第31話 追想(共感)

 どこかの病院の、とある一室にて。


 俺こと望月悠希は今日もまた入院する古村綾の元を訪れている。

 二人はどこか楽しげに語り合う。


「望月君が魔王をこの世界に呼び出そうとしてたなんて思わなかった」

「この矛盾と欺瞞に溢れた世界、まともな神経を持ち合わせた人間なら誰しも一度くらいは人類を滅亡させることくらい考えるだろう」


 まとも……?


 そして今日の訪問者も呼吸するように痛々しい台詞を放出していた。


 とにかくまともらしい彼は語る。

 ベッドに横たわる古村綾からの、期待の眼差しを受け止めながら。


「厳密には俺というよりも『終末の焔』という組織だがな。組織は人類を滅ぼそうとしており、その方法の一つとして異世界にいる魔王の召喚を目論んでいた」

「すごい組織だね」

「荒唐無稽に思われるかもしれないが……まあ、魔王に直接お願いするために異世界に行くよりかは現実的なのかもな?」


 皮肉を込めるように言う訪問者。

 古村綾は恥ずかしそうにそっぽを向く。


「こちらがお願いするのに、呼びつけるのも失礼かなって。でもでも、その方法として私が思いつけたのが、トラックにぶつかることくらいしかなくて……」


 枕元に細い手を伸ばす古村綾。

 そこにはあるのは一冊のノート――『Bloody Sunrise』。

「赫き太陽が天に堕つる刻に人類は滅亡する」とかいう意味不明な一文で始まるあのアレだ。


「でもこの本は違う。呼び出すための手順が、ちゃんとした理論と根拠をもって、ここまで具体的に記されてるなんて」


 そういえば書かれていた気がするな。

 俺の部屋に封印されていた『Bloody Sunrise』の中に割と本格的な感じの魔王の召喚手順らしきものが。


 もちろん、現実にそんな現象なんか起こせるはずもなく――


「だが魔王の召喚には至らなかった。儀式の手順は十分なものではなく、さらなる研究が進められる半ばで組織そのものが解体されたからだ。これも今となっては子どもの落書き以上の意味は持たないな」

「そう……なんだ」


 古村綾は悲しそうに瞳を伏せる。

 続く訪問者の声もまた、諦観めいた色を含んでいた。


「……魔王の召喚など、所詮は泡沫の宴に過ぎなかった。俺が未だにこれを所持しているのは、ただの気まぐれだろう。一応は機密であったこれを、お前に見せたことも含めてな」


 うわあ。痛あ……。

 この人なんで痛々しいエピソードを武勇伝みたく語っているのだろう?


 しかし古村さんには、機密のそれを見せられたことが特別なことに思えたのか。

 照れるみたいに表情をふんわりさせていた。


「そうだ。ここにある林檎、貰ってもいいか」

「あ、うん。でも……」

「わかってるよ」


 言いながら訪問者はポケットから何かを取り出す。

 ビニールで包装された新品のナイフだった――なんか、これも見覚えあるような。


「いつも誰が持ってきているのかは知らないが……切るものが無いと食べられないだろうに」


 訪問者は古村綾のベッド近くにある台に置かれた林檎の一つを手にとると、割と手慣れたナイフ裁きでそれを八つに切り分ける。

 切り分けた林檎を皿に盛ると、ナイフもその端に置いた。


「これ、やるからさ。これからも好きなように使ってくれ」

「いいの? た、大切にするね……!」

「安物のナイフだぞ。大袈裟だな」

「そうかな……? でも、本当にありがとう」


 古村さんは何故か恥ずかしそうに笑う。

 そして話題を変えるように、慌て気味に言ってきた。


「えとえとっ、このノート。もうちょっとだけ借りててもいい?」

「ああ。別に構わないが……」


 それにしても古村さんの入院生活はどれくらい続いてるんだろう。

 こんなの読むくらいヒマだということなんだろう。

 そう考えると、少し可哀想に思えてくる。


 トラックにぶつかったことについては自業自得だし同情の余地は微塵もないけどな?


「これを見て確信した」


 それに古村さんも、病院にいるとは思えないくらいに生き生きとしていた。

 自信に満ちた口調ではっきりと言う。


「魔王を呼び出すこと、理論上は可能だと思う」


「理論、上……?」

 理論、上……?


