第10話 皆でゴミ拾い大作戦!


『……と言うわけで、コイツが近頃街を騒がせていた猿を陽動していた諸悪の根源だ』

 片手をスーツのポケットに突っこんだまま、拡張器を手に淡々と虎之助は語る。モトイは、虎之助さんってこういう役回りに置かれるの、好きじゃないと思ったけどそうでもないのかな? と認識を改めているところである。

 隣に佇む店長も虎之助から拡張期を奪って、ただでさえ大きな声なのでハウリングさせながら演説する。

『エキセントリックマッドサイエンティスト、埖大育博士だッ! どうやら彼は個人でやってる発明家らしい! 今回はその発明が暴走した結果を役所にも報告せずに隠蔽しようとしていたようだ! なんて卑劣な科学者だッ!』

 埖博士は口を尖らせて縛られたままふんぞり返っている。

「うるさいやい! 私は猿とすこ~しお話ししただけだ、ちょっと哲学的な」

「ふざけるなーッ! お話ししただけで猿がこんな街でめちゃくちゃするかーッ!! どう考えたって悪魔のささやきでもしただろうがーッ!!」

「民衆の中にポエマーがいるな」

 博士は淡々と言った。一人の怒号を皮切りに次々と鋭く不満と批判が飛び交っていく。

「ウチの店の売り物をあいつら、勝手にパクって持って行きやがった!」

「ゴミ袋も中身漁るし、毎日のように散らかされてて、ほんっと最悪!」

「猿が頻繁に現れるから、子ども達を安全に外で遊ばせられないのよ!」

「えっ、そんなやべーコトになってんの? うはは、猿やべー!」

「何で他人事なんだ!? コイツ本当に人間か!?」

 さすがのモトイも声が出ない。なんだか街の空気が煤けるようにヤバい感じになっている、それだけは感じ取っていた。ビリビリと肌に感じる住民達の殺意がモトイにも突き刺さるようだった。

 しかしそれでも博士はおどけることを辞めはしない。どこに真実も、本性もあるか解らない不気味さで、彼はふん、と鼻を鳴らした。

「人の秩序は何のためにある? 誰のためにある? ゴミが散らばってるなら拾えば良い。危険があるなら避ければ良い」

「さすがにサイコパス?」

 住民のドン引き顔が並んでも博士は動じない。彼は粘つく顔で笑う。

「猿からの侵略戦争に人類はどう対抗するのか? 自然を排除する? 徹底的に応戦するのか?」

「ねえ、コイツなに!? 変態!?」

 耐えがたいと誰かが叫んだ瞬間に、虎之介が大きくため息を吐いた。

「――詭弁と論点ずらしがお得意だな。聞け! 民衆ども! 元凶はこいつだが、同時にこのゴミカス博士の発明が無ければ猿は安全に捕縛されないところまで来ている。何せそこの蛇にそそのかされて知恵の実を口にしてしまったからな」

「えっ? ゴミカス? 俺のミドルネームにはカスはついてないかも。それにしたってこの街は詩人が多いな」

「その上たちが悪いことに、こいつの技術がなければ対話が不能で、猿はいつまでも納得して山に帰らないときた」

 そこで虎之介は拡張器を店長に渡す。店長は大きな笑顔で博士の隣にしゃがみ込み、その耳に拡張器をあてるとキンキンとハウリングさせながら爆発した。

「つまり!! このままでは街はゴミまみれで荒らされ続け、いたちごっこで治安も悪くなっていく!!」

 耳で受け止めた暴力に、博士は無言でちーちゃんアイに晒されたモトイのような無邪気に渋い顔をした。

「我々で、猿対策を兼ね街の清掃までやってしまおうではないか!!!!」

「俺今なにも聞こえてないからね。鼓膜破けたからね」

「どうしてこのオッサンが悪いのに俺たちが清掃しなきゃならねえんだ!?」

「そう! おかしい! コイツ一人にやらせちゃダメなの!?」

 それらの声にモトイは思わず一歩踏み出す。

「誰が悪いとか、誰が悪くないとかじゃないばー! お猿さんは元々山で食べるものが無くて困ってた、それを博士がなんでないのかを教えた。でも街が荒れた後に、責任の押し付け合いしても意味ないがよー!」

