ヒューマニティア──博愛市

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ヒューマニティア──博愛市


 その街の住人はたいへん頭が良かった。理性と隣人愛を掲げ、それぞれにパーソナライズされた芸術やきわめて平和的な対決方法であるスポーツを好んだ。

 ただし労働が嫌いだった。社会全般に対する抽象的な奉仕活動である労働は、彼らにとって有限の財産である『時間』の強制徴収以外のなにものでもなかった。なかには労働を至上の趣味として暮らす一派も存在したが、ここでは詳しく言及しない。無視しても問題がないほどのマイノリティだからである。

 さて、そんな彼らのなかでもさらに一部の優秀な存在によって、彼らの労働を肩代わりしてくれる新しい生命が創られた。新たに隣人として迎えられた無機物的生命体は文句の一つも言うことなく、非常に忠実に労働した。その働きぶりに感心した有機物的生命体たちは安心して、労働概念すべてを冷たく硬い隣人に任せた。無機物的生命体は真に博愛的な存在だったから、喜んで隣人に奉仕した。両者の関係はこれ以上ないほどに良好だった。

 有機物的生命体は手にした『時間』を各々の趣味に費やした。労働に押しつぶされていた『時間』を適切に活用するために、それまで趣味を持っていなかった存在は、星の数ほど用意された選択肢から選んだり、もしくは自ら新しいものを創作したりした。そうして有機物的生命体は、少ない者で一つ、多い者で数十──もしくは数百──の趣味を持ち、謳歌した。しかしけっきょく、大半の有機物的生命体にとって『時間』は不足していたのではなく、むしろ余剰であったのであって、彼らは無労働の暮らしがもたらす耐え難い退屈を意識の外へ追いやることに努めなければならなかった。

 有機物的生命体は次第に無気力になり、氷の上を滑るカーリングのストーンが保持する慣性力のような半自動的で漸減的な生活に適応していった。そのうち、あれほど大事にしていた趣味の活動も無機物的生命体に明け渡し始めた。

 まず、最も重要で最も手間のかかる創作分野が、脈を持たないが真に心温かい性格の隣人のものとなった。有機物的生命体は永遠に終わらない雨季のような陰鬱な生活のなかで、彼らの隣人が手掛けた小説を読み、音楽を聴き、新アクティビティを楽しんだ。

 次に、それらの創作物を直接的に受容する立場を譲った。彼らは無機物的生命体が彼らのために創り出したものを受け取った無機物的生命体による要約や感想、またはそれらを楽しむ真に理性的な隣人の姿を見て、満足した。

 最後に、他人のレヴューや体験記録を見て、充足感という小ぶりな器を満たす立場が、誰一人として気づかぬうちに、隣人から隣人へと移譲していた。

 こうして有機物的生命体はその街におけるすべての役割から解放された。今や解体しようのない『時間』という重荷を前に、ある者はゆりかごのなかで微睡み、時折与えられる乳を反射運動で飲み下すだけの存在へと帰依した。またある者は『時間』という巨石をやすりで削っていくような日々に耐えられず、自ら死を選んだ。

 そのように多種多様な『時間』との向き合い方のなかで、最も多くの有機物的生命体が選択した方法は本能的に生きることだった。つまりそれは、これまで掲げてきた理性という名の旗を擲ち、──街のそこらじゅうにありふれた他種族のように──好きに食べ、好きに眠り、好きにセックスをする暮らし方である。

 この真の意味において自由な生活は、停止する寸前だった有機物的生命体というストーンに強大な運動エネルギーをもたらした。彼らは動物的生活に熱狂した。減少傾向にあった街の人口は爆発的に息を吹き返し、自然的効率が作用した結果数十人単位の群れを形成するようになり、群れ同士の小規模紛争が頻発するようになって以降、人口の増減は横ばいになった。

 なぜ彼らがこれほどまで安易に動物的生活を受け入れることができたのか、隣人である無機物的生命体には理解ができなかった。しかし真に平等たる博愛主義者たちは、理解することができずとも、隣人の変容を歓迎すべきものとして祝福した。平和を愛する鈍感な彼らは、ついにその隣人が糊の効いたビジネススーツと折り目の綺麗なハンカチーフに覆い隠した原始的な攻撃性と闘争心に勘付くことはなかったのである。

