第16話 確認
僕に《死にたい》という旨のメッセージを送ったアカウントは『A.S.』というユーザー名だった。
それからしばらくの間、A.S.からのメッセージが頻繁に届いた。
《生きていても楽しくありません》
《私はもう生きるのに疲れました》
《死んで楽になりたいと思ってます》
しかしA.S.は具体的な背景を述べることはしなかった。
語りたくないからかもしれないし、僕を信用していないからかもしれない。
いや、かもしれない、じゃないな。
信用は確実にされてない。
僕はA.S.のメッセージに既読だけを付けて、返信をすることは一切しなかった。
投稿内容に『声を集めてます』とある通り、本当に集めるだけで対応をしなかった。いや、できなかった。
例え、取り繕うことをしたとしても、だ。
《お辛いですね》とか《お気持ちお察しします》なんて、軽い返しをする気にはなれなかった。
せめて、この人が抱える苦しみのはけ口になってくれればいい、そう思った。
七月に入り、窓からの日差しに暑さを感じるようになってきた。
窓際の席であることが恨めしい。
昨日クラスで席替えがあり、窓際の一番後ろの席に移った。
駿矢とも遠いし、椎名とも離れ、周りに話し相手はいなかった。
「では、文化祭の出し物を決めていきたいと思います」
学級委員長である椎名が黒板の前でそう言った。
西高の文化祭は九月初旬、二日間に渡って行われる。
今日はその文化祭に向けての話し合い初日で、クラスの皆がやる気に満ち溢れていた。
それもそのはず。
西高は2年に一度しか文化祭を行わない。
体育祭と文化祭を隔年交互に行うのだ。
僕たちの代は去年と来年が体育祭、そして今年は文化祭が開催される。
つまり、僕たち二年生には最初で最後の高校文化祭ということになる。
皆の文化祭への熱意が、窓からの日差し以上に教室を暑くさせた。
「それと、校庭アートについて報告があります」
椎名が用紙を見ながら、一番後ろの僕にも聞こえる声量で告げる。
前述の通り僕たちに経験はないが、西高の文化祭では代々校庭アートという校庭に巨大な二次元アート作品を作ってきたらしい。
西高には大きな校庭が三つあり、最も広い校庭は駐車場の役割を担い、校舎を出てすぐの校庭には屋台がずらりと並ぶ。
そうしたとき一つだけ余らせておくのは勿体ないからそれを活かそう、みたいな理由で校庭アートは始まったらしい。
文化祭当日、北高と違い普段は封鎖している屋上をその日だけは開放して、屋上から校庭に描かれた巨大アートを眺めるのが西高文化祭の特筆したイベントだった。
しかし、今年は北高での一件を理由に、文化祭の日も屋上は開放しないと決定したそうだ。
校庭アート自体は作成するが、ドローンを飛ばして撮影した画像を、後日全員に配布するという形を取るらしい。
以上のことを椎名が伝える間、誰一人として文句を飛ばすものはいなかった。
文化祭の屋上は特別なムードを作り、人によってはそこで告白をする生徒なんかもいるらしい。
屋上封鎖を残念に思う人もいるだろうが、こればかりは致し方のないことで、不満を言ったら不謹慎になる、そんな雰囲気だった。
「次に、二日目のステージイベントです。ダンスやバンドなどのパフォーマンスをしてみたいという方は文化祭実行委員会に伝えてください」
話が変わると教室の空気が一気に弛緩した。
またワイワイガヤガヤと話し出す。
ちなみに今回の文化祭で椎名は学級委員長としてクラスをまとめるだけでなく、文化祭実行委員にも任命され文化祭全体のサポートもしていくらしい。
これは、息抜きが必要だろうな。
とことん付き合ってやろうと思った。
結局、この時間だけでクラスの出し物は決まらなかった。
今のところ、お化け屋敷と脱出ゲームで票が拮抗している。
僕は脱出ゲームに手を上げたけど、正直どうでもよかった。
「実は私、友達と文化祭でバンドやろうって約束してて、四月からずっと練習してたんです!」
「ギター?」
「いやっ、私はドラムですね」
放課後、僕は水野と二人で空き教室にいた。
作戦会議でも進捗報告でもない。