「建設的ナ意見ヲ交ワシ合ウ姿コソ、人間ノ在ルベキ知恵ッテワケ!?」

「ちーちゃんがどうして怒るばー!?」

「ハア、つまり、コトが起こった以上誰を責めようが誰に押しつけようがそれは何にもならないって坊主は言っている。ガキに諭される大人で良いのか? まあ、だからこそ大人は溜飲を下げるために悪徳も知恵で包むわけだが――」

 虎之介が小さく笑う。何かを察したように、サッと博士の顔色が、そこで初めて変わった。

「人間は己と同じ目線でものを見たとき初めて対等になれる。つまり俺たちがこのゴミカスの視点に下がったら良い」

「おいやめろ」

 店長が虎之介と博士の間に立った。

「埖博士!! 貴方のしたことはただの――不法投棄をそそのかすだけの不良行為だーッ!!」

 それを聞いた瞬間に、博士が無表情で固まる。

「つまり実験だの哲学だの、屁理屈を崇高に捏ねているだけで、やってることはただの社会不和を呼び込む犯罪だ。実行犯が猿だから裁けないだけ」

「ぐぬぬ」

「……ようするに博士はきっと『こうしたかった』のさ、街のゴミ問題にもっと関心を持ってほしい、その問題提起を私がになってやろう!」

「自分を犠牲にした、社会提起ってわけだな!!」

「クッッッソつまらねぇ!!!! やだー!!!!!! 私の行いが美化されていくーッ!! イヤーッ!!」

 縛られた身体をぐねぐねと動かしながら悶絶し出した博士を虎之介だけがせせら笑う。博士の苦しみポイントは、モトイの目にさっぱりわからない。

「なあこいつ本当になんなんだ!? 思考が人間の方向いてないだろ!」

「ありがとう博士! アンタのおかげで街が一致団結して、社会がよりよくなった! 福祉活動お疲れ様! とでも言うのが一番このゴミが苦しむ展開になる」

「いや、ちょっと解ったけど解りたくねえ! それが理解できたあんた達も何なんだ!?」

「ほら! キミたちも鬱憤晴らさなくていいのかッ!? 暴言や暴行を加えずとも人を苦しめることが出来る絶好の機会だぞッ!」

「ロジックの狂った変人しかいないのか?」

 レイヤーの重ならない会話がズレながら進んでいく。遠目から見守っていた玲が何事か納得したように目を細めた後、声を張り上げる。

「ありがとう博士! おかげで相容れない敵とも一時休戦できそうだ」

 その隣で白けた顔をしながらも、皮肉に頬をゆがませるマミヤも続いた。

「ああ、そうだね。玲さんの言うとおり、私たちは人生初めて、貴方のおかげでお互いをわかり合えた気がするよ!」

「あああああああ」

 コツを掴んだ住人から、博士に向かって「綺麗なお言葉」が捧げられていく。

「ありがとう博士! ゴミをポイ捨てすることの本質を理解した!」

「博士、ありがとう! アンタのおかげで猿について最近ずっと考えてるよ! 環境問題も大事だよな!」

 ありがとう、ありがとう、ありがとう博士! 皮肉と悪意を優しく包んだ感謝の言葉が博士を取り囲むように降り注ぎ、博士は地獄にゆでられている魚のようにもだえ苦しむ。一種の異様な光景にモトイは呆然としていた。

「モトイ、ちーちゃん完全ニ理解シタ! 人間ハ共通ノ敵ヲ得ルト、心ニ崇高ナ意思ヲ掲ゲルノダ!」

 隣でちーちゃんが腕を組んでウンウンと納得している。モトイはまるでこの展開についていけていない。それでもようやく振り絞るように返事をした。

「……ちーちゃんの言ってる共通の敵って、埖博士のことー? 博士は味方だよー……たぶん……」

「博士の哲学は人類の叡智! 体張った問題提起って、最高ー!」

「やだー!!!!」




 イベントの準備は着々と進んだ。虎之介の仕事への着手がとにかく早いことがこのスピード感を生んでいる。自治体役所に商工会の調整、地域の協力も見事取り付け、ゴミ拾いイベントの正式な後援を獲得し、各団体と連携して清掃用品の確保、参加者への説明まで整えている。店長に面倒をすべて押し付けられたのにサラリとした顔でこなすから、あまりに無駄の無い手際の良さに手伝いを申し出た百名が隣で戦慄していたレベルである。

「やるなら徹底的にやるべきだ。何事も手を抜いたところから瓦解するもんだからな」

 当人はまるで気にしていない。いつもの飄々とした態度を崩さずに、虎之介は書類をひらひらと揺らしていた。


 いつも通りちーちゃんと並んで、モトイはウキウキとした顔で街を見渡している。清掃活動の準備は着々と進められていた。参加者の割り振りに、回収するゴミの分別。清掃範囲の決定、必要な道具の手配など、イベントに向けて細かい調整が行われている。モトイも地元沖縄でずっとこういった清掃活動に参加していたから、「プロ」視点からアドバイスもしたのだった。

 こうした活動の手間暇も、モトイにとっては醍醐味で、どこか浮ついてソワソワとするような空気が、お祭りににていて好きだった。

 百名経由で薔子手製の華やかなイラストポスターや、チラシ配られ商店街に貼られている。小さな男の子が『ぼくもおそうじしたい!』とそれを見て無邪気に指を指す。学生服の若者達も思わず目をとめるほど、ちょっとした関心を集めている。イベントへの期待が、街全体で高まっているのが解って何だかモトイまで楽しくなってくる。

 ――何を隠そう、あのポスターにはこう書かれてある。だからこそ誰もが目をとめないでいられない。

 『ゴミの中にこそ宝の山が眠っている』

 「……だから人はその中から、必死にきれいなものを見つけたがる。それは死に物狂いの冒険。それは生き地獄のような現実。ひとかけらの軌跡こそが真の光であると、たとえばそのように」

 生前インタビューで語られたという五月女萩の言葉。

 「みーばるちゃん?」

 いつの間にやってきたのか、モトイの数歩後ろに立つ新原はモトイを見上げる。彼女は無表情で、だけど唇をもぞもぞと動かす。

「花城君は、ゴミを拾う時に、宝物は見つけたことある?」

 モトイはきょとんと新原を見返す。そしてすぐに破顔した。

「そうだばー……海が、きれいになる瞬間さー!」

 新原は停止するように止まって、ぎこちなく唇をゆがめる。

「じゃあ、次は街が綺麗になったら、宝物になる?」

 モトイは頷く。

「きっと新原さんが、花壇を大事にしてるのとおんなじ気持ちになるさー」

「……ずっと気になってた。花城君は、そもそもどうしてゴミ拾いしてるの?」

 新原はじっとモトイを見る。モトイはコレまで何度も聞かれてきた質問を、それでも呆れることすらなくまっすぐ受け止めて、静かに言った。

「使命があるんだ。考えたことで、これが、おれにできることだからねー」



 あらかたの清掃が一段落したあたりだった。

「ほんとに猿が来るとかねえ……」

「かしこザルでしょ、人間の言葉がわかる?」

「いや、どうやら猿の言葉でやりとりしてたらしいぜ、あの博士」

「長い間バナナを通貨にしてたから、街でバナナ買ってバナナで本を買おうとしたって、見た人がいるんだって」

「博士が?」

「いや、猿が」

「逆の方がまともに見えるの、何?」

「え? 何の話? 移動式バナナの叩き売り?」

 フワンとした空気、妙にざわつくのは緊張と恐怖が入り交じった、だけどゆるい空気。というのも、猿が出没するはずの時間になってもやってこなかったからである。三十分がすぎたころには、縛られて中央に鎮座した博士にトゲトゲしい視線と舌打ちが降り注いだが、博士はそうなると余計にふざけるので、直後には虎之介による善意と感謝の鞭が打たれる。今日も今日とて感謝を受けてはぐねぐねと悶える博士に、適応力のありすぎるモトイはなれてきた。隣で百名と新原は怯えたような顔つきで引いているが。

