第12話 鷺沼亜嘉都喜





 バッティングセンターの日から二週間くらい経ったある日の放課後、教室で久しぶりに駿矢から話しかけられた。


 クラスメイトには見せない、素の駿矢で。



「今から面貸せよ」



 そんな台詞を現実で言われる日が来るとは思わなかった。


 駿矢はやっぱり、不良側だろ。


 用件も言わないで帰ろうとする駿矢の後ろを、無言で付いていくことにした。


 校門を出て、ようやく駿矢が口を開いた。



「ユリ姉について、話を聞きに行く」



 駿矢は百合恵さんのことをユリ姉と呼んでいる。僕も昔はそう呼んでいたけれど、中学生になってからは百合恵さんと呼ぶようにした。


 百合恵さんの死後、駿矢の口からその言葉を聞くのは初めてな気がした。


 そして、その提案に考えるまでもなく僕は断った。



「駿矢一人で行ってくれ。……僕は、行けない」



 最近、少しずつだけど心の穴に痛みを感じる機会が減ってきた。


 百合恵さんがいない現実を、ちょっとずつ受け入れ始めている。今、百合恵さんの話を聞いたら、また痛みが疼き出すことになるのは火を見るよりも明らかだ。


 そんな僕を、駿矢は冷たい目で見ていた。



「お前が来ないならそれでいい。ただ俺は、ユリ姉の死んだことについて、もっと考えるべきだと思ってる。俺も、お前も」



 考えてない訳じゃない。

 考えると苦しむから、考えたくないんだ。


 そう言おうとしたが、駿矢相手には言えなかった。


 僕と同じかそれ以上に、駿矢が百合恵さんの死を悲しんでいると分かっていたからだ。


 駿矢の目は揺るがず、真剣そのものだった。


 仕方がない。

 僕だけが逃げるのは、卑怯だと思った。



「…………分かった。行けばいいんだろ」



 ぶっきらぼうに僕はそう言った。


 仕方なく同行することを伝え、駿矢がさっき言ったことで疑問に感じていたことを問う。



「ところで、誰に話を聞きに行くんだよ」


「これ先に教えると、お前絶対来ないから言わなかったけど、今から亜嘉都喜あかときのところに向かう」



 やっぱり引き返そうかな。

 もう既に憂鬱な気分だった。






 バスに乗って移動し、とあるマンションの前に着いた。


 ここの最上階に今は拠点を移したらしい。


 それを駿矢が知っているのは、奴が駿矢のことを高く買っていたからだろう。


 エレベーターで最上階に向かい、一番奥の部屋にいる、と駿矢が伝えた。


 嫌な緊張感が走る。


 僕らがその部屋の前に着くと、勝手に扉が開いた。自動で開いたのではなく、中から人の手によって開けられたようだ。


 ドアの影から大柄な坊主の男性が出てきた。


 ギロリとこちらを睨むと、彼は何も言わずに僕らの横を通り過ぎていく。


 その人をどこかで見たことある気がしたが、思い出せなかった。


 オートロックのドアが勝手に開いてくれたため、ドアが閉まる前に駿矢が扉を押さえつけて中に入り、僕も続くようにして入った。


 玄関の先にあるドアを駿矢が乱暴に開く。


 部屋全体に散りばめられた色が赤、青、黄、黒と様々で統一感のない空間だった。


 その中心に、長髪の男が不敵な笑みを浮かべてキャスター付きのチェアに座っていた。



「やあ、てっきり一人で来るものかと思っていたよ。連れ人は、おや、三島春人じゃないか。顔を合わせるのは中学以来になるかな」



 僕も駿矢もその挨拶を無視した。

 僕たちは年下だけど、こいつに抱くような敬意がまずなかった。


 鷺沼さぎぬま亜嘉都喜あかとき。中学時代、僕たちの一つ上の代にいた問題児。


 北高に進学したが、いくつもの問題行動を起こして一年前に退学処分をくらったと聞いている。 



「特に長居するつもりはねぇから、さっさと結果だけ教えろ」


「まぁ、そう言わずにゆっくりしていってくれ」


「チッ」


「随分と荒ぶっているじゃないか。……それにしても、今回の件はたとえ君に依頼されずとも私が勝手に調査していただろうね。栢本かやもと百合恵、この地域の同世代で唯一、私と同じ水準にいたかもしれない才ある人間だった」


「お前とユリ姉を一緒にするな。殺すぞ」



 苛立っている駿矢に対して、亜嘉都喜は余裕をみせるように微笑んでいる。



「労いの言葉が一つくらいあってもいいんじゃないか。なにせ私はもう北高の人間じゃないからね。これが結構苦労したんだよ」


「退学なったのは完全に自業自得だろうが」


「おっと、それは違うよ。私の溢れんばかりの才能に恐れ慄き、追放する選択しか取れなかった教師どもが悪いのさ」



 亜嘉都喜に関する噂だと、文化祭で自作の花火を打ち上げたり、実験室の蛇口からガソリンを出すようにしたり、学外の繁華街で大量のドローンを飛ばしたり、それはもう切りがない。


