第29話 登校(失敗)

「あ~か~り~ちゃんっ!」


 静かな朝の住宅地に俺の叫ぶ声が響く。


 天城さん、古村さん、国王、そして周りにいた他の通行人達もいきなり奇声をあげた俺に奇異の目を向けてくる。


 それも当然だろう。

 どうして急に叫んだのか、自分でもわからない。


 それでも俺は止まらなかった。


「がっこ行こ!」


 ただ天城さん――いや、あかりちゃんが。

 俺の幼馴染である少女がいなくなるとわかった瞬間、確かにこう思ったのだ。


 もう何も失いたくないと。


 幼馴染であるあかりちゃんは、俺の失われた過去そのものだ。

 あるいは俺はもう、過去の記憶を思い出すことはないのかもしれない。


 だからこそ――今ここに在る全てを大事にしたい。


 そしてあかりちゃんは、不安を抱える俺と一緒に未来を歩もうとしてくれている。

 闇を照らす太陽みたいに、今日も俺を学校へ引っ張ろうとしてくれている。


 そんなお前が――俺を置いて一体どこに行くっていうんだよ?


「ゆう……君……?」


 光の中、あかりちゃんが目を見開く。


「まったく。学校行く途中で余計な遊びに夢中になるところ、昔から全然変わってないんだな」

「あ…………」

「このままだと遅刻しちまう。そろそろ行こうぜ、あかりちゃん」


 光がだんだん強くなる。

 あかりちゃんの姿が光に呑み込まれてしまえば、儀式は完了となる。

 消えてしまう。この世界から、異世界へと。


「うんっ! ゆう君!」


 けど、そんな元気いっぱいの声と一緒に。

 光の中からあかりちゃんが飛び出した。


 心から嬉しそうに、夢で見た小学生の頃と変わらない笑顔であかりちゃんは言う。


「えへへ~。またあかりちゃんって呼んでくれたねっ!」

「う……」


 思わず目を背けてしまう。

 体が熱い。心が早鐘を打つみたいに心臓のあたりがどくどくと痛みはじめ、でも決して不快ではない不思議な感覚が溢れてくる。この感情の名前、記憶喪失の俺でも知ってるぞ。きっとアレだ。羞恥心とかそういうやつだ。


 だって今の俺、なんかムチャクチャ恥ずかしいこと言った!


「アカリ! な、何故じゃ!」


 一方、光の内側では国王が驚愕の表情を浮かべていた。

 あかりちゃんは振り返り、申し訳なさそうにする。


「ごめんなさい、王様」

「アカリ! 今ならまだ間に合う! 儂と共に来てくれえっ!」

「でも、早く行かないと、学校遅れちゃうし……」


 困ったように視線をふわふわさせると、最後に国王を真っすぐに見つめながら。


「それにね。思い出したんだけど、あたしが勝手に動いたらロクなことにならないから、何かする前には相談しなさいってみんなに言われてたの。だからまずはセレナちゃんあたりに相談してからにするね、王様」

「アカリーーーーーーーー!」


 平和な町に断末魔が響き渡る。

 こうして異世界の国王は光と共にかき消されていった。

 

 なんというか、過去最高レベルで意味不明な現象だった。


 そして――つまりこれは。

 九門の予言したとおり、また学校に行けなくなる流れになりかけていたということなんだろう。

 国王出現から派生する何らかのアクシデントに巻き込まれて。


 少し前の俺なら、どこかそれを望む気持ちもあったのかもしれないけど。


「……これでいいんだよな」

「えっ。ゆう君、なにか言った?」


 学校に行きたい。

 今では自然とそう思えた。


 過去を失った俺は、だからこそこれからの未来を精一杯生きなければならない。

 最初はそう誓っていたはずなのに、いつの間にか忘れていた。

 学校に行くことを恐れてしまってすらいた。


 それでも学校に行くことに希望を抱けるようになったのは。

 他ならぬ幼馴染――俺が記憶を失ってなおも昔と変わらないでいてくれたあかりちゃんのおかげだろう。


 そんなの、恥ずかしいから口にはしないけどな?


「よし、行くか。マジで急がないと遅刻する」

「うんっ!」


 学校が怖い気持ちはまだあるけど、 多分大丈夫だ。

 だって俺は一人じゃない。

 隣にはあかりちゃんがいてくれる。


「ど、どうして……」


 学校に向けて歩こうとする俺とあかりちゃん。

 しかし古村さんだけが立ち止まり、悲しそうに俺を見ていることに気付いた。

 その心境がどういったものなのかは、なんとなくわかっていた。


 けど、それは。


「なあ古村さん」


 前にタピオカを一緒に買ったときは結局、聞きそびれてしまったけど。

 古村さんともまた向き合わないといけない。


 人類の滅亡。

 その真意や真偽はわからないけど、おそらく古村さんのしようとしていることは正しいことじゃない。

 今の俺は古村さんの気持ちに寄り添ってあげるわけにはいかない、のだろう。


 でも、古村さんもあかりちゃんと一緒で。

 俺が過去の記憶を失ったところで、古村さんの中の俺が消えたわけではない。

 だから――俺はまた古村さんと向き合わないといけないのだ。

 おそらく古村さんのことを知り、その上で古村さんと何らかの関係を築いてきたのであろう者として。


 もちろん今は、そういうわけにはいかないけどな。

 隣にあかりちゃんがいるし、なにより学校に遅刻してしまう。


「儀式の途中で生贄を戻すなんて……私はどうなっても知らないから……」

「えっ」


 古村さんが呟くように漏らした言葉で、俺は今さらながらに気付く。


 さっき消えた国王、今までの流れだと代わりに別の何かが召喚されるはずだよな。

 今度は一体――何が出てくる?


 国王を呑み込んだ光がゆっくりと弱まってくる。

 薄い光の中で最初に見えてきたのは――自転車のシルエット。


「さっきの人が乗ってたやつだ!」


 よし!

 これで最初の社会人男性が戻ってきてくれたら、何もかもが丸く収まる!


 さらに光が弱まっていく。

 だんだんと全容があらわになっていく。



 そして自転車のサドルに跨っていたのは――



 さっきの国王だった。



「なんでだよ!?」

「ぬう! なんだこの面妖な馬は!」


 自転車に乗った国王は困惑しながらガタガタと揺れる。


「と、止まらぬ!」


 そしてそのままずるっと前進。

 真っすぐに俺の方へと突っ込んでくる。


「ちょっ!」


 そして、


「があっ!?」


 俺に正面から激突――視界が反転した。

 体が宙を舞い、落下する感覚に包まれる。ガッ、ガッ、ガガッと全身を強く打ちつける衝撃と一緒に視界がグルグル回り、最後にゴズンと後頭部が固い何かにぶつかる。


 気がつけば地面に全身を倒され、空を見上げていた。

 階段を転げ落ちたのだとわかった。

 全身が痛む。周りの音が遠のき、意識がおぼろげになっていく。


「がっ……こう……」


 無意識に虚空へと手を伸ばすも、どこに届くはずもなく。

 俺の意識はそこで完全に途絶えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る