「ちーちゃん、パワーアップモード! マダ!? ちーちゃんのヤル気、ムダニシナイデヨネ!」

「そのドラム缶、めちゃくちゃ喋るよな」

「顔のモニターで表情変えるの、あれみたい。配膳ロボとか……」

「ちーちゃんは、お掃除ロボットらしいばー」

「それそいつの自認だろ? 与那嶺姉の話では違うんじゃなかった?」

 カラン。

「自分が何者かって、自己定義するのが大事じゃないですか? 百名先輩はお兄ちゃんじゃないの?」

「……おー、いいこと言うな。ルイたんは毒舌の内弁慶なチキン哲学者だもんな」

 からんからん。

「……なに? 急にバカにしてる」

 カラン。カランカランカラカラカラカラ。

「ムムッ!? アンノウン猿発見ッ! ちーちゃんターゲットロックオン!」

「うおっ!? まぶし!」

「……ねえ、このロボ、毎回ちょっと光源きつすぎ」

 ちーちゃんは真っ昼間でもお構いなしにとても明るい。例えると、真っ暗な学校のグラウンド、野球部が使用するライトだけが異常に輝くアレである。

「つか今猿でたって言った?」

「アンノウンモンキー!」

 ピカピカと転倒するかのようなちーちゃんの輝き。その声と明かりに反応するように引っ掻くような威嚇が空に響き渡るように重なる。

「ギャァァァ!! ギィィィ!!!」

 その声は一斉に人々の頭に被せるように。あるいは投げつけて叩くみたいな音程だった。先ほどから聞こえている瓶缶を引きずるようなカラカラと何かを弾く音も大きくなっていって、新原は眉をしかめると、周囲の住民が不安げにあたりを見渡す。

「お猿さん!」

 何より大きなモトイの声だった。すぐさま彼の姿を追いかけて、みんなモトイの視線の先を見る。そこには横並びにさまざまな大きさの猿が一様に決していて、その目つきにはどこか荒んで迫力があるように見えた。

「野生猿の顔に不気味の谷を見ている」

「バナナ売りの博士のせいだ。野生が持つべき純心さえあのクズは奪ったんだ、猿たちから……ッ!人間社会のドブみたいな価値観と引き換えに! 許せねえ!」

「この人達、この前も広場にいたか? 喋る度、言葉遣いが独特なんだよな」

「オタクだからじゃないですか? 誇張表現。劇場型?」

 あからさまに百名にしか聞こえない小声でさらりと失礼な新原を置いて、住民達はヒートアップする。当然ではある。そもそも耳に入っていないから。

「猿ッ! お前達の苦しみは良く理解した!! だがもう良いだろう!? 俺たち人間もずいぶん苦しんだ! そうなって、お前達の苦しみをあらためて理解した! 痛みを分かち合った! それじゃあダメか!?」

「え? いや、普通にダメじゃねえかな……」

 彼等の熱量と言えば、そんな現実的視点の強い百名の戸惑いさえも置いてけぼりである。ちなみに蛇足。百名は今まさに猿と大分距離の離れた商店街の方に目を向け、妹たちの姿を見つけそっと安堵しているところであった。

「猿達よッ! しずまりたまえ!! しずまりたまえ!! われら慈愛の導師にしてそなたらを導かん!」

「……これは、今日を何のイベントと勘違いしている人たちなの?」

 素朴な住民の疑問もスルーされる。モトイは困ったような顔で猿と周囲のみんなを見た。今日はたくさんのゴミを拾って、ボランティアが初めての体験だったという人も、今日はなんだか思い出になりそうな日だとほがらかにモトイに笑いかけた。その人だけじゃない。モトイが声を掛けなくても、この場に居るみんなは、先ほどまで街を一生懸命、綺麗にしようとしていた。猿を見る。彼等の手には何故かカラースプレーが握られていて、ずっと街でカランカランと響いていた音の正体を今更みんな理解する。