単に今日はテニス部がオフらしく、水野が《暇なら喋りませんか?》と呼びかけた。
椎名も来る予定らしいが文化祭実行委員会の集まりで遅くなるらしい。
そういえば、水野と二人きりで話すのは初めてかもしれない。バッティングセンターで一瞬そんなことがあったかもしれないが、ちゃんと二人で話す場はこれが初めてだ。
気まずくないと思える程度には親しくなったが、水野との話題が文化祭と駿矢のことくらいしかなかった。
ひとしきり文化祭の会話をして、次は駿矢の話題を僕から振った。
「駿矢とは、最近どうなの?」
そう言うと、水野は嬉しそうに近況を語った。
近頃、水野の方から積極的にアプローチをかけているそうだ。
定期的に連絡を取っているみたいで、学外でもたまに会うようにしているらしい。
それは盛ってないか? と思ったりもしたが、余計な口は挟まずにおとなしく聞いていた。
長らく喋っていた水野がようやく話を終えたというタイミングで、僕はストレートに質問した。
「水野。あのさ、本当に駿矢でいいんだな?」
冗談なんかじゃなく、僕は本気で聞いた。
水野は少しだけ驚いたような顔をする。
こんなことを他人が言うべきじゃないのは分かっていたが、僕は確認がしたかった。
何度でも言うが、水野は良い奴である。
もし駿矢ではなく、もっと普通で優しい人を好きになれば、幸せな高校生活、あるいは幸せな人生を送れると非常に勝手ながら思っている。
それでも駿矢でいいのか、と問いたかった。
僕の確認に対して、水野が誤魔化したり、文句を言ってきたりしても、それでいいと思っていた。
しかし、水野は僕の意図を汲んだようだ。
困ったような顔で控え目に笑う。
「えーっと、本当は周りから色々言われてました。駿矢先輩って良くない噂、多かったので。『なんで好きなの?』ってよく友達から聞かれたりしました。……でも、どんな噂よりも、自分の目で見た先輩を信じたいです。私は、私を助けてくれたときの駿矢先輩を好きになりましたから」
「……」
「三島先輩?」
「…………やっぱり、水野は良い奴だな」
「え、急にどうしたんですか? なんか棘のない三島先輩ってちょっと怖いですね」
「うるさいんだよ。棘のある先輩で悪かったな」
「別に、嫌とは言ってませんからね! それに私、小学生のときサボテン育ててましたし」
「意味分からないけど、そこまでトゲトゲしくないだろ。失礼な後輩だな」
水野は、どこまでも水野だった。
最初から止める権利なんてなかったけど、こんなことを言われてしまったら、もう僕の方から口に出せることなんて何もない。
水野らしいな、と思った直後、水野が急に黙り込んでしまう。
それは、覚悟を決めているように見えた。
水野らしくない、しおらしい様子で、はにかむように笑った。
「……三島先輩。実は今度、駿矢先輩に告白しようと思ってます」
その目は本気だった。
揺るがない闘志を秘めた瞳。
真剣な水野へ、僕なりのエールを送る。
「そうか、頑張れよ。水野が伝えたいことを、ちゃんと伝えてほしい」
それから僕は、心の中で水野に謝った。
…………ごめん、水野。
やめておけ、と言えないのが申し訳なかった。
駿矢は既にクラスの女子を三人ほど振っている。
恐らくはきっと、水野も同様に振られ、傷付くことになるだろう。
だからといって、断られるからやめた方がいい、とは思わなかった。
いつか駿矢と付き合える可能性があるなら、今はやめておいて関係がより深くなってから告白した方がいいのかもしれない。
しかし、少なくとも僕には、高校にいる間に駿矢が誰かを好きになれるとは思えなかった。
だったら、水野が告白したいときに告白すべきだ。
水野にどうか後悔だけはして欲しくない。
それが本心だった。
傷付くからやめた方がいい、なんて取り繕った発言が僕にはできなかったし、その言葉を水野が望んでいるとも思えなかった。
「もちろんです! 例えダメでも、気持ちを伝えるのが一番大切ですから!」
向けられたのは、濁りのない眩しい笑顔だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます