第47話 着信


天井を見つめながら、薫君の先程の言葉をぼんやり思い出す。


冗談って言ってたけど、多少なりとも私が彼の機嫌を損ねたことは間違いない。


でも、薫君の言い分って。

あれじゃあ、まるで、まるで……。



ごろんと右側を向く。



いやいやありえない!冗談って言ってたし!でもどこからどこまでが冗談なの!?もう分からない!


……私に友達ができたって恋人が(万が一、いや億が一)できたって、私の中の薫君の場所が無くなることなんてないのに。


むしろ、私が薫君に鬱陶しがられるに違いない!!ああ、どうしよう!絶望的!!



というか、私に恋人なんてできるのかな。



特別彼氏が欲しいとか考えたことはないけど、今日みたいに恋愛映画を観たりすると、やっぱり羨ましくもなる。



ごろんと左側を向く。



でも、もしも恋人ができたら、どんな感じなんだろう。一緒に出かけたり、ご飯食べたり、映画観たり……。


これ全部今日経験したことだ!!!!



跳ねるように飛び起きて、枕元の羊のぬいぐるみを抱き寄せる。



でも、私たちは付き合ってない。


そう、これはちょっと特殊なタイプなんだ。

きっと。


だ、だけど、もしも、もしもだよ?これは例えばの話であって実在の人物・団体・事件とは一切関わりがございませんっていうことにして、もしも。



今日私たちがしたことが恋人同士ですることなら、やっぱり、あの、もしかして。今日のはデ、デー……。


「ああああ!!!」


羊のお腹に顔を埋め、3回息を吸ったり吐いたりする。そのまま羊を枕元に戻し、もう一度ゆっくり息を吐いた。



……はぁ、落ち着け、私。



男女2人で歩いているからってデートとは限らないって、今日学んだばかりじゃないか。



あまり意味をなさない行為であることは理解しながらも、しばらく黙って服のシワを引き伸ばす作業に専念する。



あっ!!!


だんだん冷静になりつつあった私の頭に昼間の出来事が浮かんだ。



床に放置していたカバンを拾い上げて、中からスマホを取り出す。恐る恐る開き、次の瞬間がくりと肩を落とした。



……いや、まぁ、そうだよね。

通知があることを期待なんてしてなかったよ。



【あけび、今日電話する!】



だ、駄目だ。


いちいち本気にして一喜一憂する私は、さぞかし面倒くさい奴に違いない。


きっとあれは、社交辞令だったんだ。社交辞令として適しているかはよく分からないけど。



そっと目の前にスマホを置き、なんとなく正座して向き合う。



別に落ち込んでるわけじゃない。


ただ、友達と電話だなんて、小学校時代の遠足中止の連絡網くらいだったから、なんだか嬉しかったというか、なんというか。


……今頃、花結さんと2人で晩ご飯でも食べてるのかな……稜汰君。



ぐう、と私の複雑な気持ちとは関係無しにお腹が鳴った。


さ、最悪。もう自分が嫌すぎる。



しばらくスマホとにらめっこしていたけれど溜め息を吐いてベッドから下り、のろのろドアへと向かう。



パチリと部屋の電気を消して、ドアノブに手をかけた瞬間。大好きな映画音楽が後ろから聞こえた。これは、着信音。



水泳の飛び込みみたいにベッドにダイブしてスマホを手に取り、表示も見ずに通話ボタンを押して耳に当てた。



「もっ、もしもし姫後ですがっ!!」

『えっ、あ、立花ですけど……なんか、息切れしてる?もしかしてタイミング悪かったか?』

「そ、そんなことないよ!!」



顔が見えない電話だというのに、寝っ転がっていたせいで若干乱れた髪をつい手櫛で素早く整えた。



わ、わー、稜汰君の声だ!!



『そう?きっと、本気で電話がくるなんて思ってなかったろ?もし忙しいなら全然いいんだけど……』



ちょっと心配そうなその声音。たぶん、電話の向こうであの形のいい眉をひそめているんだろう。


彼に見えてるわけでもないのに、ついつい何度も首を左右に振る。



「ううん!待ってた!待ってたよ稜汰君!!」



すぐに返ってくると思った返事はなかなか聞こえなくて、だんだん不安になってくる。



ど、どうしたんだろう。なんか変なこと言っちゃったかな。あ、もしかして、言い方がまずかったのかも!!



