火星人コンプレックスのその後の話。

逢坂 純(おうさかあつし)

火星人コンプレックスのその後の話。

今でこそ、切除なしで火星法経の手術が整形外科で受けられると言っても、僕のように一人暮らしを初めてすぐのまだ成人もしていない若者がコンプレックスのために手術を受けるなんて人の数はどれくらいいるのでしょう。

その頃は、僕はまだ統合失調症ではなかったので、その時の僕としてはこの先、めくるめく体験をしようとばかりに、整形外科をドキドキしながら門をたたいたのでしょう。

今の僕はもういい歳なので、恥じらいがあまりなくなってきてしまったようにも思います。

家への帰り道に速足で帰っているにも関わらず、道でうんこを漏らしたこととかも、平気で人に言っているぐらいですから。

自分の絶対に守りたいもの以外のことは、大抵のことは譲歩してしまうのも、その恥知らずの自分からきているのかも知れません。

世の社会に出て働いている社会人の方は、大抵そういう絶対守りたいものを大切に思いをしながら、仕事などに勤しんでいるのかも知れませんね。

10年前くらい昔の話をすれば、統合失調症という病気も、中々人に相談できないような病気だったかも知れません。

僕も初めて精神病院に連れられていった時は、ロビーでメチャメチャ暴れました。

「僕はおかしくなーーい!」って。

それから20年程経った今の僕は、その統合失調症をネタに小説を書いてるぐらいですからね。人って変わるものですね。

小説のネタにするという言い方は、ちょっと語弊があるかも知れません。

こんな僕を同じ当時者の方は「障がい者舐めんなよ!」と思うのでしょうか。

僕の姉は、僕が統合失調症になって数年経った後「統合失調症になったのは仕方がないことだから、それをポジティブシンキングで小説のネタにしてみたらどうだ」と言ってくれました。

姉は本気でそう言ってくれているのですが、僕の周りにいる方には僕はどのように映っているのでしょうか。

障がい者雇用で働いている人に対して、障がい者は色んな配慮があっていいね、と思うのでしょうか。

僕自身当事者であるにも関わらず、精神障がいに対する偏見があるように思ってしまうことからこんなことを考えてしまうのでしょうか。

今現在、高校の保健体育の授業では、精神障がいに対する学習がカリキュラムに盛り込まれているそうです。

それでも、時に心ない言葉を浴びせかけてくる人も中にはいます。

それも、人それぞれの好き嫌いなのでしょうか。

理解はあるけれども関わりたくないと思う人もいるのでしょうか。

しかし、少なくとも僕の家族は僕に障害理解を示してくれています。

障害理解の方法は、その家庭その家族によって違うものです。

その方法は間違ってる、と言ってはいけないのでしょう。

僕の姉は僕の幻聴のことを「ぷっちょ」と呼んでいます。

その理由は「ぷっちょ」の方が「幻聴」よりも言葉からして重くなり過ぎないからです。

だから、姉は「それはぷっちょ」だよ「あんたの頭の中でしか聴こえないものだよ」と僕を優しく諭してくれます。

医療ではなく、人として姉弟として付き合ってくれます。

本当に有難いことです。

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