「お、おい……あんなもの、どうする気だ?」

「まさか人に向けて発射しないでしょうね?!」

 身構えて硬直する人々と、泣き出す寸前の子ども。見ていられなくてその子を庇うようにモトイは猿たちの気を引くように一歩ずつ前に進んでいく。背丈の低いビルの上から彼等は無言でモトイを見下ろしている。両手をずっと上下に振って、スプレー缶を慣らしながら。

「お猿さん……」

 モトイがそう呟いたときだった。一匹が威勢良く金切り声を上げて、一斉に猿達がビルから飛び降りるように駆けだしていく。周囲のざわつき、警官達の警戒も高まる中で猿達は役割分担しながら動いている。陽動の半グレ猿たち。ビルにスプレーをまき散らす猿たち。モトイたちの居る場所まで近づいて、威嚇しながらあざ笑うように見ている猿までいる。

「この猿たちは……冷酷な破壊者だ! 人間とは相容れぬ存在! ここで生かしておいてもどうにもならない! ならいっそ、まとめて世界から消し去るべきでは?」

「やっぱり劇場型犯罪の芽がある……」

 新原の呟きは次の興奮した少年の叫びにかき消されていく。

「おさるさん、おえかきしてるー!?」

 少年は無邪気に母の腕から乗り出しながらビルの壁に噴射されていくカラースプレーと、落書きの壁をみている。モトイもそちらに目を向ける。

「おうちだ!……となりのがきいろだから、まんなかのはバナナだ!? でもとなりのもじゃもじゃはなんだろ?」

「きっとあの博士だろう! あそこまで髪の毛もじゃもじゃしてるやつも他にいないはずだ!」

「家と、バナナと……人間?」

 新原が怪訝な声で言った後、すぐにその絵の真意を悟ったように息を呑む。途端に、大きな猿……ボス猿がその声を認めたように、一度視線をこちらに向けた後、半グレ猿たちによる落書きの上から、さらにふかくカラースプレーで塗りつぶしていく。陽動舞台の猿たちは人間の手からゴミ袋を奪い、ばら撒いていく。全て台無しにすることが目的みたいに。

 ――世界が壊されていく。世界が汚されていく。たとえばそんな、意思すら感じる力強さがある。

「せっかく街を、みんなで綺麗にしたのに……」

 住民の無力をかみしめるような言葉に、カッと背後から力強いライトが点灯する。背中から光を浴びて、それでもまぶしくてモトイは渋い顔になる。

「モトイ! ちーちゃんノ後ロ、下ガッテナ!」

 ちーちゃんはこの前から妙にたくましいのだった。夏が終わって再会したときには、もっとロボットらしかった起伏も、今気が付けばなんだか責任感でも負っているような風貌にすら感じる。

「ヘイヘイ! モンキー、ちーちゃんト遊ブゼ! ベイベー!?」

「全てが間違っている! この狂った世界もッ!!」

「ねえ!? この街の住民、会話がかみ合ってなくない!? てかあのドラム缶何!?」

 収拾が付かない中で、ちーちゃんひとりだけが平然としている。いや、相変わらず中央のオブジェにくくりつけられた博士とその隣の知海は全く動じていない。博士はやや退屈そうな顔であくびまでしている。