 実際のところは知らないが、多分亜嘉都喜のことだから妥当な退学処分だろう。


 なぁ、椎名。

 椎名のやってる素行不良なんて可愛いもんだぞ。


 真の悪は、亜嘉都喜のような人間を指す。



「正しい情報を得るためには複数の証人と現場検証が欠かせない。聞き取り調査したり学校の屋上に侵入したりして想定よりも時間がかかってしまった。あ、そうそう、ついさっき帰った彼はその調査の協力者さ。北高の野球部キャプテンでね、栢本百合恵にゾッコンだったらしい」



 そう言われて思い出した。


 百合恵さんのお葬式に大声で泣き喚くデカい坊主の人がいた。葬儀中ずっと喧しくて、鬱陶しいなと思っていた。


 亜嘉都喜は「まずは情報を整理しよう」と椅子から立ち上がり、部屋の壁にあるホワイトボードに文字を書き込んでいく。



「4月18日、栢本百合恵は昼休みに屋上から落下して死亡。元々、北高では昼休みに屋上を開放していて、私が在校していたときもそこで昼食を取る生徒は多かった気がするね。そして、その日も例外なく多くの生徒たちが屋上でご飯を食べていたらしい」



 亜嘉都喜は淡々と語る。




「そんな中、友人と一緒に弁当を食べていた栢本百合恵が風で飛ばされたハンカチを拾うため屋上の柵まで近づき、しばらくそこに立ち続け、その後突然にして落下したらしい」



 百合恵さんがどういう風に死んだのかを僕は知らなかった。


 そういう詳細に僕は今まで耳を塞いできたから。



「警察は彼女の身辺調査を行い自殺する要因はなかったとして事故死という判断を下した。たまたま吹いた突風にバランスを崩された、とかなんとかを理由にしてね。学校側もまた、自殺より事故死として処理した方が都合良かったんだろう」



 この辺りでは北高出身というだけで泊があった。そんな名誉ある北高から死者が出たとなったら、そのときの原因は極めて大事になるだろう。


 事故か、故意か。


 亜嘉都喜の言い方は、既に答えを言っているようなものだった。



「結論から先に言おう。栢本百合恵は100%自殺だ。私の調査結果だから間違いない」



 駿矢の目に力が籠もった。

 ホワイトボードに刻まれた『自殺』の二文字を睨みつけている。



「現場に行ってみたけどね、余程の突風が吹いたとしても一メートル以上ある柵を越えて体が外へ投げ飛ばされるなんてことは計算上ありえない。また、当時その場にいた人間たちを嘘がつけない状態にさせて話を聞かせてもらった。栢本百合恵は誰かに突き落とされたりせず、一人で柵を越えたようだ」



 妙に不穏な用語が聞こえたが気にはしない。

 こいつは亜嘉都喜だ。

 今は余計なことを聞いている場合ではなかった。


 亜嘉都喜は『自殺』を赤い丸でくくってから再び椅子に座る。



「さて、事故死か自殺か他殺か明らかにしろ、というのが君からの依頼内容だったね。依頼料はそこのテーブルの上にでも置いといてくれ」



 亜嘉都喜は、中高生、時々大学生や社会人から依頼を頼まれては、自分に興味関心のあることだけを引き受けて金銭をもらっている。


 駿矢は舌打ちをしてポケットから万札を取り出した。



「八木駿矢。君がもし私の助手になってくれるのなら、九割まけてやってもいいんだよ」


「死ね」


「こんなサービスは君ぐらいにしかしていないというのに。まったくもって残念だ」



 激しい音を立ててテーブルにお金が叩きつけられる。


 これで駿矢の用はなくなり、僕にはそもそも用がなかった。


 さっさと帰ろうとする僕たちを亜嘉都喜が引き止める。



「待ちたまえよ。この私が気付かないとでも思ったかい?」



 意味深長に、亜嘉都喜は言った。



「八木駿矢。君は、動き出しているんだろう。一体なにが目的なんだい? 君の愛する栢本百合恵はもう死んでしまったというのに」


「どうせお前はそれも勝手に調べ上げるんだから話す意味がないだろ。じゃあ帰るわ。あと死ね」



 そうして駿矢と部屋を出た。

 もう二度とここには来ない、そう思った。



 



 互いに一言も発しない帰り道、先に沈黙を破ったのは横を歩く駿矢の方だった。



「悪かったな」


「……別に」



 流れる空気感に耐えられなくて次は僕から話をしようとしたが、先程の亜嘉都喜の問いと部分的に被っている気がして言葉が上手く紡げなかった。



「答えなくてもいいんだけどさ、駿矢が最近、クラスメイトに対して、その、あれじゃん」


「目障りか?」


「そうじゃない。単純に、理由が知りたい」


「…………必要なことなんだよ」



 それは駿矢の中での答えなんだろうけど、あまりに言葉が足りなくて結局駿矢が取り繕う理由は分からず終いだった。


 そのとき、鼻先にぽつりと水滴が落ちる。

 駿矢は憂うようにして、雨が振り始める空を見上げた。



「なぁ、春人。ユリ姉がどうして死のうとしたか、その気持ちがわかるか?」


「……僕なんかにわかる訳がないだろ」



 完璧な百合恵さんの気持ちを、何の取り柄もない僕がわかるはずなんてない。


 次第に雨脚は強まり、硬いアスファルトと僕たちを濡らしていた。





 






 

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