第11話 バッティングセンター





 バッティングセンターに来るのは人生で初めてだった。


 鋭い金属音が不規則に鳴り響いていて、油やゴムの混ざった独特の臭いがした。


 バッティングゲージが十レーンほど並んでいて、奥に進むと都合よく三人分余っていたが椎名と水野の二人が打席に立ち、僕は後ろから見ていることにした。


 僕がわざわざバットを握らずとも、椎名さえ息抜きできればそれでいいのだから。


 最初の一分だけ二人のバッティングを見学して、その後はゲージの後ろにあった横長の椅子に座りスマホをいじっていた。


 数分して、頭上から声がかかる。



「息抜き、昼なら付き合ってくれるって言ってたのになぁ」


「一緒に来たんだからそれでいいだろ」



 額に汗をにじませた椎名が不満げな顔をしていて、それから僕の隣に腰かけた。



「でも、ありがとう。ゆずちゃんの力になってくれて」


「巻き込んだのは椎名だけどな。まぁ、いいよ。頼まれた事が断れないんだろ」


「うぅ、仰る通り……。ゆずちゃんとは中学から一緒で、ずっと仲の良い後輩だから尚更断れなくて」



 人の頼みを断れないのは椎名の美徳であり、コンプレックスだ。

 その悩みを解決してあげることはできないが、力を貸すぐらいならしてやりたいと今は思っている。


 椎名は持参していたスポーツドリンクを口に含んで静かに喉を潤した。


 そして、ゆっくりとまた口を開く。



「八木くんの話だけどさ、実は私も思うところがあったんだ」



 僕から見た限り、駿矢は完璧にクラスに溶け込んでいたように思う。


 椎名の言っていることが気になったから、その続きを待った。



「八木くんと話してて、楽しそうに喋ってはいたんだけどね。ちょっとだけ、本当にちょっとだけね、心の距離を感じてたんだ」



 僕には椎名の言うことの意味は分かっても、その原理がよく分からなかった。


 心の距離? 普通、感じるか? 