 ここで初めて俺の感想が過去の望月悠希の言葉と重なる。

 古村綾の言葉に不穏なものを感じとったのは、果たして過去の自分も同じだろうか。





 そしてまた別の日。

 ベッドで上半身を起こす古村さんは、なんか子どもみたいに楽しそうだった。


「みてみてみてっ!」

「なんだそれは?」

「望月君の『Bloody Sunrise』を元に、私なりの考えをまとめてるの」


 そう言うと、古村さんはまた別の一冊のノートを開く。

 数ページにわたって文章や数式らしきものがギッシリと書き連ねられていた。


「この世界の滅びを願い、この世界には存在しないモノに干渉しようとする。だからこそ退廃や矛盾を象徴するものを供物として配置する。やっぱりその根本にある理論そのものに間違いはないと思う」

「ふむ……」

「問題はその供物の内容。望月君のノートでは『逆刃の剣』、『不発の地雷』、『朽ちた王冠』、『聖職者の義手』、『深き海溝の深層水』……とかいろんなものが記されてるけど、ただいずれもその入手が困難を極めたんだよね?」

「ああ」


 いつになく真面目な雰囲気で語り合う二人。

 そして今更ではあるがこの病室にはベッドが六つあり、他の入院患者もいるはずなんだけど、そこを気にする二人ではないようだった。


 気にしてくれよ。せめて当時の俺。


「でも私が思うに、もっと身近なもので十分だったんじゃないかなって。例えばベルーガのぬいぐるみ、レトロホラー映画の半券、改竄された出退勤記録、未開封の中古プラモデル、期限切れの銭湯割引券、高級食パンの耳、コーンの軍艦巻……このあたりなら、私達でも比較的簡単に手に入りそうだよね」

「確かに象徴としての条件は満たしているのかもしれないが……」

「必ずしも入手が困難だったり高価なものである必要はないと思う。それはあくまで人間側の尺度によるもので、相手には関係ないから。あと出自不明な謎の紋様でできた魔法陣。それっぽくはあるけど意味が分からないから、これは完全に省いちゃおう。儀式の範囲と領域を示す意味で、生贄を囲うように供物を配置すればそれだけで十分なはず」

「そ、そうか。やけにシンプルだな……」

「儀式の時間も修正の余地があるかな。『Bloody Sunrise』に記されていた静かな夜という発想は少し短絡的というか、本質が見えてない。例えば人が多く集まりながらの静寂。その矛盾。適度な緊張と、そこに隠された熱狂。コンサートのアイドル登場前の瞬間とか、学校だと全校集会とかで校長先生が退屈な話をしてる時とかが向いているのかも」

「……」

「詠唱する呪文……ここにあるものは間違いとは言えないけど、正しくもない。極端な話、文言そのものはなんでもいいと思う。大事なのは与えられた言葉を形だけなぞるのではく、自分のイメージを信じ、それを自分の言葉で唱えることで――」

「…………」

「あ……」


 古村さんの頬がほわほわと赤らんでいく。

 饒舌に語り過ぎていたことに気付いたんだろう。

 ごまかすみたいに「りんご切りますね……」と果物ナイフを手にとる。前にあげたものを、ちゃんと使ってくれているらしい。


 林檎を口にして一息つく。

 窓の外の太陽が明るく輝き、二人の間に穏やかな空気が流れる。


「はあ。望月君といると、また人類を滅ぼしたくなってきちゃった」

「……まあ、大したものだよ。組織の研究を元にしたとはいえ、普通の奴が独自にここまで魔王召喚のための理論を組み立ててしまうとはな」

「そ、そうかな?」


 訪問者からの賞賛に、古村さんは控えめながらも嬉しそうにする。


「でもでも……私のは、入院中に考えただけの机上の空論でしかないから……」

「そうだな。退院したら、是非いつかやってみせてくれ」

「うんっ!」


 それは最初にここを訪れた時の拒絶からは想像もつかないような。

 思わず魅入られてしまうような、古村さんの可愛らしい笑顔だった。



 それが俺が夢の中で見た、最後の光景。

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