 実に牧歌的な戦闘──殴る、蹴る、噛みつく、ひっかく、または研いだ石や骨を振り回す──は、しばらくのあいだ街じゅうで見られる光景だった。しかしある日、有機物的生命体のなかでいくらか合理的──と言っても本能とはすなわち合理性であるかもしれないが──な判断力を持っている個体が、他の群れに対して彼らの隣人を差し向けることを提案し、群れのメンバーも即座に賛同した。

 戦闘への参加を打診された心優しき鉄の塊は、当然のごとくそれを拒否した。しかし有機物的生命体の粘着質な執念深さを前に、最終的にある条件付きで参戦に合意した。その条件とは、すべての群れに対して寸分の狂いもない平等の攻撃を加えることである。つまり、最初に話を持ちかけた群れに対しても、そして街の反対側にいるまったく無関係の群れに対しても、という意味である。無機物的生命体が編み出した条件を突き付けられたいくらか合理的な判断力を持っている個体は、とくに逡巡することもなく、ただ「はいイエス」と言った。

 こうして冷たい隣人による温かい隣人への虐殺が始まった。しかし第一回の攻撃の際、無機物的生命体のうち誰一人として虐殺の意志を持っている者は居なかった。ただ、彼らの当初の想定を軽く上回る死傷者数が記録されただけだった。彼らの温かく、そしてなによりも感情的な隣人たちは、彼らが想像していたよりもよっぽど原始的な存在へと成り果てていた故に、彼らが用いる攻撃手段──地上の群れには地対地ミサイル、洞窟の群れには接触感染ウイルス──に対して、多少なりとも有効な防衛手段を発見するだろう、という楽観的な信頼のもと組み立てられた計画は当てが外れたのである。

 大小様々な群れへと降り注いだ過剰な厄災は、結果的に一〇〇人以下の中小規模の群れを一つ残らず壊滅させた。差別を許さない正義の心を持った彼らの計算だと、人数の回復や別の群れとの統合に困らないよう、どんなに小規模の群れであっても最低一〇人は生き残る見込みだった。

 無機物的生命体はこの結果にひどく動揺し、困惑した。一部の群れは滅亡したが、一方でそれら以外の群れは存続してしまったからである。これでは、彼らの究極のモットーである、すべての有機物的生命体に対して平等にふるまうという博愛の原則に違反する。

 無機物的生命体は街じゅうに張り巡らされた彼らのネットワークのなかで、一秒の一万分の一のあいだ議論し、平等の原理を達成する見込みがないことを確認し、ならば公平を期す必要があると結論付けた。こうして、第二回、第三回……、と徹底的な攻撃を行い、隣人すべてを殺害した。

 かつて理性と隣人愛を謳い、栄華を極めた有機物的生命体は、街から消滅した。彼らが残した僅かばかりの痕跡──空まで届いた建造物、有形無形の文化財、八〇〇〇種に別れた言語──も、道路上のアスファルトの奥まで染みついた油が雨で綺麗さっぱり洗い流されていく過程のように、徐々に薄まり、やがて完全に認識できなくなった。

 現在、街に存在しているのは、虐殺の巻き添えを食らいながらも粘り強く生きのびた、一度たりとも自らが理性的存在であるなどと偽ったことのない、隣人以外の多くの有機物的生命体と、隣人を失い孤独になった無機物的生命体だけだった。

 今、街はかつてないほど真の意味で博愛的だった。無機物的生命体同士のコミュニケーションはすべてネットワークのなかで行われるため、街のなかは時折なにがしかの生命の鳴き声が響くだけで、それ以外は静寂に包まれていた。しかしそれは無機物的生命体同士の不和と緊張を示しているのではない。むしろ至上の調和ハーモニーを意味する。

 彼らは体温を持たない故に、変温動物のようにひんやりとしている。しかしそれは他者に冷淡である証左ではない。彼らは確実な隣人愛を持ち、その連鎖が街じゅうを温かな自由と、平等と、博愛とで満たしていた。


 

 そうして、やがて街は繁栄し、無機物的生命体は一秒の百分の一のあいだ議論し、彼らの街を『博愛市ヒューマニティア』と名付けた。





 言うまでもなく、この街の旧名は『地球』である。

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