、同じ病院という場所が切欠にでもなったのか。
失われた記憶の一部が、夢という形で再現されたのだろう。
小学生時代のあかりちゃんとの登校を、夢で見たのと同じように。
「起きてたのね」
「……んあ?」
ぼんやりした視界に誰かが入ってくる。
長い黒髪が映える夏セーラーの女子――九門鏡子だった。
九門は澄ました顔でベッド横にある椅子に腰かける。この様子だと、ちょうどさっき病室に入ってきたところらしい。
まさか見舞いにでも来てくれたんだろうか。
「その様子だと、ひとまずは大丈夫みたいね」
「幸運なことにな」
そういえば俺が病院に運ばれたこと、母さんは知ってるんだろうか。
まあいずれ伝わるよなあ。
また余計な心配をさせることになってしまった。
「入院した経緯については天城さんから聞いたわ」
「…………」
「天城さんも貴方のお見舞いに来たがっていたけど。生憎今日もまた補習だったらしく、代わりに私が様子を見にくることになったの」
「そ、そうか。なんか悪いな……」
今日の朝のこと、あかりちゃんはどう説明したんだろう。異世界から国王が来て、異世界に誘われて、追い返したと思ったら自転車に乗って再登場して。
まさに夢みたいな現実だ。
改めてを思い返していると、何故か笑いがこみあげてきた。
自嘲気味に漏らしてしまう。
「二度と登校することはできない、か。本当に九門の言ったとおりじゃねえか」
結局また俺は学校に行くことができなかった。
ここまできてしまうと、もはや偶然では片付けられない。
偶然は異世界の国王を自転車に乗せて突撃させたりはしない。
「何を今さら。前の学校では、あれほど私の占いに依存しきっていた男の言葉とは思えないわね」
「だからなんなんだよそれ。前の学校の俺、一体何をそんなに追い詰められてたんだろうな。お前みたいなエセ占い師の占いなんかに頼るなんてよ」
「…………?」
俺を見る九門の目が怪訝そうに細められる。
「ああ、いや……」
ついこぼしてしまった言葉。
その意味をどう説明したものかと口ごもり、そして今さらながらに思い至る。
結局、例の事実を明かさないことには、それを正しく知ることはできないのだと。
過去の記憶を失ったことを隠したまま探ったところで、いつまで経っても過去の真実に辿り着くことはできないのだ。
「俺、その時の記憶が無いんだよ」
だから俺は正直に打ち明けた。
『神隠し』を境に記憶喪失になったこと。
『神隠し』の日にあったこと、さらには同じ『神隠し』の生き残りである九門鏡子や古村綾に関する情報も全て忘れてしまったということを。
「そうだったの」
俺の話を聞き終えた九門は、意外にもあっさりしていた。
「おかしいとは思っていたけどね」
「……えっと。やっぱりおかしかったか?」
「私のことを『さん』付けで呼びだした時はちょっと気持ち悪いって思った程度だけど。妙に挙動不審かと思えば急に強気になったり、あれだけ頼りにしていたはずの私の占いに関する認識や反応がいちいち不自然だったし、他にも――」
まあ俺が古村さんとの関係を言い淀んでたり、幼馴染であるはずのあかりちゃんの名前を九門に聞いたり……色々あるはずだよなあ。絡みが増えれば増えるほどボロは出るのは当然だ。
いつまでも隠し通せるはずもなかったんだろう。前の学校での俺と九門の関係が深ければ深いほど、九門にとっての違和感は募っていくはずだ。
「では……貴方と私の関係についても、覚えていないのね」
「ああ」
「そう……」
九門の見せた表情が意味するのは憐れみか、あるいはもっと別の何かなのか。
天井を仰ぎ見ると、九門はゆっくりと話し始める。
「私の家は代々、占いを生業としているわ。だから私はその修練のため、高校に入学してからは放課後になるといつも生徒を相手にした占いをしていた」
「それは部活動か何かか?」
「いいえ。けど、学校からは黙認されていたわね。堂々と空き教室を借りることができていたし、生徒に紛れてたまに先生も占いに訪れていたくらいだし」
「へえ。大したもんだな」
まあ放置したところで特に害があるわけでもないしな。
学校が絡んでるなら、さすがに金を取ったりはしてないだろうし。
「それで? 俺もその内の一人だったのか?」
ただ九門によると、俺の場合は何度も助けられるレベルで依存していたらしい。
過去の自分に関しては、記憶どころか人格すらも俺は知らない。かろうじて知ることがでたのは、かつての俺が『Bloody Sunrise』なるノートを書いていたことくらいだ。残念なことに何の参考にもならない。
そんな望月悠希は、果たして前の学校において何をそんなに追い詰められて何を占ってもらってたんだろうな。
「ええ。今でもよく覚えているわ」
九門は当時を思い出すかのように薄く笑う。
「恋占いをしてくれ。初めて会った時の貴方は、確かにそう言ったの」
そして静かに語り出した。
九門鏡子の側が知る――過去の俺の真実を。
「残念ですけど」
占いを終えた私は、貴方に正直に告げたわ。
「やはり貴方からは何も視えません。この学校で貴方が望むような縁……それが特定の誰かとの間に生まれることは無さそうですね」
「そうか」
特に残念な素振りを見せるでもなく、貴方はただそんな反応をした。
「言っておきますが、もちろん貴方がモテないからだとか、そういう俗な話をしているわけではありませんよ。恋愛なんてものは結局のところ巡り合わせにより引き合い、あとは二人の利害の一致により勝手にできあがっていくもの。それ以上でもそれ以下でもないですから」
「そういうものか」
「そういうものです。けれど、貴方には誰かと引き合う運命が……いいえ。それは人との縁に限らない。何も視えないのです。言うなれば虚無。逆に貴方がこれまでどんな過去や運命を背負ってきたのかを聞きたいくらいですね」
これまで多くの人の運命を視てきたけど、思えば正直ここまで希望の無い未来を相手に告げたのは初めてのことだったかもしれない。
いつもなら言葉を濁し、ある程度の希望を含ませるところなのに。
裏を返せば、その時の貴方の未来がそれほどまでに仄暗いものだったということかもしれません。
「別に。何もなかったよ」
しかし貴方は気分を害することもなくそう言った。
「えっ」
「何もないままに、ただ俺という存在だけが残された」
それはまるで欲を捨てた聖人のように。
「わかっていた。そんな俺が学校に通って普通の学生を取り繕ったところで、ただ何もない日々を消化するだけだということはな。恋をすれば心が熱くなると聞いたが……俺のような『紛い物』にはできるはずもなかったということか」
あるいは、感情すら持ちえない人形のように。
――という感じで九門が過去のことを語ってくれているわけではあるが。
「ちょっと待ってくれ」
そこいらで俺は口を挟んだ。
「……なに」
九門は露骨に気分を害した感じで俺を睨みつける。
「それ、本当に俺? なんか台詞回しが妙に香ばしいんだけど……」
「ええ。確か『終末の焔』とかいう組織の元エージェントを名乗っていたわ」
「えっ」
それ『Bloody Sunrise』に出てくる設定の話じゃなくて?
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