 人と話していてそんなものを気にしたことがないのは、僕に人との関わり合いが少ないせいだろうか。


 もしかしたら常に周囲の期待の目を気にかけている椎名だからこそ、そのような機微に気付いたのかもしれない。



「だからね、八木くんって今クラスにたくさん友達がいるけど、ゆずちゃんに八木くんと親しい人を聞かれたとき、すぐに春人くんを推薦したよ」


「英語のときに余計なこと言わなきゃ良かったな」


「懐かしいね。いとこは英語で?」


「カズン」


「偉い。ちゃんと覚えてた」



 椎名が目を合わせようとしてきたから、水野のバッティングゲージに視線を移動させると、なぜかバットを寝かせてバントの練習に励んでいた。


 後輩、飽きてるじゃん。


 それにしても、椎名は駿矢に対して違和感を察知していたわけだ。


 素の駿矢に対面したことがないにも関わらず、そこに勘付いたのであれば、もしかしたら椎名なら駿矢が取り繕う原因も分かったりしないだろうか。



「椎名は、駿矢がなんであんな真似をしてるか分かったりするか?」


「えっ、クラスのみんなと仲良くなりたいからじゃないの?」


「…………いや、え?」


「ん、あれ、違うの?」



 椎名は無邪気に首をかしげた。


 そうか、普通はそうなのかもしれない。

 椎名は悪くない。決して間違っていない。


 人が取り繕う理由は他者に好かれたり、相手との関係性を深めたりするため、というのが一般的なケースだ。


 ただし、駿矢は普通じゃない。


 もっと何か、別の理由があるはずなのだが、それを椎名に説明するのは憚られた。椎名の純粋な心に悪影響を及ぼしそうだからだ。


 自分で振っておいてなんだけど、話のテーマを変えることにした。



「そういや、椎名ってなんで西高にしようと思ったの?」


「あー、それかぁ。すごい聞かれるけど春人くんも興味あったんだね。意外かも」


「今まではなかったよ。だけど期待を裏切れないって知ったら疑問に思うだろ。普通は北高に行くことを期待されるはずなのにって」


「そっか、そっか。それもそうだね」



 そう言うと、椎名はあっさりと理由を教えてくれた。



「私の両親、もう死んじゃっててさ。小さいときからおばあちゃんと二人で暮らしてるんだけど、おばあちゃん、二年くらい前から身体がよくなくて今は入院してるんだ」


 そういえば椎名が家庭の話をするのは初めてだった。


 気を遣って声のトーンを落とさないようにしていたのだと思う。


 それでも、僕は黙ってしまった。



「だからもし何かあったとき、すぐに駆けつけられるように家から近い西高にしたの」



 この世に、そんな優しさに溢れた理由の高校選びがあったのか。


 行けたらどこでもいい、なんて思っていた当時の自分が恥ずかしい。



「あと同じような理由で去年生徒会も断ったよ。大事な会議とかの途中で抜けちゃうと迷惑かかっちゃうから」



 耳を傾けて、真面目に話を聞いていた。

 その上で、僕は意地の悪いことを聞いた。



「でも期待されてたんだろ。北高も、生徒会も」


「うん、すごいされてた。だけどこれだけは絶対に譲れないって、私の人生で数少ない自分の意志を大切にできた瞬間だったと思う」


「…………やっぱり、息抜きは昼限定だな。椎名のおばあさんのためにも」


「うん、そうだね。昼にする」



 眉をさげ、申し訳なさと恥じらいの混じった顔をする。


 その一方で、僕は言葉で形容しがたいどうしようもない気持ちになっていた。


 ……それはズルだろ。


 結局、頼み事を断れないのも期待を裏切れないのも、椎名が優しすぎるからできないんだろ。


 それなのに、大事な人のためなら頼みも期待も関係ないとか。


 あまりにズルいと、そう思ってしまうほどに椎名は良い奴すぎた。


 椎名が両の手をパンッと合わせる。



「はい。もうこの話は終わり。なんかさ、いつも私ばかり話してる気がする。今度は春人くんのことを私に教えてよ」


「……そうだな。そのうち話すよ」



 椎名が知りたいなら、いくらでも構わないと思った。


 誇れるようなものが何もないから、きっと話していて惨めになるんだろう。


 それでも、見下したりせずに対等に話を聞いてくれる椎名の姿を勝手にイメージしてしまった。



「あ、終わりって言ったけどやっぱり続ける。テニス部はすっごい緩いし、顧問にも何かあったらすぐ帰っていいって言われてるから最高なんだよね」


「そうか。てっきり一年生に九十度のお辞儀を叩き込ませる熱血体育会系テニス部かと思ってた。良かった、安心したよ」


「急に何の話をしてるの?」



 それから僕たちは、さっきまでとは打って変わって他愛のない会話を始めた。


 西高七不思議の一つ、学食のおばさんの一人が元ミュランシェフという話を聞いている最中に、西高テニス部唯一の体育会系が息を切らしながら帰ってきた。



「はぁ、はぁ、あのぉ、先輩方ぁ。もしかして私がバットを振り続けてる間、ずっと二人で喋ってたんですかぁ?」



 途中バントしてたけどな。



「ゆずちゃん、お疲れ様。私自販機で飲み物買ってくるけど何がいい?」


「いいんですか? じゃあ甘い系でお願いします」


「ずっと座ってただけで一切汗をかいてない春人くんは?」


「いらないって言うしかないだろ、その聞き方」



 椎名が自販機の方へ離れていったのをしっかり確認するようにしてから水野は口を尖らせた。



「三島先輩には今日とてもお世話になりましたし、たまにバントとかして時間を稼いであげようって思ってましたけど、永遠に喋ってるんでどうしようかと思いました」


「時間稼ぎってなんだよ」



 言われたことの意味は分からなかったが、水野が拗ねているのは伝わった。



「っていうか三島先輩、一回もバット振ってませんよね? 来たからにはやってくださいよ」


「断る、野球の経験ないし」


「そうですよね、私抜きで梓桜あずさ先輩と話してる方が楽しいですもんね」


「…………」


「二人っきりでイチャイチャ楽しく」


「かっ飛ばしてくるわ」



 この後輩はあとでしばこうと思う。


 気乗りしないままバッティングゲージに入り、サイズがやや合わないヘルメットを装着してから金属製のバットを握る。


 結論として、思った以上に難しかった。


 どうやら球速が110キロあるらしく、ボールが一瞬で目の前を通り過ぎていく。バットにボールがそもそも当たらないし、当たったとしてもしっかりと前に飛ばない。


 結果、最初から最後までヒット性の当たりはなかった。


 でもまぁこんなもんだろう。野球未経験者なんだから、できなくて当然だ。


 帰宅部にとってはだいぶ良い運動にはなっただろう。清々しい気持ちで退出しようとすると、どう見ても三人分のペットボトルを抱えた椎名が入り口を塞いでいた。



「春人くん。もう一回本気でやってみて」


「あれが全力なんだけど」


「どっからどーみても脱力しまくってたよ」



 椎名は頬を膨らませて、文句を述べた。



「私、ヒットが見たい。春人くんの気持ちいいスイングを見れたら、今日は最高の息抜きになったなって思える気がするの。ね、ヒット一本だけでいいからさ」


「じゃあネットで見なよ。ヒットよりホームランの方が多分スカッとすると思う」


「ネットに春人くんのホームラン動画が上がってるの?」


「あったとして見たいか?」


「リアルで見たいな」



 椎名がそこをどいてくれる様子はなさそうだった。


 諦めて踵を返し、僕の第二打席が始まった。


 ピッチングマシンが低く鈍い音を立てながら球を投げ出す。


 放たれたボールの軌道をしっかりと見極める。


 その一球を、まずは見送った。



「せんぱーい、さすがに見逃しはやる気なさすぎですよー」



 背後からの野次は無視した。


 椎名から要求されたのはヒット一本だけ。


 次の一球。それで決める。


 ピッチングマシンから投げ出された白球にしっかりと標準を合わせる。




 多分、ここ。




 全力を込めてバットを振り抜いた。



 カキィィィィィィィィン



 激しい金属音とともに打球が一直線に昇っていく。


 そして、その先にはホームランと書かれた看板。


 とはいかず、そのギリギリ下の壁に当たって勢いそのまま弾き返った。



「おっしぃぃぃぃぃ! でも先輩、次はいけますよ! ……先輩? ボール来てますよー。おーい」



 まだ球数は残っていたが僕はバットを置き、ヘルメットを脱いでピッチングマシンに背を向ける。ゲージの後ろにいる椎名とばっちり目が合った。



「これで満足か?」


「いいね。やるじゃん!」


「…………また二人だけでイチャイチャ」


「よし椎名、その後輩をこっちにトスしてくれ。次こそホームラン打つから」


「だってさ。ゆずちゃん」


「殺す気ですかぁ!」



 バッティングセンターで流血事件を起こすわけにもいかないため、今日はその場で解散という流れになった。


 その日の夜、二人ともから律儀に連絡があり、今日一日の感謝が綴られていた。

 










 

 

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