「――対話モード、起動します。システム起動……ヴィヴォン・トゥス・アン・アルモニー!」

「今なんて!?」

 あたりが一瞬で真っ白になるほどに光る。

 何も見えなくて、みんなモトイと同じ顔で目を閉じる。そこから耳鳴りさえしそうな静けさがあって、ガラガラとちーちゃんが進む音が聞こえた。

「――焼肉」

 厳かな声。周囲には一つの音さえ無い。ちーちゃんの声は、普段の彼のものとは思えないほど、滑らかに発音される。猿たちは戸惑うように動きを止めてちーちゃんを見た。

「チャーシュー・ジンギスカン・しゃぶしゃぶ・温野菜……」

「……キィ?」

 どこからかともなく静かに、まるでSF映画のオープニングテーマのような、重厚なイントロが聞こえている。

「――――」

 ちーちゃんの身体からそのBGMは掛かっている。モトイは直感した。猿の感情に作用するなんちゃら回路とは、つまり音楽を流すことだったのかと、一人悟っている。

 誰もが言葉を失っていた。誰もが視線を止めている。感情すら失ったように、静止していた。

「沖縄ステーキ」

「――――!!」

 ボス猿が反応する。みな固唾を呑んで、この行く末を祈るほかない。

「A1ステーキ……ソース……」

 この言葉が決定打となったようだ。ボス猿は深い悲しみに包まれたような顔でスプレー缶をカランと床に落とした。そして右手で額を隠すように、顔を押さえて悔しげな顔をする。そしてそっと力なく首を振りじっとちーちゃんを見た。

 ちーちゃんは言った。

「……ナインティナイン・S1」

「……ッ!」

 モトイは声をかみ殺す。それは結局代用品だ。だれもA1の代わりになど、なれやしない。

 しかし猿はそれすら見越していたような深い目をして、そっと目元を和らげると、モトイを見た。モトイも猿を見つめて、数秒だった頃だ。小さな猿がボス猿の近くに駆け寄ってきて、彼の影に隠れながらモトイをうかがった顔をする。……あの子はモトイがこの街の環境を知って、なにかひとつの無力感を拭うような気持ちを持たせる存在だ。自然には介入できない。人間は、そのようには出来ていない。だからこそ、手元に有るもの、自分というものに、どうにかして全力を尽くすしかないのだ。考えて、考えて出来ることを探す。その怒りすら覚える無力感に打ち勝つためには。

「……チ、キキッ」

「え?」

 小猿はモトイに向かって『それ』を投げつけて来た。思わず反射的に手の中にキャッチする。ちいさなキーホルダー。モトイが鍵に付けていた『さわりん』のキーホルダー。いつかになくて、探しても見つからなかったもの。

「……拾ってくれたんだばー?」

 モトイの問いかけに、小猿はパチパチと目を瞬く。モトイはそっと笑って、泣きそうな顔をした。

「やさしいお猿さんさー」

 そのやりとりの直後、ボス雑がちーちゃんの前に出てくる。ちーちゃんは無言で佇む。

「――――もつ鍋モ、イイカモネ」

 ちーちゃんのそれが合図のようだった。猿たちはカラースプレーを床にそっと置いた。そして先ほどとは全く静かな様子で人間の元に近づいて行く。怯えて身構える人の足元にあるゴミを手にして差し出すようにゴミを差し向ける。

「えっ!?」

 他の猿達も、小さな両手にばらまいたゴミを掴んで、抱えるように拾い始める。人々は言葉を失って、だけど自然と、猿たちの集めて差し出したゴミを、持った袋に中に回収していく。そうしてどんどん、街の地面に散らばったゴミは少なくなって、最後には猿が来る以前よりも綺麗になっている。

「……――」

 ボス猿はじっと手にしたゴミをみた。彼の手にはちぎられた雑誌のページ……海が燦めく写真が一面に掲載されている。

「お猿さん、海が気になるさー?」

 彼はモトイを見て沈黙する。モトイは柔らかい声で続けた。

「海は街より広いところさー、なんにもないけど、何でも見えるばー」

 ボス猿は静かにその海をモトイのゴミ袋に突っ込む。モトイも小さな痛みをこらえた顔で、静かに受け止める。

 そのうえで、彼にしっかりと伝えた。

「拾ってくれて、ありがとうなー」

 モトイの感謝にボス猿は目を瞬いて静止し、どこか柔らかなまなざしになると、スッとモトイに背中を向ける。

「――キギィッ」

 ボス猿のその声が合図だったのか、猿たちが一斉に駆け出す。慌てて警官たちも身構え、彼等を誘導し、確保に動こうとしていた。対話を終えたちーちゃんは静かに、何かを思考しているようにしんとしている。

