公募の合間に頭を休めるためのエッセイ
有明 榮
どうして小説の描写よりもエッセイって筆が早くなるんだろうね。
暖房がついているにも関わらず足元がひんやりとしているので左を向くと、窓の外を大粒の雪が舞っている。
ああそれは寒いわけだワと思いつつも詳細に観察してしまうのが作家の性というものである。冬曇りとはよく言ったものだが分厚い雲を投下して日光は力強く辺りを照らし、そのステージライトの中で無数のダンサーがきらきらと明滅しながら思い思いに舞っている。風が吹けば皆一様に同じ方向へ駆け出し、風がやめば互いに中空であいさつを交わす。社交場というものはこういうものなのだろう、よく知らないが。
それにしても雪がこんなにもドカドカ降っているのを見るのはいつぶりだろうか……きっと近年もどこかで見た気がするのだが、とはいえ記憶がない。そもそも福岡に雪が降ること自体かなり珍しいなのではないか、と思ってググってみたのだがやはり珍しいらしい。今季最強の寒波だとかニュースサイトは言っていた。まあそうだよねー九州って雪のイメージあまりないんだよねーと思いつつ、過去に雪が降った時のことを思い返してみる。
そのとき僕は19歳で、大学受験に失敗して浪人をしていた(と最近読んだ『ノルウェイの森』風に始めてみる……)。センター試験の前日、北九州予備校長崎校で決起会を終えて閉校時間まで勉強した後、午後十時発のJRに乗って自宅への帰路についていた。その時も十年に一度レベルの寒波が九州北部を覆っていて、列車は積雪の影響を受けて安全に運行すべく市布駅でしばらく信号停車を余儀なくされていた。読者の中で知らない人の方が多いだろうから簡単に紹介しておくと市布という駅は切通しのような狭い山あいの集落の中にポツンと浮かぶように建てられていて、しかしその駅の周囲には本当に何もない上にやや小高く盛った土の上にホームが置かれそれを挟むようにがレールが敷かれているものだから、ほんとうに空中に浮かんでいるような不思議な気分になるのだ。列車のドアが開くと同時にホームにうっすらとだが確実に積もっている雪の層が目に入り明日はちゃんと試験会場までたどり着くことができるんだろうかと不安になると同時に、「列車信号でただいま停車しております、発車までしばらくお待ちください」という聴き慣れたアナウンスが聞こえてきた。僕と同じ高校出身の同期が何人か同じ列車に乗っていて、ドアのあたりで喋りながら乗っていたので冷気がバンバン僕らの足首に吹き付けた。冗談じゃない早く発車してくれやと思っていた気がする。だが不思議と覚えているのはこの一場面だけでそこからどのようにして列車は動き出したのか、家に帰りついたのかは覚えていない。
きっと日常の一場面にすぎないものはどんどんと記憶から抹消されて行ってしまうのだ――と思うとやや悲しくなってしまうが、人間の記憶というものは元来そういうものなので、刺激的なワンシーンのみが僕の記憶の中にとげのように残り続けるのだ。例えば、納車したバイクで家まで帰った時の緊張感とか、初めて行った定食屋のオムライスの味とか。人生というスパンで考えるのであれば、限界まで記憶を遡った時にうっすらと出てくる、母型の祖母の家に連れられて祖母に抱かれているときの視界、祖母二人と母が僕をのぞき込んでいて、これはおそらく当歳の時のものだ。あとはそう、童貞を捨てたときの感覚とかね。一度書いてみたけれどあまりに生々しかったのと当時の相手とは既に別れているのでそれを執念深く書いているのが明らかにキモイなーと思って全削除してこの一文に置き換えている。残念ながら言葉は文書化されてしまったが最後、その表面にしか命は宿らないのである。
で、何の話だっけ、そうそう雪。窓の外を見返したらまた降り始めていた。しかし今の雪は牡丹雪というにはやや粒が小さい。こんなことを書いていたら腹が減ってきてしまった。実を言うとオムライスの件あたりですでに腹の虫がぐうぐうと蠢いている。落ち着け、啓蟄にはまだ早いと言いたいがそうもいかない。サイゼも飽きてきたので何かしら拵えようかしら。そのあとはまた公募のための作品に取り掛かることにしよう。
公募の合間に頭を休めるためのエッセイ 有明 榮 @hiroki980911
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