どうしようどうしようと頭の中で繰り返しながら、そわそわ枕カバーを整えたり羊の位置を微妙に変えたりする。



『あけび』



しばらくしてようやくポツリと呟かれた私の名前に、思わず身を乗り出して「はい!」と返事した。



『今、まだ出先?』

「もう帰ってきたよ。部屋にいる。えーと、その、稜汰君は?」



自分でも意味が分からないくらいビクビクしながら尋ねれば、少しばかり不思議そうに『俺?俺はまだ帰ってない、かな』と答えてくれた。



「そ、そうなんだ……」



もしかしたら、まだ花結さんと一緒なのかな。


それなのに、律儀に有言実行するために電話くれたのかもしれない。胸が痛いのは、たぶん、いや、きっと、罪悪感のせいだよね。



『それでさ、前にみんなであけびを家まで送ったことあるだろ?最後、十字路を右と左どっちに曲がるんだっけ』

「えっ、あ、左だけど、」



突然の謎の質問に目を白黒させながらも、深く考える暇もなく答える。



『Grazie!ついでに、あけびの部屋って1階?2階?西側?』



に、西ってどっち!?


えーっと、コンパスあったかな!小学生の頃の理科セットに入ってた気がする!!



それは、私が急いでベッドから下りて机に駆け寄り、引き出しを開けて中に手を突っ込んだのと同じくらいのタイミング。



『あけび、夕日が綺麗だぜ。窓開けて見てみろよ』



……え。


顔を上げて、机の隣の窓の外を仰ぎ見る。ほぼ沈んだ夕日の色が空に溶け込んでいて、グラデーションをつくっていた。



「本当だ。すごく、綺麗だね」

『窓ガラス越しじゃあ駄目だぜー』



何で開けてないって分かるの!?



ギョッとして一瞬飛び上がりかけた私は、即座に彼の意図に気づいて窓に手をかける。


まさか、え、嘘。


急いで窓を開け放って顔を出し、見下ろせば。



「Ciao」



下に立って爽やかな笑みを浮かべる稜汰君のいつもの挨拶が、目の前とスマホの2カ所から聞こえた。通話を切ったそれをポケットに入れた彼は「さっきぶりだな」と悪戯っぽく肩をすくめる。



「稜汰君。どうして」



これ夢じゃないよね。


こっそりスカートの上から太ももを抓ると、しっかり痛かったので現実みたい。



「どうかな、ベタだけど俺、ちょっとロミオっぽい?」

「う、うんうん!なんだか、映画みたい!」



もちろん私は、貴族のお嬢様でも映画のヒロインでもなく通行人みたいなものだけど。



「ちょっと気になることがあってな。電話とかラインよりも直接会って聞きたかったから」



何だか真剣そうな目の稜汰君にドキドキしながら少しだけ身を乗り出す。俯き気味の彼は、そのせいで少しくぐもって聞き取りにくい大きさで話し出した。



「まぁ、どうでもいいっていうか些細なことなんだけどな?いや、どうでもよくはないけど、そんなに重要じゃない話で、その、深い意味は全く無いんだけど、」



……こ、これは、よっぽどどうでもいい話に違いない。


でも、そのためにわざわざ家まで?



何やら決心した面持ちの彼が、ギリギリ聞こえるラインのものすごく小さな声でポツリと呟いた。ちなみに独り言レベルのそれが私に尋ねていると分かった理由は、末尾が疑問形だったからである。



「深見先輩と、付き合ってたりする?」



……り、稜汰君、それは。


全然些細な話なんかじゃないんですけれども!


と、というか、その。



「そ、そっち行くね」

「えっ、いや、いいよ!」



彼の静止は聞こえない振りをして、窓はそのままに階段を駆け降りる。



「どこか行くの?もうご飯だけど」

「すぐ戻ってくるよ!」



しゃもじを持って廊下に顔を出したお母さんに気もそぞろに答えた私は、サンダルを引っかけて外に出た。




「ねぇ、すみれちゃん。あけびちゃん、どうかしたのかい?」

「さぁ。そういえばあの子、結構学校で上手くやってるみたい。これなら、彼氏の顔を見れる日もそう遠くないかもね」

「えっ、か、彼氏はまだちょっと早いんじゃないかなぁ……」



幸か不幸か、このお母さんとお父さんの会話が私に聞こえることはなかった。

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あけびより。 @harukaze_haru

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