 誰もがあっけにとられて、一番最初に声をあげたのはいつのまにやら博士の元から離れて、つまり現場放棄した知海だった。

「Vivons tous en harmonie? そんな言葉、合い言葉にしていないはずだ」

「ちーちゃん人類仲裁ノ合言葉教エテモラッタ!」

「埖博士にそんな優しい感性はないはず……」

「チアキノ入レ知恵!」

 ピタリと知海の動きが止まり、真顔で十秒ほど、そして納得したように頷く。モトイは手の中でさわりんのキーホルダーを見つめていたが、急に情けない顔になる。

「……ちーちゃんがもつ鍋って言ってから頭からごはんが離れないさー……!」

「打ち上げは鍋だな、鍋! おい、この辺でそろそろ開く店どこよ!?」

「川端商店街行けばなんとかなるっちゃない?」

「この人数で駆け込むか~!?」

「そもそも昼間から未成年を酒の場に置こうとするのやめろ」

「つかよォ~……」

 ぐだぐだも良いところである。驚くべき適応力。モトイのみならず、様々な異常性が被さるように襲いかかり、キャパを超えたらしい。ちょっとやそっとでは皆さん、最早驚かないようである。

 モトイは猿の消え去った方角を見る。彼等は山に帰って、それから何を思うだろうか。ちーちゃんとの話もきっと、優しいことだけでは無かっただろう。それでも、何かを納得して、諦めて行った。そのことはきっと忘れないし、大昔のウミガメの死と同じくらい、引きずる気がする。昔より多くのものを手に持てる。だから、きっとたくさん引きずるのだ。

「――ウム! ではこのイベントの本題に入ろう!!」

 店長が高らかに声を張り上げる。彼の手には地面に猿たちが置いていったカラースプレーが交差する両手に持たれている。

「……何するつもり?」

 新原の警戒した顔と呆れたような百名の表情が隣に並ぶ。店長は両手をバッと広げる。

「猿による破壊のラクガキを、美しいアートに変換ッ! これぞ世界改革ッ! アートは世界を救うッ!!!!」

 爆走する店長。ここに来ての店長による裏切り的展開により、さすがにあっけにとられる住民。何やらスマホを耳に当てて、遠くからその光景に冷たい目を向けている虎之介と、猿の陽動をしながらも視線を向けて止めに入るべきかと動揺する警官たち。

 そのカオスのなかで百名のスマホが鳴る。彼は呆然としながらも電話に出ると、徐々に深刻げな顔になっていき、ひどく慌てた顔でモトイに声を掛けた。

「ヤッベェ!? モトイッ! マネージャーからおまえに電話!!」

「はえ?」

 百名は急かすように自分の手にしたスマホを指さす。

「これ、出ろって!」





 住民達が盛り上がる様子を相変わらず縛り上げられたまま放置された埖博士はぶすくれた顔で見ていたが、その中心にいるモトイとちーちゃん、そして知海の顔が小さく笑みを浮かべているのを見てそっと目を眇めた。

「――善とは何か? 良き行い、優しさ、思いやり、そして愛……たとえばそんなものを抱えているのかもしれない。他者を尊重する善、自己犠牲を厭わない善、中立を貫く善、ただ受け身で流される善……実にさまざまな姿があるだろう。では、そもそも“善”という概念は、なぜ生まれたのか?  何のために、どんな必要性があって、人はそれを持たなければならなかったのか?」

 博士は一呼吸おき、どこか面白がるような口調で続ける。

「答えは単純だ。生存本能。人間という種が進化の過程で獲得してきた“善”という概念は、知的生命体としての生存戦略の一つにすぎない。社会という集団を作り、個々の関係を安定させるために、善の体系は洗練されてきた。では、善は生存に不可欠なのか? 本人が“善”を持たなければ、生き残ることはできないのか?――否」

 小さく笑い、博士は続ける。

「たとえば善を理解できない“悪”がいたとしよう。その“悪”ですら“善”という概念は頭で把握できる。理解した上で拒絶することも可能だ。では悪は生存戦略に失敗するのか? もちろん社会のルールから外れれば犯罪者として淘汰される危険はある。だがもし“悪”が社会の仕組みを逆手に取り、組織の中でうまく立ち回ったなら――?」

 博士は穏やかな口調のまま、淡々と結論を述べる。

「善とは社会の主柱の一つだ。しかしそれが絶対ではない。“善”が理解できない存在は、善によって生かされる。なぜなら彼らは社会という枠組みの中でしか存在できないからだ。……つまり善とは社会の本能的な形態であり、社会を構成する“個”の最も基本的な生存戦略の一つ。人間は善を持つことで生き延びるように進化してきた。だがそれが本当に個として必要なものなのかどうかは――また別の話かもしれないね」

 博士は軽く肩をすくめ、少しだけ体を動かそうとして、しかし未だに縛られたままだったことを思い出して、盛大にため息を吐く。

「――まあ、こんなことを考えたところで、何になるわけでもない。結局、現代における“善”とは、思考ではなく“行動”の形で成り立っているのだからね。……たとえば目の前に広がる光景の善は、おそらく社会の一つの到達点と言えるかも」


 博士はふっと視線を上げ、もう一度、彼らの方を見る。優しげな目、楽しげな声、いずれも達成感に満ちた顔をしている。

「……沖縄に帰れないって、なによーッ!?」

 たくさんの人に囲まれた中心で、モトイの大声が響いていた。



 季節は秋。モトイがやってきた頃にはまだまだ夏の気配があったけれど、今は冬の訪れも感じ始めた。寒さに耐性のないモトイはすでに長袖を着込んでいて、周囲の通行人から浮いている。

 浮いていると言えば、その手には相変わらず燃えるゴミの袋が握られている。それはすでに半分ほどたまっていて、モトイの通学路の長さを感じさせた。電車に乗らないですむ理由に、なんと彼はゴミを拾いながら家から歩けば良いという結論を出してしまったのだ。あの現代の利便性にだけは、生物としてなじめなかったのだった。

「あ、おはよう、花城」

「おはようー!」

「ゴミ拾いご苦労、あ! これさっき拾ったから、ついでにそれにいれて」

「おー」

 学生が自然な動作でモトイのゴミ袋にゴミを捨てる。彼一人じゃない、モトイがゴミ拾い通学していると、最近は横からその袋に誰かが拾ったゴミを入れるのだ。モトイは通学路に現れる、ゴミ拾い妖精のような扱いに落ち着いてしまった。なお、彼はこの事実を知らないが、最近みんな拾ってくれてうれしいばーと脳天気に思っている。

 風が吹く。木の葉が何処かでカサカサと地面に擦れる音がして、モトイはふと振り返る。華奢な膝小僧が目に入って、思わず首を傾げて眺めた。小さな背丈に見合わぬ体格の大きなごみ袋が頼りなく風に揺れる。まるでサンタさんが肩に抱えるクリスマスプレゼントのようだ。少年はぎこちなく顔を強張らせたあと、大きく息を吐いてモトイに言った。

「ぼくも、おにいちゃんとする! ゴミひろいしたら、たからもの手にはいるってホント!?」

 ぼく、毎日するから。おにいちゃん、そしたらたからもの、くると思う!?

 モトイはぽかんとした顔をにかりと崩して彼の前にしゃがみこむ。冬の気配が風に揺れ、太陽の陽射しがふたりの影を撫でるように揺れた。

「妹が、ぶじに生まれますようにって、おねがいするの」

「だから、ゴミ拾いー?」

「ぼくのおにいちゃんが、昨日言ってたから!」

 みんながだいじなものを、だいじにすること。

 みんなを自分の大事なものにできたら、自分にとってだいじなものをちゃんと守れるようになれる。

「それを、のーぶれす、おぶりーじぇ? っていうって! そうなんでしょ?」

 一拍おいて、モトイのうれしげな笑い声が青空に刺さるみたいに高らかに上がる。

「そうさー。……そうか、キミはおれと一緒なんだねー」

 いつも通りの、ゴミ拾い翌日のこと。ある朝の月曜日。この街では燃えるゴミの日の第一指定日である。




















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